FC2ブログ

地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

プリンセスのランドオペレーター「HAP」

1972年アラスカのツアーを運営する
プリンセスツアーズをシアトルに創設しました。
プリセンスクルーズに乗船する人たちに、
アラスカのランドツアーを企画・販売、
ホテルやバスなどをあわせて運営するため
設立されたランドオペレーターです。

1987年デナリにホテルをオープン、
翌年に最初の展望列車(ドームカー)
ミッドナイトサンエクスプレスを作りました。
キーナイ、フェアーバンクスと
アラスカ州内に順次にホテルを開設、
私がいたホテルも1997年にオープンしました。

1989年「ホーランドアメリカライン」は
カーニバルクルーズに買収されました。
同じ年に「クイーンエリザベス2世号」など
豪華客船を保有する「キューナードライン」も
カーニバルの傘下に入ることになりました。

P&Oプリンセスインターナショナルは
2000年P&Oから独立した部門になると、
2003年カーニバルの傘下に入りました。
これによりホーランドアメリカが
同じアメリカを基盤にクルーズを運営するので、
プリセンスクルーズを支配化に置きました。

こうしてアラスカクルーズを中心に、
アラスカ州内やカナダのユーコンにおける、
ランドツアーのオペレーションは、
HAPホーランドアメリカ&プリンセス
という共同事業体の傘下に変わりました。

これはアラスカにふたつのクルーズ会社が、
たくさんのお客さんを送っている結果であり、
ホーランドアメリカをプリンセスに比べて、
やや上の客層とみなしています。

1920px-Discovery_departing_Tallinn_28_April_2014[1]
   アイランドプリンセス by wiki


プリンセスクルーズが創業したのは

アラスカの仕事をしたければ、
11月から応募することができます。
前年と同じ場所で働きたいと思っても、
あたらためて応募しなければなりません。

実はこの応募手続きが意外と面倒くさいです。
履歴書を添付すればよいのではなく、
会社のホームページに行って、
応募欄にある必要事項の欄に、
ひとつひとつ入力しなければなりません。

カナダパスフィックが所有していた
アラスカクルーズ船「パトリシア号」を
休業している冬の期間だけチャーターして、
メキシコクルーズに就航させた1965年
プリセンスクルーズは創業しました。

しかしアラスカクルーズに使われている船は、
熱帯のメキシコクルーズには適しておらず、
結局地中海クルーズに使われていた
「イタリア号」をチャーターしましたが、
まだプリンセスのロゴは使われませんでした。

1968年にはフレンチラインから
「カーラ号」をチャーターして、
大西洋を横断するクルーズや
翌年アラスカクルーズを開始しました。
この時からプリンセスのロゴである
「シーウィッチ」が登場することになりました。

1974年、「P&O」に買収されると、
他の会社から船をチャーターしないで、
プリンセスクルーズとして船を所有しました。
「アイランドプリンセス」
「パスフィックプリンセス」
「サンプリンセス」

sun p1
     初代サンプリンセス by wiki

カジュアルな仕事が好きなんです

今日本の現状では、「社員優先」
派遣社員やパートで働いている人が、
大変な思いで生活をしているようですね。

私が若いころ日本で働いていた頃は、
バブル経済でどんどん時給も上がっていました。
その頃とあまり時給が変わらないと思うと、
いくら働いてても先が見えないかもしれません。

有難いことにオーストラリアは時給も高く、
仕事を選ばなければ、サービス産業でも
毎日の生活に事欠かない給料がもらえます。

物価が高い分生活が大変なところもありますが、
若いころのように、外で飲み歩くわけでも、
洋服や飾りにお金を使うこともありません。
それに家を建てなきゃという心配もないので、
自分が食べる分稼げれば、何とかなります。

と言っても旅行が好きな私としては、
10年ほどあまり新しい訪問先が増えませんでしたが、
アメリカとオーストラリアを往復することによって、
新規の国を増やすことができるようになりました。

それにはインターネットの普及で、
安い航空券と宿泊先を
簡単に見つけられるようになったからです。

体が自由に動くのも70代ぐらいまで、
安い旅行ができるのも元気なうちと、
またバックパック旅行を始めたわけです。

だから私は仕事が安定していなくても、
カジュアルの仕事の方を選びます。
たとえ嫌な仕事にあたっとしても、
今まで旅行した時を思い出しながら、
頭の中で一瞬にして飛び立っています。

cricket-australia-england-ashes[1]
イングランドとのテストマッチ「The Ashes」


シドニークリケットグランド
ラグビーとともにオ-ストラリアで
人気のあるスポーツが「クリケット」です。
シドニークリケットグランドは、
クリケットの試合だけなく、
AFL「スワンズ」のホームグランドです。

イングランドのクリケット国際試合は、
1888年から始まった「The Ashes」です。
オーストラリアとイングランドで
交代で試合が行われます。

試合は全部で5試合。
1試合が5日間行われますので、
全部で一か月以上もかかる試合です。

2018年はオーストラリアで行われ、
全部で5都市で試合がありました。
シドニーが一番最後の会場ですが、
いつも新年早々に行われます。

シドニーで試合があるときは、
私の仕事初めになるのがこの試合です。
来年はイングランドであるので、
この仕事をすることはありませんが、
その年には他の国から遠征にきます。



