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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

狭いリソートホテルでは

リゾートホテルの世界は狭いので、
いろんな噂が流れていました。
でも一番きな臭い噂の煙は、
意外と直ぐそばで立っていました。

スーパーバイザーのアマンダは、
すでにここにきて4年目でした。
毎年半年足らずの仕事のために、
中途半端な人生を選んでいるのか、
私には想像できなかったのです。

20代のスタッフも多いですが、
大抵は大学の資金稼ぎとか、
手に職をつけるために勉強中とか、
仕事を辞めたので、繋ぎとして、
ここに来る人が多かったです。

アマンダはデザインの勉強してると
私たちには説明していましたが、
このリゾートホテルに戻ってくるのは、
他に目的があったためでした。

前年はあまり気づかなかったけど、
今年は二人の関係が見え見えでした。
私たちのマネジャー、トニーではなく、
ドライバー部門の責任者ニックと、
かなり危ない関係になっていたようです。

ニックはアメリカ空軍に努めていました。
かなり幹部まで出征したようですが、
リタイヤ後ホテルで働き始めました。
空軍のリタイヤはいろいろありますが、
20年勤務すると退職できます。
リタイヤ後はアンカレッジに家を購入して、
そのままアラスカに住み着いたそうです。


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  タルキートナ by Tripadvisor

タルキートナで働くベス

いつもはタルキートナで働くべスは、
今年からホテル勤務が加わりました。
彼女は週5日しか働きませんが、
そのうちの2日をホテル勤務でした。

朝シャトルバスにのってホテルに着て、
遅番の勤務が終わると、
その日はホテルの寮に泊まりました。
そして翌日は早番の仕事をして、
シャトルバスで帰っていきました。

タルキートナのオフィスでは、
あまり事務的な仕事はありません。
オフィス全般を把握しておくこと、
列車で到着、出発する人の世話でした。

もう長年勤めているというのに、
地元で住んでいるスタッフや、
トラスポ以外の人は知りません。
デスクにいると「新人」と思っている
スタッフも多かったようです。

彼女自身ツアーの販売など、
今まであまりやったことがないので、
「デスクでは新人よ」と聞いていました。
でも私より年上の60代ですから、
人との触れ合いはとても良く、
何か問題があると対応が上手でした。

もとは学校の教師をしていたとか、
それで世話をするのが上手いのかな?
私とは同じ年配者ということで、
一番話があったかもしれません。
日本に行ったまま戻ってこない娘。
彼女を訪ねて行ったことがあるそうです。
それで私と話があいました。

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  タルキートナ by Tripadvisor

山の中のホテルにやってきたけど

スーパーバイザーのひとりメグ、
他の二人より年上ということもあり、
この部門ではちょっと浮いていました。
前の仕事で疲れたので気分転換に来たけど、
山の中の仕事は合わなかったようです。

車を持っている年配の友人を見つけて、
アンカレッジまで遊びに行っていました。
トニーやスーパーバイザーたちも、
良くアンカレッジに行っていましたが、
一緒に行くことはなかったようです。

仕事が終わるとそのまま車に乗って、
出かける姿をよく見かけました。
確かに「Not my business」ですが、
あれだけ友人を取り換えていたら、、、。

確かに落ち着いていて魅力的でしたが、
私の趣味ではありませんよ。
でもここは山の中のリゾートホテル
寂しさを紛らすために独身同士が、
くっついたり離れたり、、。
いろいろなうわさが飛び交っていました。

結局彼女はここの生活が合わずに、
7月の終わりに辞めていきました。
次はレイクタホの近くにあるホテル、
そこで何とPRのマネジャーだそうです。

「冬働きたかったら連絡して?」
とみんなに挨拶していました。
夏のリゾート生活が終わると、
冬のリゾートを探す人も多く、
確かにスキー場としても人気がある所です。
まだ働いているのかどうか知りませんが、
いろんな人とすれ違う場所でした。

