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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

パレスチナ問題とは?

パレスチナイスラエルの問題は、
イスラエルが建国された時に
始まったわけではありません。

もともと中東はひとつの国でした。
オスマン帝国に支配される前から、
1000年近くアラブ人は住み続けていました。
それが第二次世界大戦後に
現在のような国境線が勝手に引かれたわけです。
英国とフランスの利害が大きく影響しています。

英国はアラブに対しても、ユダヤに対しても、
この地に独立国建国の約束をします。
そのお陰で中東紛争が勃発しました。

2000年以上放浪したユダヤ民族は
ヨーロッパ各地で迫害を受けて来ました。
特にナチスの『ホロコースト』が始まると、
そこから脱出するだけでなく、
ユダヤ人の国を建設することを急ぎました。

オスマン帝国が破壊した時には
アラブ人の国を建設するつもりでいた彼らにとって、
それは大変許しがたいことだったのでしょう。

1948年の国連決議で『二つの国を建設する』
という決議案が採択されたにもかかわらず、
資金を後ろ盾にイスラエルは侵攻をつづけ、
次から次へと領土を拡大していきます。

パレスチナ人の自治が認められた土地には、
『入植地』と言う名目で安い家を提供して、
ユダヤ人の土地へと勝手にすり替えています。

私が行った頃にも入植地が増え続けていました。
その後この境にはコンクリートの壁が作られ、
パレスチナ人の自由を少しづつ奪って来ました。
それは且つてのゲットーのようなものです。
自分たちがされたことを、弱い民族に仕返ししています。

と簡単に問題を要約できれば良いのですが、
私の解説はあくまでもウワッペラにすぎません。
それぞれの国で簡単に必要事項だけお話しましたが、
もう少し歴史的に見られたい方は、
鎌田圭司先生の『世界の歴史を学ぶ部屋』をご覧下さい。

800px-Israeli_West_Bank_Barrier.jpg
バレスチナ内に建設された壁 by wiki

旅行情報
イスラエル政府観光局
http://www.goisrael.com/Tourism_Eng/Pages/home.aspx
エルサレムの観光局
https://www.jerusalem.muni.il/jer_main/defaultnew.asp?lng=2
パレスチナ観光局 日本語
http://www.visit-palestine.net/generals/


キリストの生誕地『聖誕教会@ベツレヘム』

ベツレヘムと言えばイエスの生誕の地です。
生まれたと言い伝えられている洞窟を中心に
聖堂が建設されたのが『聖誕教会』です。
『降誕教会』とも『生誕教会』とも言われています。

326年に建設されましたが、
529年反乱によって破壊されました。
その後規模の大きな物が再建されました。
『東方三博士の礼拝』のモザイクが床にあり、
このためにイスラム教勢力からの
破壊を免れたと言われています。

高さ120cmしかない教会の入り口は、
『謙虚のドア』と呼ばれています。
ひとりがやっと入れる大きさですが、
中は天井も高く割と広いです。

階段を下りるとイエスが生まれた洞窟があります。
今は祭壇がありますが、小さいので順番を待ちます。
潜り込んで祭壇の下を覗き込むと、
1717年フランスから献上された
シルバーの星が埋め込まれています。
ラテン語で『ここでイエスキリストは
聖母マリアからうまれた』と刻まれています。

聖誕教会の隣に建てられてているのが、
フランシスコ派の修道院で聖カテリーナ教会です。
毎年12月24日に行なわれるミッドナイトミサは
全世界に中継されるほど有名です。

聖墳墓教会でも感じたことですが、
いろんな宗派によって別々に管理されているので、
ことなった聖職者を見れるのがユニークでした。。

毎年大晦日に合同の大掃除があるそうですが、
この時に管理している区画に入った入らないで、
大げんかになることもあるそうです。
これではユダヤとパレスチナが喧嘩をしても、
キリスト教徒が仲裁できないわけですね。

聖誕教会』は2011年に世界遺産に指定されました。
パレスチナにとって最初の世界遺産ですが、
国として認めていないアメリカは
その動きにすごく反対したそうです。
ユネスコへの分担捻出金の支払いを停止しているそうです。

800px-Birthplace_of_Jesus.jpg
      聖誕教会 by wiki

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パレスチナ自治区へ

パレスチナ自治区にあるベツレヘムには、
ダマスカス門近くからアラブバスに乗りました。
アラブバスとは、パレスチナ人によって
運営されているバスのことです。
パレスチナ自治区内を走っています。

21番のバスにのると30分でチェックポイント、
さらに中心地まで30分程かかります。
チェックポイントでパスポートを提示します。
当時はまだ自治政府のみでした。
出入国のスタンプはもらえません。
2012年の国連決議で『国家』に格上げされました。
正式加盟国とは異なり、権限は以前と同じです。