フライトの乗り継ぎは時差を考慮してください

ロサンゼルス空港でチェックインする時、
上海行の出発がすでに遅れているので、
上海からメルボルン行の乗り継ぎ便や、
シドニー行の国内線に間に合わないと、
何度も言ってもカウンターのスタッフは、
聞く耳を持っていませんでした。

そこでスーパーバイザーを呼んでもらうと、
別のカウンターに行くように言われました。
そこで一生懸命にこちらの要望を説明すると、
オーストラリアの国内線、カンタス航空に
間に合わないことを理解してもらえました。

しかしカンタス航空の国内線の便とは、
中国東方航空がコードシェア―していないので、
乗り遅れた場合に便を変更できるかどうか、
ここでは保証できないと言われました。
「それなら困る」とこちらも強気ででます。
ここで粘らないと誰も助けてくれません。

カンタス航空が保証する義務はありません。
でも中国東方航空が遅れて到着するので、
乗り継げないのはすでに確定しています。
この会社に責任をとってもらわないとね。

大きな空港でチェックインをするのは、
航空会社が遣っているスタッフではなく、
グランドサービスというチェックイン業務を
委託されている会社のスタッフが殆どです。
彼らには何の権限もなく、業務をするだけ、、。

スーパーバイザーと言ったけれど、
こういう時は航空会社のスタッフが来ます。
結局その人に呼ばれてカウンターの後ろへ、
航空会社のPCを二人で見ながら、
シドニー行のシートを手配してくれました。

8915_laz_061_los_angeles_airport[1]
    ロサンゼルス空港 by wiki



飛行機の出発が遅れると、、、

オーストラリアまでのフライトは、
上海経由の中国東方航空です。
一番安いチケットを買ったので、
帰りはメルボルン経由になっていました。

ロサンゼルス空港に到着して、
航空会社にチェックインしようとしたら、
何と飛行機の出発が遅れていました。
上海空港で待ち時間がありましたが、
その日のメルボルン行には間に合わないようです。

チェックイン前に航空会社に問い合わせると、
「大丈夫、飛行機は待っているから」と、
スタッフがいい加減なことを言っています。
「あなたが保証するのか?」と念を押すと、
さすがにその人の口が静かになりました。

私の目的地がメルボルンなら、
上海まで飛べば何とかなりますが、
シドニー行きに乗り継がなければなりません。
「航空会社が異なるけれど、国内線も
ちゃんと変更してくれるのか?」というと、
大丈夫その飛行機に間に合うからと言うのです。

ロサンゼルスを出発した飛行機は、
現地との時差、さらに飛行時間があるので、
上海に到着するのが翌日になり、
メルボルンに到着するのは(+2)、
現地時間で出発の二日後になります。

チェックインしているスタッフは、
上海行のフライトしかみていないので、
メルボルン行の乗り継ぎのフライトや
さらにカンタス航空に乗り換えて
国内線で移動するフライトまで、
時間的なことを把握していませんでした。


7418_p525_lax[1]
   ロサンゼルス空港 by wiki



100番目の通りは名前が「センチュリー通り」

アラスカで暮らしたのは5月から9月まで。
わずか5か月足らずだったというのに、
ブログのお話は半年近くかかってしまいました。
私がどうやってアラスカに行ったのは、
もうすっかり自分でも忘れそうですが、
この年は上海経由の中国東方航空を使いました。

その日もバスで空港まで行きましたが、
来るときの利用したバスの便が悪く、
乗り継いで別のルートで行きました。

電車で行くことも可能でしたが、
何せ荷物の取っ手が壊れているので、
時間はかかっても段差が少ない、
バスの方が運ぶには楽な気がしました。

グーグルマップに住所を入れて探し、
行先を入力してルート検索します。
いくつかのルートがありますが、
歩くのは一番少ないのが楽ですね。

結局ウェスタンアベニューを南に下り、
センチュリーで乗り換えることにしました。
ロサンゼルス市庁舎の前が1番通り、
そこから南に数えて100番目の通りが、
センチュリーストリートになります。

その通りをまっすぐ西に行けば、
迷わずに空港に到着することができます。
空港周辺のホテルやレンタカー会社、
ハリウッド競馬場などがある通りです。

私が初めて泊まったホリデーインも、
空港近くに泊まるときのホステルも
あの頃と同じくこの通り沿いにあります。
この街に住む権利はあるけれど、
シドニーが私の定住先になっていました。

7418_p521_lax[1]
    センチュリーブールバード 





エディーの夢を受け継いだ「アンダーソンエステート」

1960年代のアメリカと言えば、
ジム・クロウ法にもとづいて、
黒人差別がまだ大手を振っていた頃です。
1964年に公民権法が制定されましたが、
黒人に対する差別はなくなりませんでした。

