地球ワーキングトラベラー見聞記
カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。
2018/10/08 Mon.
エディーの夢を受け継いだ「アンダーソンエステート」
Posted on 01:00:44
1960年代のアメリカと言えば、
ジム・クロウ法にもとづいて、
黒人差別がまだ大手を振っていた頃です。
1964年に公民権法が制定されましたが、
黒人に対する差別はなくなりませんでした。
アメリカ南東部にある州に比べると、
差別が少ないと言われるカルフォルニア州ですが、
黒人、ヒスパニック系、アジア系に対する、
差別が全くないわけではありません。
ましてやそれが中毒患者とか、
同性愛者でホームレスとなれば、
同じ黒人からも冷たい目で見られます。
エディー・アンダーソンは生前
そんな人たちを救済するために、
薬物依存症の人たちのための、
更生施設の建設を夢見ていました。
彼の願いは死後、彼の息子に受け継がれます。
1989年「ロチェスターマンション」は
薬物依存者の更生施設としてオープンしました。
その後ホームレスを一時的な宿として、
このマンションを利用したそうです。
エディー・アンダーソンJrは、
アンダーソンエステートを創立して、
空き家になった家を買い取り、
改築して貸し出すことにしました。
一旗揚げようとロサンゼルスに、
夢を持ってくるアーティストたちを
援助をするために家を貸し出しました。
今では短期の旅行者も借りれますが、
ここでは毎日アーティストたちを交えた
イベントが開催されているそうです。
![142114416[1]](https://blog-imgs-122-origin.fc2.com/t/a/k/takechan0312/2018092514295130f.jpg)
プールでパーティー!! by booking.com
ジム・クロウ法にもとづいて、
黒人差別がまだ大手を振っていた頃です。
1964年に公民権法が制定されましたが、
黒人に対する差別はなくなりませんでした。
アメリカ南東部にある州に比べると、
差別が少ないと言われるカルフォルニア州ですが、
黒人、ヒスパニック系、アジア系に対する、
差別が全くないわけではありません。
ましてやそれが中毒患者とか、
同性愛者でホームレスとなれば、
同じ黒人からも冷たい目で見られます。
エディー・アンダーソンは生前
そんな人たちを救済するために、
薬物依存症の人たちのための、
更生施設の建設を夢見ていました。
彼の願いは死後、彼の息子に受け継がれます。
1989年「ロチェスターマンション」は
薬物依存者の更生施設としてオープンしました。
その後ホームレスを一時的な宿として、
このマンションを利用したそうです。
エディー・アンダーソンJrは、
アンダーソンエステートを創立して、
空き家になった家を買い取り、
改築して貸し出すことにしました。
一旗揚げようとロサンゼルスに、
夢を持ってくるアーティストたちを
援助をするために家を貸し出しました。
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