日本で生まれ移民国で生活している私には、
民族の意識の違いが良くわかりません。
『白豪主義』の頃にオースおラリアに来ていたら、
肌で感じることになったかもしれませんね。

同じような民族なのにイギリスから
北アイルランドが独立したがっています。
長い間ここでも紛争が起きていました。
最近はスコットランドまで独立を希望しており、
数年後に国民投票が行なわれる予定です。
平和に解決出来るなら問題ありませんね。

しかし宗教も民族も異なるのですから、
パレスチナ人にとっては『国家』として
認められることは必死の思いだと思います。

世界中の資本を牛耳るユダヤ人社会は、
共存すること望まず、支配することに決めたのです。
それは長い人類の歴史の中で
『ユダヤ人』が『ユダヤ人以外の白人』や
『キリスト教徒』から迫害を受けて来た
民族としての反乱かもしれません。

『ホロコーストで迫害された』ユダヤ人達を
本当に可哀想だと思いますが、
今同じようなことを『パレスチナ人にしている』
ユダヤ人に反対するを人達はいないのでしょうか。

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     ベツレヘム by wiki

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私の訪問国 97カ国目
パレスチナ

宗教によってことなる『安息日』

安息日と言えばキリスト教徒では日曜日です。
今ではレストランやスーパーも営業していますが、
シドニーに来たばかりの頃は。街が死んでいました。
独身の若者にとっては『安息日』は
一週間で一番つまらない曜日でした。

現在でもクリスマスやイースターになると、
さすがにどの店も閉まりますが、
中国人の多い所では普通に営業しています。
彼らには『安息日』はないのしょうか?

私が現在住んでいるキャンプシーにも、
中国人が経営する食料品店がいくつもありますが、
彼らの元旦でさえ開いている所が多いです。
365日夫婦で経営している店が
朝早くから夕方遅くまで営業していますよ。

子育てや家庭のことは両親に任せて
一生懸命働いていると思うのですが、
一日も休まない言うのはすごいです。

イスラルでは安息日がハッキリしていました。
パレスチナ人が多い所では『金曜日』
ユダヤ人が多い所では『土曜日』でした。
その日は必ずそれぞれお祈りに出かけるようです。

観光客相手に商売をしている旧市街では
営業している所もあったような気がしますが、
安息日』はビジネス街は静かでした。
週末に丸の内界隈を歩いているようなものです。

公共のバスまで運行されないのは、
観光客にとってちょっと痛手でした。
旧市街はヨルダン川西岸地区にありますが、
イスラエルが実行支配する地域です。

ベツレヘムはパレスチナ自治区に当たります。
エルサレムが『安息日』に当たる土曜日に
この自治区を尋ねることにしました。
もちろんアラブバスに乗って行きました。

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 ジュース屋さん by Tripadvisor

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国中をパトロールする兵士達

旧市街はには11の門がありますが、
現在オープンしているのは7つのみだそです。
北側の中央にあるダマスカス門は、
宿から近かったので滞在中に何度も通過しました。

観光客が行き交う各門の所では、
行商するパレスチナ人も多かったですね。
観光客相手のお土産物や食べ物を売っていました。
その横でマシンガンを持った兵士達が
パトロールしているのがこの街の普通の姿です。

ユダヤ人はヨーロッパ各地から移り住んだので、
イスラエルは中東でも一番近代的な国です。
白人が殆どで、女性も男性と同様に働いており、
中東にいる雰囲気が全くありませんでした。

市内にはファーストフードの店も多く、
まるでアメリカの何処かにいるようでした。
アメリカと大きく違うのは、
兵士達が至る所で治安に当たっていることですね。
シリアやレバノンでも兵士はいませんでした。

和平調停をしてパレスチナの自治が開始されて数年後、
ハマスによるテロ事件が始まっていましたが、
兵士達もそんなに重装備はしていませんでした。
ここは男女ともに徴兵が義務づけされているので、
女性の兵士も普通に見かけました。

銃を持った制服姿にはギョッとしましたが、
休憩時間にマクドナルドでハンバーガーを食べ、
携帯で電話している姿は『普通の若者』です。
若い観光客がいると目線で追ったりして、
外国に脱出したら『普通の生活』が過ごせるのに、、。

イスラエルに生まれた、ユダヤ人としての誇りでしょうか?
海外に住んでいて、『祖国イスラエル』に戻って、
祖国のために『兵役に就く』のは当たり前だそうです。
隣国がアラブ諸国と言うイスラエルに生まれた、
それが彼らの宿命なのかもしれません。
兵役が廃止され、平和が訪れる日は来るのでしょうか。

