地球ワーキングトラベラー見聞記
カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。
2019/06/03 Mon.
スワードに貢献した日本人
Posted on 01:03:53
私は移民者のひとりとして
先人たちの努力と功績を
他の人たちと分かち合う義務があります。
ブログを書き始めて調べるうちに、
知らなかった事実をたくさん知りました。
このスワードの発達に貢献した
日本人の方がいらっしゃいました。
大阪生まれの「Harry Sotaro Kawabe」
1906年わずか16歳で渡米、
シアトルで3年過ごしてアラスカに移住、
一角千金を夢見た金で財産を無くし、
スワードに移り、ビジネスを始めました。
1923年からしばらく日本の帰国、
その時結婚した奥さんが亡くなると、
またアラスカに戻り手広く仕事を始めました。
彼の会社はスワードの殆どを網羅しており、
そのおかげで街が発展したそうです。
1941年スワードの大火事発生、
翌年日本が真珠湾攻撃をすると、
彼を始めアラスカに住む日本人も
すべて強制収容所に送られました。
終戦後、彼はスワードには戻らず、
再婚した奥さんとシアトルに移住、
そこで日系人のために活躍しました。
そのひとつが彼がシアトルに建てた、
日系人シニア用のアパートがあります。
1969年に亡くなりましたが、
その後も彼の寄付は続きます。
1978年この街の高校生だけが
利用できる奨学金制度を設立しました。
現在でも彼が当時経営していた、
建物の一部が保存されています。
また街の中には彼の功績を称えて
Kawabe公園が作られました。

スワードにあるカワベ公園 by wiki
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