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  タルキートナ by tripadvisor


おしゃれすぎませんか?メグ

スーパーバイザーは3人いましたが、
もうひとりいつもおしゃれなのがメグでした。
彼女は今年から働き始めましたが、
何だか別の世界に来てしまったような人です。

今までオフィス仕事やセールスが長く、
マネジャーなども経験していたようです。
ホテルには今までの仕事を辞めたので、
気分転換に来たと言っていました。

彼女の服装もホテルには合いませんでした。
何だか一流会社に勤務しているような、
上下のスーツを着ているかと思えば、
翌日はとっても素敵なワンピース、
何処かの有閑マダムという雰囲気でした。
どれも高そうな服を着ていましたね。

寒いときに着てきたジャケットは毛皮、
これも動物の毛でできた高級品です。
いくらハーフジャケットと言っても、
仕事中に毛皮を着ていますか?
館内は暖房が効いて暑かったですよ。

そう彼女の服はどれもおしゃれすぎ、
アクセサリーも耳から腕まで、
付けまくっていたという感じです。
ちょっと場所を間違えていませんか?

靴もハイヒールのサンダルだったり、
翌日はロングブーツだったりと、
一体何足持ってきたのと聞いてしまいました。
自分の持ってきたスーツケース以外に、
後からも送ってもらったそうです。

私のようにスーツケース1個で来た人間、
制服があるから着なかった服もあります。
この山の中でそんな服は必要なかったです。

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  タルキートナ by tripadvisor


私服になったスーパーバイザー


スーパーバイザーは今年から、
私服で仕事するのが許されていました。
お陰で仕事中かお休みのかと
疑ってしまうような時もありました。

アマンダは比較的まともでした。
明るい服装で派手な服も好きでしたが、
一応トニーのアシスタント言う立場上、
比較的まともな服装をしていました。

驚いたのがもうひとりのニッキーでした。
アマンダと同じ年齢ですが、
「ちょっとそれひどいんじゃない」と、
思ったことが何度かありました。

例えば肩を出したサンドレス。
確かにここはリゾートホテルだけど、
まさかビーチかパーティーにいくような、
サンドレスはありませんよね。
それに両肩をだして仕事ですか?
さすがにこれにはトニーも驚いたのか、
途中から肩には上着をかけていました。

いつも「お金がない」と呟いていたニッキー、
給料は何に使っているのでしょうね。
なんだか安っぽい服装で出勤していると、
「あれがスーパーバイザーよ」と
お客さんに紹介できませんでした。

最後にはだんだんトニーも呆れてきたようで、
「私服にしたのは失敗だった、
来年からはまた制服に戻す。」と言っていました。
スーパーバイザーは私たちとは違う制服、
お客さんの目からしたら制服がまともですよね。
ここで寝泊まりする生活ですから、
私服なら休日とはっきり区別できました。


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  タルキートナ by tripadvisor

私たちは制服ですが

私が働いているゲストサービスホストで、
去年と違うことが二つありました。
それはスパーバイザーはユニフォームなし、
自由な服装で出勤できました。
ホテルの従業員は基本ユニフォームです。
マンジャーのみが私服で仕事していました。

私たちの部門は黒い靴とズボンは自前でした。
青いデニム風のシャツが2枚と、ベスト、そして
雨風をしのげるジャケットが支給されました。
私は去年もいたのでシャツを4枚持っていました。
シャツだけは返す必要がなかったのです。

去年は長袖だけをもらいましたが、
このアラスカでも暑い日があるんですね。
そのために今年は半袖のシャツを1枚、
念のために貰っておきました。

でも意外と品物が良くて、
他でも着れそうなシャツです。
シドニーに持って帰りましたが、
生地が暑すぎて着る機会なし、
翌年はチャリティーに寄付しました。

シドニーでの仕事はホスピタリティー、
ほとんど黒いシャツを着ています。
そのために着る機会もないです。
プライベートにはシャツを着ないし、
利用する機会はありませんでした。

スーパーバイザーは3人いますが、
皆20代から30代と若いので、
おしゃれにはかなり興味がありました。
でもその私服が余りにも派手だったり、
本当に「仕事中」と疑ったものです。