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     聖墳墓教会 by wiki


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悲しみの道『ヴィア・ドロローサ』

エルサレムにキリスト教徒が巡礼にくるのは、
キリストの墓があると言われる場所に建つ
聖墳墓教会を訪れるためです。

キリストが処刑されたと言われる
ゴルゴタの丘はここにあったそうです。
326年コンスタンティヌス1世の母が
エルサレムを訪れた時に、
聖十字架と聖釘などを発見したと言われています。。

処刑後復活したキリストは
40日後に天に昇ったとされているので、
地上に遺骸は残されていません。
処刑は城壁の外で行なわれたする人達は
ダマスカス門の近くにある『園の墓』を
キリストの墓と信じています。

この聖墳墓教会に続く道が『ヴィア・ドロローサ
イエスは十字架を背負って
不正な裁判を受けた場所、総督ピラトの官邸から
ゴルゴタの丘まで歩きました。
そのために『十字架の道』とも呼ばれています。

それは14の留(ステーション)に分かれています。
エルサレムに来た巡礼者や観光客は、
その道を尋ねて祈りを捧げています。
これを『十字架の道行』と呼んでいます。

キリスト教会ではその14の場面を
絵画やレリーフ、ステンドグランス)に描き、
信者が祈れるようにしてありますが、
15番目は『復活』で祭壇に向って祈るそうです。

金曜日になるとフランシスコ派の修道士が
この道を十字架を背負って行進します。
信者や観光客は賛美歌を合唱しながら、
その後をついて行きくことになります。
エルサレムには是非金曜日に滞在して下さい。

悲しみの道『ヴィア・ドロローサの場所については、
3大陸5カ国子連れ旅行記さん』のブログは、
場所の説明があり分かりやすいと思います。

また『十字架の道行』については
浦上天主堂の公式サイトより、
故中田秀和画伯が描かれた絵をご覧下さい。


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   悲しみの道 by Tripadvisor



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『嘆きの壁』で祈るユダヤ人

『岩のドーム』はイスラム教の管理下にありますが、
南西の壁の外側の一部は『嘆きの壁』として、
ユダヤ教徒の管理下になっています。

この壁は『エルサレム神殿』の一部です。
紀元前10世頃ソロモン王が建設した神殿を、
紀元前20年にヘロデ大王が、
完全改築に近い形で大拡張した神殿です。
この神殿は唯一神『ヤハウェ』の聖所でした。

神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分で、
ユダヤ人は『西の壁』と呼んでいます。
現在この前が広場になっており、
壁に向ってお祈りをするユダヤ人の姿が見られます。
エルサレムの印象としてテレビで放映されるのは、
この姿が一番多いかもしれませんね。

イスラエルが建国されたのは1948年。
独立宣言後すぐにアラブ連合と戦争に突入しました。
戦争に勝利してイスラエルの大部分を獲得しますが、
ガサ地区はエジプト領となり、
エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区は
ヨルダン国に併合されました。

1967年第三次中東戦争で
イスラエル軍が勝利、占領するまでは、
嘆きの壁』でお祈りすることはできませんでした。
その後もヨルダンとの紛争が続きますが、
やっと1994年の和平調停によって、
ヨルダンが領有権を放棄しました。

私が小さい頃からイスラエルとアラブの火種だった
『ヨルダン川西側地区』はイスラエル軍と
パレスチナ自治政府によって統治されています。
しかし実際はイスラエル軍が行政権、
軍事権ともに実権を握る地区が大半で
パレスチナ人は厳しい生活を強いられています。

度重なる戦争によって難民化したパレスチナ人と
2000年もかけて建国を果たしたユダヤ人の共存は
そう簡単には行かないのでしょうね。

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嘆きの壁 by wiki


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黄金に輝く『岩のドーム』

旧市街は4つの区画に分かれています。
19世紀に導入されたようですが、
イスラム、ユダヤ、キリスト教徒と
アルメニア人の区画があります。

エルサレムの街を臨むと一番目につくのが、
神殿の丘にある『黄金の岩のドーム』です。
イスラム教徒とユダヤ教徒の区画境にあります。
692年に完成しましたが、
11世紀に再建されたものだそうです。

ユダヤ教において『聖なる岩』は、
アブラハムが息子のイサクを
神のために捧げようとした台だそうです。

イスラム教にとっては重要なのは、
預言者ムハンマドがメディナにある
『預言者のモスク』に滞在していたころ、
一夜のうちにエルサレム神殿まで旅してきました。

その岩を取り囲むようにして作られたの『岩のドーム
いつも黄金色に眩しく輝いていますが、
1993年ヨルダンのフセイン国王が、
補修に必要な資金を寄付したそうです。

80kgの金を購入するために8億円、
ロンドンにある自分の家を売って資金を作りました。
イスラエルと和平調停する前年のことですが、
そんな粋なことをする王族は少ないですね。

丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念する
アル=アクサー・モスク(銀のドーム)が建設されました。
『神殿の丘』は限られた時間のみ観光客も行けますが、
混雑するので早めに行った方が良いようです。

