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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

お客さんが全員出発したら、、、

いよいよリゾートホテル最後の日です。
今日宿泊しているお客さんが出発すれば、
リゾートホテルはクローズします。
ツアーデスクはわずか2人だけ出勤です。
オプショナルツアーもないので、
出発のお見送りをするだけです。

すでにホテルを出発したスタッフもいますが、
私たちは最後のバスが出発する時間に合わせて、
ロビーに集合するように言われました。
それからツアーデスクの片づけをして掃除です。

それまで今度は部屋の掃除をしなければなりません。
去年は翌日に出発しましたが、
ホテルにいても特にすることもないので、
今年は当日に出発することにしました。
それまで最後の洗濯や荷物の片付けも、
すべて終わらせておくことにしました。

最後の出勤をするためにホテルに向かいます。
今年使った制服やバッジを持っていきます。
全部枚数を数えて、ビバリーに渡しました。

タイムカードを押して、お客さんのお見送り。
残っているスタッフがロビーの外に並んで、
全員で見送るのがホテルの習わしだそうです。
マネジャーが順次バスに乗り込んで、
最後の挨拶をしてから出発します。
私たちは横で手を振って見おるだけでした。

そのあとツアーデスクに集まって、
片付けと最後の掃除をしました。
来年ここに戻ってくるつもりもないけど、
掃除だけはちゃんとしておかないとね。
でも片付けるときはちょっと涙がでます。
4か月半の思い出が走馬灯のように、
私の脳裏を駆け抜けていきました。

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   私が働いていたリゾートホテル






あの時のブログを読み返すと、、、

私は別ブログを持っています。
過去の見聞録を書いているブログと、
最近の近況を書いているものです。
アラスカ行きが決まった時に始めたので、
「World Traveler in Alaska」です。
お陰ですでに何回も戻ることができました。

ここ数年はこちらの方がアラスカブログ、
魅力的なアラスカのことを紹介しています。
別ブログは放置されているときもあり、
以前より閲覧者がだんだん減ってきました。
でもこのブログを書く時のノート替わりです。

あのバス事故からすでに5年近くなりました。
あの時私はどんな気持ちでいたのか、
もう一度読み返してみました。

あの事件はただのバス事故ではなく、
私の同僚が運転するバスで、仲間が亡くなりました。
でもそれはほんのちょっとした偶然が重なり、
他の人のバスに乗っていたら防げたかもしれません。

あの時のドライバーは今何をしているのでしょう。
あの時彼女を失くした彼は、新しい人を見つけたかな。
それぞれ決して忘れることは出来なくても、
そこから立ち直らなければなりません。
若いからこそ新しい人生を歩く必要があります。

ご両親やご家族は決して忘れることはできないでしょうね。
もしかして今頃は、結婚いるかもしれません。
孫が生まれて暮らしているかもしれないと、、。
いろいろと考えているかもしれません。
きっと私がその立場なら、一生忘れられないはずです。

でも亡くなった方の思い出にすがるよりも、
自分の人生を必死に生きることも大切です。
何故なら、それが運命であり宿命なのです。
明日のことは分からないからこそ、
今日をこの一瞬を大切に行きたいと思います。

mendenhall-glacier-juneau[1]
     アラスカの高山植物

最後に会えてうれしかった

トランスポのお別れ会に、
私たちが気になっていた人が来ました。
アンカレッジであれからずっと
カウンセリングを受けていた彼です。

彼らが来る前にマネジャーから、
事故のことは絶対に話さない、
そして聞かないようにと言われました。
「大丈夫」とか「元気」とか、
彼に聞くことは出来ませんでした。
心が打ち解けあった友人たちでさえ、
それだけは聞けなかったようです。

私たちは暖かい拍手で迎え入れました。
彼がこの場にやってきてくれたことが、
私たちにとってどんなに嬉しかったか、
あのまま別れていたら悔やんでいたでしょう。
まだきっと心の痛み残っていても、
仲間として戻ってきてくれたことが、
私たちを少しだけ安心させてくれました。

彼はただ一言「ありがとう」と言うと、
それ以上は言葉になりませんでした。
そしてその場にいた殆ど全員が、
彼と一緒に目頭を押さえていました。

これは他人事ではありません。
ひとつ間違えば隣にいる人が、
あの時の事故起こしたドライバーに
なっていたかもしれません。
もしかしたらあの時の犠牲者は、
私自身の可能性だってあり得ました。

皆それが分かっているからこそ、
彼を仲間として送り出したかったのです。
もう二度と会えない可能性もありますが、
その痛みを分かち合いたかったのです。
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     アラスカの野生のあやめ


2019年の旅はベルリンから

無事にベルリンに到着しました。
去年アテネ行きのチケットを予約したころ、
スクーツがベルリン行き路線を開設、
いつかは乗るぞと思っていましたが、
こんなに早く来るとは思いませんでした。

今日から私の旅が始まります。
ベルリンに来るのも35年ぶりぐらいかな?
壁が崩壊されてから30年ですからね。
最後に来たときはまだ東ベルリンがありました。
首都に戻ってからのベルリンを見るのは初めてです。

今年はまだ行ったことのない国へ、
どんどん旅をしたいと思っています。
そのために久しぶりにビザが要ったり、
結構大変な苦労がまっているでしょう。

この記事はしばらく一番上に置いておきますが、
いつもの更新は次の記事からになります。
移動やインターネットの関係で、
毎日訪問できないと思いますが、
予約投稿を使って毎日更新しております。

私のご挨拶を兼ねた旅行記とともに、
いつものブログもどうぞよろしくお願いします。

takechan0312@ベルリンにて
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トランスポのお別れ会

私の同僚が運転するバスで、
ホテルで働いたサラが事故死するという
悲しい事件は皆に影を落としましたが、
それぞれの思いを胸に秘めながら、
海外からの学生たちは帰っていきました。

そして私たちもあと数週間で帰るという時、
それぞれの職場別にお別れ会がありました。
私たちのトランスポも恒例のBBQ大会が、
バスをメインテナンスする車庫で行われました。

今年も皆お揃いのTシャツを注文して、
仲良くお揃いで来ていました。
私は去年注文しなかったけど、
翌年来る予定がなかったので、
記念にフーディーを注文しました。

クロークでお客さんの手荷物を預かり、
溜まったチップでその年の終わりに、
全員に記念品が配られましたが、
今年はその予算がありませんでした。

というのは今年からクロークは
フロントの仕事になりました。
忙しいときは私たちも手伝うのに、
チップは配分されませんでした。

お陰でトランスポの軍資金が減り、
今年はバッテリーになってしまいました。
まあ同じような物が二つあっても困るけど、
皆にとっては楽しみだったようです。

でもこのシーズンも特に病気もせず、
無地に終われることが大切でした。
翌日も皆な仕事があるので、
アルコールがないのが寂しかったです。

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 アラスカで一番好きなコットンフラワー