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  タルキートナ by tripadvisor



ホテルスタッフ感謝の日

「従業員感謝の日」の夕食は、
ひとシーズンで一番豪華ですね。
夕食にはなんとステーキもでるし、
肉が食べれない人のために、
魚かベジタリアンもありました。

多分まともな魚料理が出てくるのは、
この日だけだったかもしれません。
もちろんチョイスではないので、
予め頼んでおいたような気もします。
いつもピクニックランチを頼んでいたので、
「肉を食べない」というのは知られていました。

その日サーブしてくるのはマネージャーたち、
前菜、メイン、デザート別れたテーブルで、
マネージャーたちがエプロンを付けて
それぞれ皿に分けて取ってくれました。

いつもはフルーツなんてないけど、
その日は名物のチョコレレートフォンジュ。
フルーツ、スポンジケーキやマシュマロと
フォンジュの材料が並んでいました。
いつもは置いてないイチゴやバナナ、
私はフルーツだけを取って食べました。
もちろんケーキのデザートもありました。

ミラーボールが天井には飾られ、
いつもの即席バンドの出演です。
食事の後はしばらくディスコタイムでした。

この時期ホテルのゲストも少ないので、
社員食堂から音が漏れても平気かな?
それでも午後8時には解散になるという、
健全な生活が続くリゾートホテルです。
お別れはすでに始まっていましたが、
私たちもあと3週間もすれば、
このリゾートホテルを後にします。

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  タルキートナ by tripadvisor


カードに書かれた日本語のことば

9月に入りリゾートホテルは、
シーズンの終わりに向けて秒読みでした。
私たちもいつホテルを出発したいか、
トニーに提出しなければなりません。
主なスタッフは閉館日かその翌日までに
このホテルを出なければなりません。

あとは完全な戸締りのために、
30人ぐらいのスタッフが残って片付け、
それが終わると数人のスタッフだけが、
ホテルの留守番としてここで越冬します。

その日は「従業員感謝の日」でした。
11月にあるサンクスギビングのホテル版です。
この日はいつも威張っている上司が
スタッフのためにひと肌脱いでくれました。

スーパーバイザーはスタッフ全員に
「感謝のカード」を送りました。
クリスマスカードのように寄せ書き上に
それぞれのスタッフ宛に手渡します。

私宛のカードにはアマンダだけ、
なんと日本語で書いてありました。
「彼女、日本語話せないはずだけど?」
「意味分かった?」と聞かれたので、
どうやって書いたのと聞くと、、、

グーグル翻訳で出てきた文字を、
見よう見まねで真似して書いたそうです。
ひらがなも簡単な漢字もちゃんと読めました。

私にアラビア語で書けと言われても無理です。
初めての日本語で上手に書いてくれました。
意味はちょっと分かりずらいこともあるけど、
彼女の気持ちがうれしかったですね。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor



アラスカを知るのにも役に立つ

会場内の特設会場では歌やダンスなど、
ステージでいろんな催しがありました。
その中には先住民族たちの音楽もあれば、
美人コンテストのような余興もありました。

私はそこで前にお話した白樺シロップや
野生のベリーで作ったジャムについて
初めてゆっくりと説明を聞きました。
タルキートナにお店があっても、
街なかから離れていると行きにくく、
お店に行ったことがありませんでした。

会場内では農業機械の展示もしています。
その横でスノーモービルや、ATVなど、
アラスカの生活に密着した道具から、
釣り、狩猟に関するものも販売していました。
アラスカのことを知るにも良い機会でした。

でも私が一番興味を引いたのは、
アラスカの小屋を展示している所です。
家畜の小屋から狩猟用の山小屋まで、
いろんなタイプの家が展示されています。
中にはログハウスがあり、注文すれば、
自分で小屋が建てられるそうです。

されに各種団体も参加しており、
アラスカ農業開拓団の歴史を、
パネルやフィルムで紹介していました。
実際に移民してきた人たちが、
いろいろな質問に答えてくれます。

1世たちの生の声が聴けるのは、
これはとても貴重な体験です。
実際に皆さんたちが使ってきた
いろいろな道具が展示してあって、
手に取り実際に体験もできました。

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     アラスカステートフェアー


アラスカステートフェアーに参加するのは?