岩のドーム』と『銀のドーム』は、
現在イスラム教徒以外は入場できません。
私も何かしらの理由で入場できませんでした。

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   岩のドーム by wiki

観光情報
岩のドーム公式サイト
http://www.domeoftherock.net
旅行情報
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エルサレムの巡礼宿『オーストリアンホスピス』

エルサレムでは旧市街に泊まりました。
わずか1㎢の旧市街は世界遺産のひとつですが、
この狭い中にキリスト教、ユダヤ教、
そしてイスラム教の重要な遺跡があります。
そこに泊まれば観光にも便利です。

宿泊私設の情報が少ない時代でした。
インターネットなどまだ殆ど利用できません。
ロンリープラネットの宿泊情報から
『オーストリアンホスピス』に滞在しました。

旧市街にはホスピスがたくさんあります。
これはオスマン帝国の統治時代に
キリスト教徒が安全に巡礼できるようにと、
カソリックの王族や教会が特別な契約が結び、
エルサレムに施設を作ったのが始まりのようです。

オーストラリアンホスピスは1863年
オーストリア皇帝の援助によって建設されました。
ピウス9世がキリスト教区を再建することを決め、
フランス軍が治安維持していた場所に
オーストリアも巡礼者用の施設を建設しました。

しかし建設されてから150年の歴史の中、
安定して運営できない時期もあったようです。
二回の戦争の影響で英国の手に落ちたり、
エルサレムの政治的事情により巡歴ができませんでした。

1990年に入りやっと平和に運営開始できましたが、
私が行った頃までは利用者も少なくかったようです。
そこでオーストリアからの巡礼者だけでなく、
世界中からの巡礼者や観光客にも
ゲストハウスとして門戸を開くことになりました。

この建物は『悲しみの道』に面しています。
お土産屋さんもレストランもあって便利です。
エルサレムにはこんなホスピスがたくさんあります。
決して一番安くないかもしれませんが、
清潔で安全なことは間違いないようです。
施設によっては食事付の所もあります。

オーストリアンホスピス@エルサレム
http://www.austrianhospice.com

austrian-hospice.jpg
オーストリアンホスピス by Tripadvisor

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三大宗教の聖地『エルサレム』

エルサレムを『イスラエルの首都』と主張していますが、
現在国連では認められていません。
しかしこの街ががユダヤ国家にあっても、
ユダヤ教、キリスト教、イスラムに教にとって、
聖地になっていることは間違いありません。

日本では以前から神道と仏教が信じられています。
私の家には神棚もあれば、仏壇もありました。
裏山には『山の神』を祀る祠があり、
田植えが始まる前は『水神さん』を祀り、
村では金比羅山まで祀っていました。

しかしエルサレムに住んでいる人が
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を、
ごっちゃまぜにして信仰しているわけではありません。
信仰の中でそれぞれ宗教が生まれて来ました。

ユダヤ教は紀元前1280年頃、
モーゼがヘブル人をエジプトから脱出させ
シナイ山で神ヤハウェと契約を結びます。
ユダヤ王国が新バビロニアに滅ぼされると、
『ユダヤ教団』として生きる道を選びます。
『タナハ』を聖典としています。

『タナハ』はキリスト教徒にとって『旧約聖書』です。
私も小さい頃読んだ記憶がありますが、
冒頭の天地創造だけで飽きてしまいました。

キリストはユダヤ人として生まれますが、
彼の教えを信仰した人達が『キリスト教徒』になります。
キリストを『メシア(救世主)』と呼び、
唯一の神の子としているのが特徴ですね。

イスラム教はアラブ人の間で生まれた宗教です。
メッカで生まれたムハンマドは、
610年頃ヒラー山の洞窟で瞑想にふけていると、
大天使ジブリールに出会い、
唯一神『アッラーフ』の啓示を受けます。

預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは、
近親者にこの啓示を教えを説き始めます。
これがイスラム教の始まりと言われています。
この啓示が『クアルーン』にまとめられており。
イスラム教の唯一の啓典とされています。
その中には『旧約聖書』の一部が含まれています。

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  エルサレム by Tripadvisor

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イスラエルの入国スタンプ

アランビー橋』をバスで渡って、イスラエルの入国審査です。
隣国からの不正入国を防ぐためかどうかわかりませんが、
入国審査は今までの国の中でも厳しかったですね。
と言っても検査が多いだけなので、
現在のアメリカ入国審査とあまり変りません。

荷物は飛行機に乗る時のように、
セキュリティー検査に通しました。
テロ事件が増えているので、
現在はもっと厳しいかもしれません。

今までアラブ人が多かったのに、
ここでは白人(ユダヤ人)ばかりです。
今までと違って女性の係員もたくさんいます。
ヘブライ文字の案内がなければ、
何処の国に来たのかちょっと戸惑います。
中近東にいる感じが全くしませんでした。

