地球ワーキングトラベラー見聞記
カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。
2019/03/14 Thu.
若いアラスカに向かった開拓団
Posted on 01:05:56
1898年当時のアラスカにも、
ホームステッド法が施行されると、
わずかの人たちが入植を始めました。
翌年にノームで金が発見されると
ゴールドラッシュの波とともに
アラスカに入植する人が増えました。
しかし当時はアンカレッジ周辺の
比較的平野部でやや土地がこえた場所、
森と沼地に覆われた内陸部まで
入植してくる人は少なかったです。
1905年タルキートナの西の方で
金が発見されましたが、
南からのルートは道も険しく、
やって来る人は少なかったです。
1917年にタルキートナまで
アラスカ鉄道が開通すると、
金鉱までワゴンロードが建設され、
川を渡るフェリーも開通しました。
フェリー乗り場近くの土地は肥え、
ホームステッドに向いているというので、
ここに開拓の幕が上がりました。
トラッパークリークは川を挟んで
タルキートナから反対側にあります。
「開拓すれば土地が自分の物になる。
皆で力を合わせて団結すれば、
何でもできる」という夢を信じて、
アラスカを目指した人たちがいます。
通称「ミシガン59’ers」と呼ばれる、
デトロイト出身の21家族の移民団です。
「アラスカか破産か」と言われながら、
7000kmの旅に出ました。

アラスカの民家のリビング
ホームステッド法が施行されると、
わずかの人たちが入植を始めました。
翌年にノームで金が発見されると
ゴールドラッシュの波とともに
アラスカに入植する人が増えました。
しかし当時はアンカレッジ周辺の
比較的平野部でやや土地がこえた場所、
森と沼地に覆われた内陸部まで
入植してくる人は少なかったです。
1905年タルキートナの西の方で
金が発見されましたが、
南からのルートは道も険しく、
やって来る人は少なかったです。
1917年にタルキートナまで
アラスカ鉄道が開通すると、
金鉱までワゴンロードが建設され、
川を渡るフェリーも開通しました。
フェリー乗り場近くの土地は肥え、
ホームステッドに向いているというので、
ここに開拓の幕が上がりました。
トラッパークリークは川を挟んで
タルキートナから反対側にあります。
「開拓すれば土地が自分の物になる。
皆で力を合わせて団結すれば、
何でもできる」という夢を信じて、
アラスカを目指した人たちがいます。
通称「ミシガン59’ers」と呼ばれる、
デトロイト出身の21家族の移民団です。
「アラスカか破産か」と言われながら、
7000kmの旅に出ました。

アラスカの民家のリビング
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