現在アラスカステートフェアーは、
アンカレッジからほど遠くない、
パーマーという街で開かれます。
毎年8月下旬から約10日間、
ちょうど新学期が始まる前です。

アラスカ鉄道はこの時期、
会場行きの特別列車を運行します。
また私がいたホテルでも何回か
このフェアー行きのバスを出しました。

会場内にはたくさんのお店が並び、
お隣には遊園地が特設されていました。
子供たちにとってはこちらが楽しみ、
新学期を前に思いっきり遊んでいました。

その年に収穫された農作物や
応募された手工芸品の作品のなかから、
その年の優秀作品を選ぶコンテストが
それぞれの項目別の行われ、
コーナーごとに展示されていました。

特に大きな野菜コンテストは有名で、
ここで優勝した野菜が国内大会や
ギネスブックに載ることもありました。

会場内に出店している人たちは、
アラスカ中に住むアーティストたち、
オーガニックのパンやパスタから、
アラスカの野生のベリーで作られた、
ジャムやチョコーレートまでと
幅広くいろんな種類の店がありました。

それぞれ自分たちの作品や
特産物を知ってもらうことを目的に、
トレードショーの意味合いもあります。
私のタルキートナの友人も出店していました。
ギフトショップをいくつも持っているので、
良い作品があったら、買い付けもかねて、
毎年このフェアーに参加していたようです。

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    アラスカステートフェアー



アラスカの夏が終わるごろ、、

Christmas in Augustが終わるころ、
アメリカでは夏の終わりを迎えますが、
ここアラスカではすでに秋の中盤、
デナリ周辺ではすでに冬の入り口です。

そんなときアラスカ最大のお祭りがあります。
どの国でも秋の収穫を祝う催しがありますね。
日本各地で行われる秋祭りもそれに由来します。

もともと農家がコメや農作物の豊作を
神様に願ったのに由来すると言われています。
しかし実際には、地域によって収穫後に
祭りが行われるところもあるようです。

さて短かった夏が終わり、すでに秋になり、
農作物の収穫が終わりを告げようとしています。
白夜が続いたアラスカの大地に、
夜のとばりが降りるようになります。

アラスカステートフェアー」は、
最初に1936年に開催されました。
Northland Pioneer Grange No. 1という、
アラスカに移民して人たちの集まりが、
新に開拓団としてやってきた人たちが、
「この地に確実に定着できるように、、」
を目的に援助するために始めたそうです。

例えばどんな野菜をどのようにして育てるとか、
羊などを育てて、どうやってセーターを編むか、
ミルクや肉をどうやって手に入れるかなど、
全く知識がなかった人たちに教えるために、
始めたのがきっかけと言われています。

1960年の25周年記念には、
当時JFケネディ大統領も訪問、
1967年から現在の会場に移転しています。

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   アラスカステートフェアー 




ジンジャーブレッドハウスは美味しいいの?

クリスマスと言えば「クリスマスケーキ」
色んな種類のケーキが出回りますが、
海外ではあまり「ケーキ」はありません。
その代わりクリスマスプディングや
タルトそしてクッキーを見かけます。

さてアメリカ住んでいると
クリスマスツリーの飾り付けとともに、
ジンジャーブレッドハウスを飾ります。
これは子供の憧れ「お菓子の家」ですが、
家庭で手作りする所もあれば、
スーパーでキットも売られていました。

Christmas in Julyが開催される数日前、
夕食後、「お菓子の家」づくりがありました。
社員食堂のスタッフがクッキーを焼いてくれ、
{すでに家の形に型を取ったものですが}
それを組み立てて飾り付けをしていきます。