入国審査の際はパスポートを丹念に調べます。
イスラエルと敵対している国のスタンプがあると、
厳しく取り調べられるとも聞きましたが、
『何日ぐらいいるのか?何処に滞在するのか?』
そんな常識的な質問だけで終わりました。

パスポートにスタンプを押すかと聞かれました。
その後エジプトに陸路で行く予定でした。
スタンプがあっても特に問題はないようですが、
将来何処の国に行くかわからないので、
別紙にスタンプを押してもらいました。

あれから中近東周辺の国には旅行していません。
イランやイラク、できたらアフガニスタンも行きたい。
イスラエルと敵対している国はたくさんあるでしょうが、
パスポートにスタンプがないのは、ちょっと心残りでです。

ヨルダンイスラエル間の出入国に関して、
バス代や出国税など必要ですので、
アンマンを出る際に必ず現地通貨を残して置いて下さい。

私のブログはあくまでも旅行記ですので、
最近国境を通過された方のブログを参照して下さい。
とある夫婦の世界中旅行記『せかいつながる』
写真付でとても参考になると思います。


   エルサレム by Flickr



旅行情報
イスラエル国境情報
http://www.iaa.gov.il/Rashat/en-US/Borders/Alenbi/
イスラエル政府観光局
http://www.goisrael.com/Tourism_Eng/Pages/home.aspx
エルサレムの観光局
https://www.jerusalem.muni.il/jer_main/defaultnew.asp?lng=2



私の訪問国 96カ国目
イスラエル





ヨルダンからイスラエルへ

ペトラ遺跡から戻った翌日は
中近東で一番行きたかったイスラエルに向います。
首都アンマンからセルビス(乗り合いタクシー)で
国境にある『キングフエイン橋』まで行きます。

アンマン市内では普通の住宅街を抜けて行きました。
それを過ぎると何もない砂漠が広がります。
1時間程で到着、いよいよヨルダンの出国審査です。
出国審査はどの国でも簡単に終わります。

ヨルダンイスラエルの国境(ヨルダン川)かかる
キングフエイン橋』はヨルダン国の名称で、
イスラエル人は『アランビー橋』
他のアラブ人は『アル・カラマー橋』と呼ぶそうです。

1918年に最初の橋が建設されましたが、
戦争で過去に何度も爆破されました。
仮設の橋が1968年に建設されたました。
しかしイスラエルヨルダンの紛争のため、
やっと1994年に通行が許可になりました。
この橋はヨルダン川が氾濫すると通れない時もあったので、
日本のODAの援助によって新しい橋が建設されました。

この橋は外国人観光客とパレスチナ人のみ通過出来るそうで、
イスラエル人は『ヨルダンリバークロッシング』を利用します。
こちらは海外旅行者も利用できるようですが、
パレスチナ人は利用は認められていません。

ヨルダンとイスラエルの国境間を歩くことはできません。
必ずバスに乗りますが、もちろん有料です。
出国審査の時に渡したパスポートは、
このバスの中でやっと返してくれます。
不正入国などをさせないためかもしれませんね。

いよいよイスラエル側に向います。
中近東にあって唯一アラブ人の国でない国、
ユダヤ人が建国した、ユダヤ人のための国
どんな国なのかとても興味がありました。

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   キングフセイン橋 by wiki





ヨルダン南部も捨てがたいけど、、

ヨルダンの観光は死海とペトラだけではありません。
さらに南へ行けば『アラビアのローレンス』の舞台
ベドウィンが住むワディラムがあります。
さらにダイビングスポットアカバも有名ですね。
リゾートホテルが多いようですが、
そこから紅海を渡ってエジプトに抜けることもできます。

アカバはイスラエルとも国境をなしていますが、
そこからエルサレムに戻るには時間がありませんでした。
フライトの関係上最後はカイロから出発、
イスラエルを最初に廻ってカイロに行きます。
エジプトはカイロだけするかどうか悩みましたが、
ヨルダンの南部を止めて、エジプトに回すことにしました。

そのためにはペトラからアンマンに戻って、
エルサレム行くのが一番最良のようです。
一ヶ月足らずで中近東6カ国を訪問するのが、
無茶なのかもしれませんが、
意外と旅行しやすく観光地も多いので、
ついつい首都以外の街にも滞在してしまいました。

アンマンに戻るとまた例の日本人達と会い、
旅の話に花を咲かせました。
他の人はイエメン行きのビザが取れて、
いよいよ数日後に出発のようです。
一緒に旅した女性の方ともお別れです。

彼女の名前も今では忘れてしまいましたが、
こうやって旅で知り合った友人は何人いるか。
最近の筆無精のせいでもう連絡もしていませんが、
今でも旅を続けている方もいるかもしれません。