私はあまり興味ありませんでしたが、
いつも仲良くしている友人から誘われ、
作っているのを見ることにしました。

殆ど同じ形の家が作られますが、
さすがに飾りつけは自由自在、
各チームの個性が表れていました。
若い人の派手でかっこよく見えるけど、
年配の女性のは控えめですが、
年季で飾り付けがとてもきれいです。

ジンジャーブレッドハウスの中には、
置いてあったキャンディーや
クッキーなどを詰め込んでいました。

クリスマスの夕食会の時に、
この家を皆食べていましたが、
ショウガの香りがきつすぎて、
私の好みではありませんでしたが、
パクパク食べている人もいました。

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    ジンジャーブレッドハウス




アラスカで祝うChristmas in August

シドニーのあるオーストラリアは、
クリスマスは夏にやってきます。
ほとんど雪の降らない国ですが、
オーストラリアの冬の時期に、
クリスマスをお祝いする所もあります。

特にシドニー郊外にあるブルーマウンテンでは、
何処のホテルもクリスマスの飾り付けをして、
イギリスやアイルランドのクリスマス料理を
この時期に楽しむことができます。

夏でも雪景色が見られるアラスカでは、
8月にクリスマスをお祝いしても、
ホワイトクリスマスになる可能性もあります。
このリゾートホテルでも毎年8月25日に、
スタッフのためにクリスマス祝いをしました。

冬の間はリゾートホテルは閉館、
管理のために残っている数人のスタッフも、
それぞれの家族のもとに帰っていきます。
実際のクリスマス時期に一緒になれないので、
スタッフを家族として祝う目的で、
Christmas in Julyが開催されました。

この日は社員食堂も普通のメニューとことなり、
ちょっと贅沢な食事がでてきました。
各部署のマネジャーたちがスタッフのために、
ローストされたターキーをカットしたり、
フルーツをチョコレートフォンデュしてくれました。

誰が楽器を持ってきたのか知りませんが、
寄り集まりの即席バンドが結成され、
生のライブ演奏も行われました。

社員食堂では時間制限もあります。
その続きはスタッフ専用のバーで、
DJも入りディスコがオープンしました。
リゾートホテルがオープンして二か月ですが、
あと1か月半もすればシーズンは終わりです。
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  サンタとトナカイ@リゾートホテル


アラーニに紹介された女性


ここで二人の日本人を紹介されました。
ひとりはハワイから働きにきている男性、
そしてもうひとりがフロリダからの女性でした。
その人はTammyさん、現在FBで友達です。

彼女とはその時少しだけ話しただけで、
特にFBのことも伝えませんでしたが、
私がシドニーに戻ってから、
オーストラリア旅行が夢だったようで、
アラーニを通じて友達になりました。

人との出会いなんてそんなものです。
旅先で知り合った人と長い付き合いの、
友人になることも多くあります。
今ならFBで何処にいても簡単に、
会話することができます。

彼女とはその後シドニーで会いました。
オーストラリアクルーズのために、
友人と遊びに来てくれました。
時間がなくどこも紹介できませんでしたが、
アラスカで再会を誓って別れました。

アラスカでガイドを始めると、
このホテルに泊まる機会がなく、
彼女と会う機会がありませんでした。
そして去年アラスカに戻ってくると、
このホテルに3回も泊まりましたが、
彼女はアラスカに戻りませんでした。

でもアラスカが好きなのでしょう。
去年も二度アラスカを訪問しています。
一度目はアディタロッドの開催を見に、
そして夏にまた車で来ています。

二月ごろになると「何処で働く」が
三人の共通の話題になっています。
アラスカの夏の仕事に応募する時期です。

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     友達が働いたホテル



季節ごとの仕事を求めて、、、

アラーニの仕事が終わると、
彼女の部屋に行きました。
外部の人は入れないことになっていますが、
彼女と一緒なら誰も疑いませんでした。

彼女の部屋はコテージでした。
優遇されていますね、ひとり部屋ですから。
寮は二人部屋が基本になっています。
ましてや棟ではなく、コテージでした。
そのコテージには2部屋ありますが、
全く別の入り口で独立していました。