もしかしたら何処かでこの記事を読んで下さるかな?
いつかそんな人達と再会してみたい気がします。
人生の中の一瞬をシェアーした人達、
たとえ往きすがりの人でも、
私にとっては大切な旅の仲間です。


一年の終わりに、、、
ブログで知り合った皆さんとは
実際にお会いする機会は殆どありませんが、
こうやって一年を無事に過ごせたことに感謝します。

いつも私のブログに訪問ありがとうございます。
途中でブログを止めたり、移転された方もいます。
ブログが更新されていない方もいますが、
こうやって出来た縁は大事にしたいと思います。
どうぞお元気ですばらしい年をお迎え下さい。


800px-Wadi_Rum_Monument.jpg
      ワディラム by wiki

旅行情報
ヨルダン政府観光局
http://jp.visitjordan.com
ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html




ペトラ遺跡の見所

シークを抜けるとそこにあるのが有名な『宝物殿』
ペトラ遺跡の他の建物と同様に、
砂岩の崖のの岩肌を掘って作られています。
今までこのような建物を見たことがなかったので、
初めて見たとき驚いてしまいました。

『宝物殿』と呼ばれていますが、
実際は王家の墳墓として利用されたようです。
高さが43mにもあるそうですが、
どんな足場を組んでこれを掘ったのか、
高所恐怖症の私は見るだけで震えがきます。

中に入るとひんやりして気持ちよかったです。
夏の暑い時でも冷房はいらないと思います。
階段があって上っている人もいましたが、
他にも見る所があるので次に進みました。

ファサードの道を通って行くと
狭い道は一辺に広がり、遺跡全体が見られます。
まずは崩れかけたようなローマ劇場が見られます。
他の都市で立派な劇場をたくさん見たので
ペトラ遺跡にしてはちょっと期待外れです。

列柱のように建設された物もありますが、
たくさんの建物が崖に掘られています。
ピラミッドのように全体が墳墓として
建設されたわけではないでしょうが、
とにかく遺跡のあちらこちらにありました。

村に滞在している人は日中の暑い間、
ホテルに戻って昼寝をする人も多いようです。
日本人観光客のようにアンマンから日帰りでくると、
観光の中心がこの暑い時間になるので注意して下さい。

私達はランチを持って来ていたので、
壁にある墳墓のひとつで休憩をすることにしました。
昼寝をしている間、ロバが叫ぶ声がうるさかったですが、
ベドウィンもこの間は仕事は休憩時間かな。

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 宝物殿 by ペトラ観光局



旅行情報
ペトラ遺跡の公式サイト
http://visitpetra.jo/Default.aspx
ヨルダン政府観光局
http://jp.visitjordan.com
ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html


ペトラ遺跡の入場料

1989年に上映されたハリソン・フォード主演の
『インディー・ジョーンズシリーズ/最後の聖戦』は、
内容よりも『ペトラ遺跡』に魅了された私です。

映画のために作られたセットだと思っていましたが、
それが実際にヨルダンにある遺跡と知ると、
絶対に見に行くぞと心に決めました。
旅に出る前に買ったガイドブックの写真を見ては、
遺跡を実際に見れるとワクワクしたものです。

ペトラ遺跡はワディムーサの村から歩きます。
ホテルが遠い人はタクシーも利用できますが、
私達は開園前に到着するように歩いて行きました。

ペトラはナバてア人によって作られた遺跡です。
紀元前1世紀ごろ交易の中心として栄えたそうです。
その頃はローマの支配にあったので、
ローマ風の建設が盛んでしたが、
紀元後106年にアラブの属州になりました。

1812年スイスの探検家ヨーロッパに紹介しましたが、
20世紀以降発掘調査が行われています。
現在発掘されたのは全体の1%とか、
この遺跡の大きさを把握するのはは不可能です。

ビジターセンターで入場料を払いますが、
現在一日券が50JOD、二日券が55JODです。
現在1JODが145円位ですから安くないですね。
カードは利用できず、ヨルダンの現金のみだそうです。

私が行った頃は一日券でももっと安かったけど、
これなら二日券を買ってゆっくり見た方が良いです。
ここでは地図をもらうこともできますが、
主な遺跡について説明されているので、
行く前にチェックして置いた方が良いですね。
ツアーできたらそんな余裕もないかも知れませんが、

いよいよシークを抜けてペトラに入って行きます。
インディーが馬で駆け抜けて行った通路です。
自然が作った通路とは思えない、
『失われた都市ペトラ』への不思議な入り口です。

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 シーク by ペトラ 観光局

旅行情報
ペトラ遺跡の公式サイト
http://visitpetra.jo/Default.aspx
ヨルダン政府観光局
http://jp.visitjordan.com
ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html



死海からペトラへ

死海で浮かんでいたのはわずか10分足らずです。
真夏の死海では日差しが強過ぎて、
それ以上いると日射病になってしまいます。
今ならリゾートのプールやスパでのんびり出来ますが、
私達が行った海小屋は、それも設備もなければ、
貧乏旅行にそんなゆとりもありませんね。

水のシャワーがとても心地よかったです。
塩分をしっかりと洗い流すと、
Tシャツに着替えて死海を後にしました。

距離的には迂回する程度ですが、
ヨルダンはバス網が発展していないので、
アンマン〜死海ペトラと個人で旅行するのは、
レンタカーかタクシーのチャーターになるようです。

ひとり旅はツアーが一番安心できますが、
真夏の猛暑の中でバスを探したり、
何時間も待つ羽目になるのは地獄です。
ちょっと贅沢でもツアーが楽と言うわけです。

死海から2時間程でペトラに到着しました。
ヨルダンの旅のハイライトだけでなく、
今回の中近東の旅のハイライトと言えそうです。
ペトラ遺跡』を見るために来たのですから。

宿は含まれていないので、二人で探して。
適当な安宿に泊まることになりました。
二人旅の良い所は宿代が安く済むことです。

今回の旅ではドミトリーは利用しなかったので、
シングル部屋はツインと変らない時もあります。
観光してすぐにアンマンに戻る人もいますが、
私達はゆっくり観光したいので二泊しました。

明日はいよいよ憧れの『ペトラ遺跡』
インディアナ・ジョーンズを見た時は、
『特撮』だと思っていたあの建物を見れると思うと
興奮してなかなか眠れませんでした。

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リトルペトラ by ペトラ観光局


旅行情報
ペトラ遺跡の公式サイト
http://visitpetra.jo/Default.aspx
ヨルダン政府観光局
http://jp.visitjordan.com
ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html

死海のビーチとアンマンからの行き方

日本からのパッケージツアーで行くなら簡単ですが、
死海と言うとイスラエル側のイメージが多くて、
ヨルダンで行けると思っていない方も多いようです。

死海への日帰りならツアーにも参加できます。
キリスト洗礼地やネボ山を含めたツアーが催行されています。
値段や内容はツアー会社によって異なります。

ミニバスとタクシーを乗りついで行くこともできます。
詳しい情報はアンマンに滞在経験のある
アンマンレジデンスさんのブログ
『アーディで行こう』をご覧下さい。

アンマンレジデンスさんのブログには
死海にあるビーチについても詳しく紹介されています。
近年マリオットホテルのように
スパやプールを備えたリゾートホテルがオープンしました。

外部の人が入場料を払って利用できるようですが、
リゾートによっては、ホテルゲストしか利用出来ない所もあります。
プール料金とエステ料金は別ですので注意して下さい。
モーベンペックリゾート&スパはエステで有名ですが、
空港からのトランスファー(二人で56JOD)もあります。
個人で泊まる方は利用されると移動が楽です。


ヨルダンの死海 高級ホテルのプライベートビーチ
ではリゾートホテルについて記載されていますが、
ヨルダンの死海 アンマンビーチとタダビーチ
ではシャワーや着替え室などの簡単な設備のある
ビーチについて記載されています。

私が行ったのもこんな所ですが、
死海は暑くて長いこと利用できないので、
『浮かんでみたい』という体験をしたいのであれば、
こんな設備の所で良いと思います。

ヨルダンのバスの移動としてJETTがあります。
国内だけでなく隣国とも結んでいます。
アンマン市内にあるアブダリバスターミナルから
死海行きやペトラ行きのバスもでています。

死海からペトラへの行き方としては、
一度アンマンに戻る方が時間的にも早いようです。
でもどうしても直接行きたいと言う方は、
両方を尋ねるツアーに参加する方が便利です。
死海からマダバまでタクシーやセルビスで行けば、
ペトラ行きのセルビスに乗ることができるようです。


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  死海 by Moevenpick Resort


旅行情報
ヨルダン政府観光局
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ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html




死海で浮かんでみよう

死海は今や欧米の一流ホテルが進出して、
世界的なリゾートになっています。
死海に浮かぶのを目的に来るだけでなく、
ミネラルがたっぷりと含まれた泥で、
トリートメントしに来る観光客が多いようです。

冬には暖かい土地を求めて、
ロシアヨーロッパからの観光客が多いですが、
40度以上に暑くなる夏は地元の人くらいですね。

私達も10時頃には到着しましたが、
すでに外は日本の夏よりも暑かったです。
乾燥しているので日陰にいると良いのですが、
一歩外にでると太陽の日が肌を刺します。

勝手に入れる場所もあるかもしれませんが、
シャワー付の海の家のようなところです。
水着に着替えて死海の方に近づきましたが、
箱に入った泥が置いてあり、
ミネラルパックとしてぬることができます。