ホテルに泊まる予定でしたが、
彼女の部屋に泊まるように言われました。
「でもベッドはひとつよ」というと、
夜は泊りに行くからと言われました。

ふたりで夕食に出かけると、
そこにマークがやってきました。
何と以前働いていたホテルの営繕係、
当時彼女のマネジャーだった人です。

マークはその後離婚したようで、
ここで働くことが決まると、
アプローチしてきたそうです。
彼女も一応独身だったので、
すぐに仲良くなりました。

私のことも覚えていてくれました。
寮のカギを忘れたり、掃除機がいるとき、
彼のオフィスを訪ねていましたから、
それにアラーニと知り合いだったので、
当時から会う機会も多かったですね。

結局シーズンが終わると二人は結婚、
その年は彼女が住んでいるテキサスに行き、
冬の間はビッグベンドにある
リゾートホテルで一緒に働いていました。

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     友達が働いていたホテル


プリンセスに売却されたホテル

私はアラーニに会いに来る前に、
働いていたホテルを見に行きました。
あの頃一緒に働いていたジョーが、
レストランマネージャーになっていました。

働いていたロビーにあるカフェ、
あの頃と殆ど変わっていません。
お隣にあったギフトショップもありますが、
知っている人は誰もいませんでした。

と言っても何人かは戻っているはずです。
するとステイシーが通りました。
その年に働いていたリゾートホテル
マネジャーを去年までやっていた人。
今年からこのホテルの移ったのです。
独身ですが、やり手の女性でした。
挨拶すると顔は覚えていてくれました。

そのあと寮があった方に歩いてみました。
寮はすべて隣町に移転していました。
そこにはプリンセスの寮がありますが、
去年ホテルがクローズすると、
建物ごと、トラックで運んだそうです。

社員食堂や、マネジャーの家など、
一部はそのままに残っていました。
そしてそこに懐かしい建物が、
そう私がいた寮だけはそのまま
あの頃と変わらずに残っていました。

2010年の懐かしい思い出が、
あの頃知り合った仲間たちの顔が、、。
あっという間にそこに現れました。
私にとって初めてのアラスカ
楽しい思い出がたくさんあります。
こうやって戻って来れる幸せ、
もう一度戻れるように願いました。

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    以前私が働いていたホテル

シャトルバスがとっても不便です

デナリのホテルで働いていたころ、
この社員食堂に食べに来たことがあります。
系列の社員食堂は同じミールプランで
自由に利用できるシステムでした。

当時このホテルの社員食堂はまずく、
私のいたホテルにわざわざ食べに来ていました。
場所が変わればちょっと旅行した気分、
シャトルバスでこのホテルにやってくると、
ついでにここの社員食堂で食べていました。

社員食堂はかなり広くなっていました。
隣接した建物が以前はフロントとロビー
現在は別の場所に移ったようで、
スタッフ用のテーブルが置いてありました。
コーヒーやソフトドリンク類も、
あの頃に比べると充実しています。

当時私たちが働いていたホテルは、
プリンセス系列に販売されていました。
ホーランドアメリカのお客さんたちが
専用で利用していたホテルでしたが、
プリンセスが購入したそうです。

そのため現在はこのホテルのみ、
宿泊棟を増やしただけでなく、
隣にあった小さなホテルを買収、
さらに沢山のアトラクションを作り、
デナリに行かないで済むようにしていました。

商店街に行くシャトルバスはありません。
わざわざ公園内にある観光所で
プリンセスのシャトルバスに乗らないと、
デナリには行けないようになっています。
そこに泊まっているお客さんのふりをして、
シャトルバスに乗るのも大変ですよ。

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     友達が働いていたホテル

お久しぶりです「アラーニ」

アラーニはもともとタルキートナにある
別のホテルで仕事が決まっていました。
私のリゾートホテルからも近いので、
会えるねと楽しみにしていたのですが、
私がアラスカに到着する前に辞めました。

その後デナリに移動してここで採用されました。
このホテルは私も何度も来たことがあります。
2010年に働いていたホテルと同じ系列、
その時の彼女のマネジャーが働いていて、
相談するとすぐ採用されたそうです。