いよいよ噂の死海に足を入れました。
生温い塩水が体を包むようです。
歩く度にモアレが波紋となって広がります。
しばらくすると体がヒリヒリして来ました。
小さな傷口から塩水がしみ込んだようです。
まだ絶えられる位の痛みでしたが、
傷口が大きかったら絶対に海に入れません。

さて死海で泳いでみることにしましょう。
さすがに顔をつけることはできませんが、
どんなにトライしても体が沈みません。
足を延ばして本を読んだり、
ビールを飲むことも可能ですよ。

宇宙遊泳とまでは行きませんが、
これなら安心して海中遊泳ができます。
日差しが強いので、サングラスをして、
日傘をさして泳いだ方が良いかもしれません。

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   死海に浮かんだtakechan


旅行情報
ヨルダン政府観光局
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ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
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死海に続く道

私は知り合ったひとり旅の女性と一緒に
死海とペトラに行くことになりました。
彼女は知り合った日本人とイエメンに行きますが、
ビザを待っている間にヨルダンを観光する予定でした。

ひとりよりも二人の方が心強いと言うので、
一緒に旅をすることになりましたが、
イエメンに行くと言う彼女には脱帽します。
残念ながら女性ひとりでは旅の出来ない時代、
旅行者が集まるアンマンで情報を集めたかったようで、
もし一緒に行ってくれる人が見つからなければ、
他の国を旅行するつもりでいたようです。

まだアンマンに来たばかりで、
イエメンのビザを申請するのが最優先。
旅にはフレキシブルも必要ですが、
優先順位を決めて旅行しないと、
無駄に時間とお金を費やしてしまいます。

私の場合そんな暇がないので、
旅に出る前に殆ど準備していましたが、
何処に行くかはリストアップしていても、
その国の事情によって変更可能にしています。

死海はイスラエルで行くつもりでしたが、
どちらから行っても見るのは同じ死海
一緒に旅行してくれる人がいる時が楽しいです。

キリストの洗礼地に行った時とほぼ同じ道ですが、
今回は10人乗り位のミニバスツアーでした。
シリアのようにぎゅう詰めでもなく、
道路も舗装がしっかりしてあり楽でした。

砂漠を走っていると、アメリカに似ています。
ネバダやユタ州の何処かを走っているようです。
デスバレーと同じ海面下にあるのですから、
まわりの地形も似て来るのかも知れません。
デスバレーは遠くにシェラネバダを臨めますが、
ここは小さな山はあっても砂漠が続いていました。

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   死海に続く道 by Panolamio

観光情報
ヨルダン政府観光局
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ヨルダンの日系旅行会社 ピクチャーティックヨルダン
http://picturesque-jordan.com/service_Introduction_Japanese.html

ヨルダンにあるキリスト洗礼の地:Bethany Beyond Jordan

翌日は皆が私のいるホテルに集合して
ツアー出発場所まで歩いて行きました。
ツアーに参加するのが一番楽です、
言葉や手段を心配する必要がありません。

キリストはヨルダン川において
洗礼者ヨハネから洗礼を受けたそうです。
『福音書』によって記述がことなるようですが、
キリスト教徒では大事なできごとのようです。

ヨルダン川はシリアやレバノンの山に端を発し、
現在イスラエルとの国境になっています。
戦後絶え間なく国境紛争の舞台になっていますが、
キリストが洗礼を受けた頃は、
現在のような国境はありませんでした。

洗礼の地はいくつか候補があるようです。
イスラエル側はガラリア湖の南側、
ヨルダン川に注ぐ当たりヤルデニットにあります。
ここは軍事監視区域に指定されており、
一部が巡礼者に解放されているようです。
サイトで見る限りこちらの方が設備が整っています。
Yardeniit http://www.yardenit.com

ヨルダン側はBethany Beyond Jordanと呼ばれており、
アンマンから50km程離れた所にあります。
当時まだ遺跡が発掘中でしたので、
設備らしいものは殆どありませんでした。

オーソドックの教会が当時もありましたが、
現在は新しい教会がいくつも立てられているそうです。
入場料は7JD(1DJ=約145円)です。
夏は毎日8〜18時まで開園していますが、
気温が40度くらいまで上がるので、
ツアーに参加して行った方が良いようです。

ネボ山(神がイスラエルの民に与えられた約束の地を、
ヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所)や
死海を一緒に観光するツアーがアンマンからでています。

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 Bethany Beyond Jordan by wiki

観光情報
ヨルダンの洗礼地
Bethany Beyond Jordan
http://www.baptismsite.com
イスラエルの洗礼地
Yardeniit http://www.yardenit.com
Go2Jordan.info
http://www.your-guide-to-aqaba-jordan.com/


クリスマスイブに寄せて、、、
宜しかったらその続きからご覧下さい。

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