アラーニはEDRという社員食堂で働いていました。
彼女のシフトは朝から昼までだそうで、
ホテルに行くと社員食堂に行き、
彼女がいるかどうか尋ねてみました。

本当は外部の人は入っていけないのですが、
ここはゲストの部屋がある棟の間に、
従業員用の寮も点在していました。
そのため私服で周辺を歩いていると、
お客かスタッフか分からないこともあります。

ましてや入れ替わりの激しいホテル。
8月になっても新しいスタッフが、
ホテルに働きに来ていました。
堂々と歩いていると「新人」と
思われていたかもしれません。
まあホテルのお客さんには見えませんね。

入っていくとアラーニがいました。
OMGを連発する彼女です。
私もとっても嬉しくなりました。
もうすぐ仕事が終わるというので、
コーヒーとデザートをもらって、
そこで待つことにしました。

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     友達が働いていたホテル



友達に会いにデナリへ

私はその年、一度だけデナリに泊まりました。
前年は友人たちと系列のホテルに泊まり、
一緒に国立公園の観光をしましたが、
今年は友人に会うためにデナリに行きました。

2010年デナリで働いていた時、
たくさんの友人ができましたが、
特に仲の良かったアラーニがいました。
小さいデナリですが、車がないと移動が大変、
特に彼女が働いたホテルは、
デナリの商店街から離れていました。

私は知人のドライバーが運転する
デッドヘッドでデナリに向かいました。
ジョイに頼めばすぐに教えてくれます。
同じ部門で働いている特権ですね。

友人が働いているホテルの前を通りますが、
ここで停めてとはお願いできません。
高速で運転している車が多いので、
大型バスは道路では停められません。

一度お客さんを迎えに行くホテルに行き、
そこからシャトルバスに乗って観光所まで、
今度は友人がいるホテルのシャトルバスを
そこで延々と待つことにしました。

距離にして10kmぐらいしかありませんが、
乗り換えだけで1時間以上かかりました。
バスを降りて、すぐ別のバスは来ません。
ましてや歩いていける距離ではありません。

友達はまだ仕事をしているはずでした。
2010年リゾートホテルの仕事が終わった後、
テキサスまで遊びに行ったこともあります。
会うのは4年ぶり、とても懐かしかったです。

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     友達が働いていたホテル

アラスカの州旗を考案した少年

ロシア人アレクセイ・チリコフが
1741年7月15日、陸地を発見したのが、
アラスカにおける白人の歴史の始まりでした。
その後カワウソ狩りをして
ロシアの領土して毛皮交易が始まりました。

1799年、ニコライ・レザノフは
パーベル1世から勅許を受け、
極東と北アメリカでの
植民地経営と毛皮交易を目的とした、
ロシア帝国の国策会社として
「露米会社」を設立しました。

クリミア戦争で負けたロシアは、
1867年にアラスカを売却しました。
その時の国防長官がスワードです。
そしてアメリカの領土になったアラスカは、
露米会社の旗に変わり
アラスカの国旗を掲揚し始めました。

1912年アメリカの準州になったアラスカは、
州の旗を作ることにしました。
一般公募には700以上の応募があり、
その中からスワードに住む13歳の少年、
ベニー・ベンソンのデザインが選ばれました。

彼が描いたのは北極星と北斗七星。
北斗七星は北の大地のシンボルです。
そして大熊座の中にありますが、
アラスカ生息するクマを表しています。
そして北極星は「北を目指す」と
アラスカの将来を意味しているそうです。

州旗は濃い青色ですが、
これは漁業資源が豊かな
アラスカの海を表しているそうです。
星は金色に見えますが、
ゴールドラッシュで栄えたアラスカ
その「金」とも重ねているようです。

はして13歳の少年がそこまで思案したか?
なんて私には想像できませんが、
スワード市の入り口に記念して、
アラスカの旗と彼の記念碑があります。
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    アラスカ州の旗 by wiki







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