アメリカ南東部にある州に比べると、
差別が少ないと言われるカルフォルニア州ですが、
黒人、ヒスパニック系、アジア系に対する、
差別が全くないわけではありません。

ましてやそれが中毒患者とか、
同性愛者でホームレスとなれば、
同じ黒人からも冷たい目で見られます。

エディー・アンダーソンは生前
そんな人たちを救済するために、
薬物依存症の人たちのための、
更生施設の建設を夢見ていました。

彼の願いは死後、彼の息子に受け継がれます。
1989年「ロチェスターマンション」は
薬物依存者の更生施設としてオープンしました。
その後ホームレスを一時的な宿として、
このマンションを利用したそうです。

エディー・アンダーソンJrは、
アンダーソンエステートを創立して、
空き家になった家を買い取り、
改築して貸し出すことにしました。

一旗揚げようとロサンゼルスに、
夢を持ってくるアーティストたちを
援助をするために家を貸し出しました。
今では短期の旅行者も借りれますが、
ここでは毎日アーティストたちを交えた
イベントが開催されているそうです。

142114416[1]
プールでパーティー!! by booking.com




黒人ゲイの街「ウェストアダムス」

私は二人の伝記を読んだことがないので、
歌手で活躍したレイ・チャールズと
役者のエディー・アンダーソンの間に、
親交があったかどうかわかりません。

しかしふたりとも同じ街を愛して、
活躍した時期が重なっているとしたら、
年齢的には少し差があったとても、
何処かで声を掛けたことがあるでしょう。

レイ・チャールズは薬物所持で、
1950~60年代にかけて、
何度か逮捕されたことがあります。
1965年三度目の逮捕の時、
刑務所の替わりに更生施設に入所して
薬物を断つことができました。

1960年代後半のアメリカと言えば、
ベトナム戦争反対運動に始まりを見せた、
カウンターカルチャーの動きにより、
ロックやフォークなどの新しい音楽や、
ドラッグなどを肯定するようになりました。

ウーマンパワーや同性愛なども、
その流れのひつとして動き始めました。
白人のゲイはハリウッドの南側、
サンセット大通りに集まり、
黒人のゲイはウェストアダムス
多く移り住んできたそうです。

現在と異なりその頃の同性愛者たちは、
世間から冷たい目で見られていました。
酒と薬物に依存する人も増えました。
そしてアルコールや薬物中毒になれば、
まともな仕事もできなくなり、
ホームレスと生活することになりました。

159506599[1]
 ホステルのひとつ by booking.com





豪華なホステル「ロチェスターマンション」

アンダーソンエステートが所有する
ホステルロチェスターマンション」は、
ロサンゼルスでダウンタウンの西側にある、
ウェストアダムスという地区に家にあります。

この地区はロサンゼルスで最も古いエリアのひとつで、
1880~1925年にかけて開発されてました。
ダウンタウンで仕事をするビジネスマンや、
南カルフォルニア大学に勤める教授などの、
比較的裕福な白人がたくさん住んでいました。

1910年ごろからロサンゼルスの西の方に、
ビバリーヒルズやハリウッドという
高級住宅街の開発が進むにつれて、
白人たちはそこらへと移り住みました。

それは当時ビバリーヒルズが
「白人だけの街」として開発され、
黒人はもとより、ユダヤ人にでさえ、
売ることも貸すこともできませんでした。

空き家が目立つようになったこの地区に
移り住んだのが裕福層の黒人たちでした。
1940年代から50年代にかけて、
ここは黒人たちに人気の地区となりました。

黒人の有名な建築家の設計による住宅や、
黒人が所有する大きな会社の建物が、
この地区にどんどん建設されていきました。

黒人シンガーのレイ・チャールズも
この街を愛したひとりだったようです。
アメリカの西海岸で仕事をするようになると、
彼自身が所有するレコードスタジオや
彼の音楽事務所もこの地区に作られました。

158679938[1]
 ロチェスターマンション by booking.com


エディー・アンダーソンが所有したマンション

ホステルを管理するオフィスの前に、
大きな白い建物がありました。
当時はかなり古くなっていましたが、
少しづつ改築が始まっていました。

私がホステルに泊まったころは、
薬物依存症やホームレスで、
アパートを借りれない人たちのための、
一時滞在先として使われていたようです。

この建物は「ロチェスターマンション」と呼ばれ、
1919~1973年まで舞台、ラジオやテレビで、
コメディアンとして、役者として活躍した、
「エディー・アンダーソン」が所有していました。

映画「風と共に去りぬ」に出演していますが、
何世代も前に活躍した人なので、
実際どんな人が思い出すこともできません。

エディーの名前が知られるようになったのは、
15年も続いたテレビ番組「ジャック・ベニー」で、
彼が扮したジャックの相手役の劇役名から、
ロチェスターという呼ばれるようになりました。

「アンダーソンエステート」が管理して、
一部をホテルやホステルとして貸し出しています。
ドミトリーからプライベートルームまであり、
数日の滞在から長期滞在までできるようです。

「マンションホステル」として、
ホテル予約サイトでも人気がありますが、
実際にこの白い建物に泊まれるかどうかは、
予約した部屋のタイプで異なるようです。

私が泊まったころは規則はありませんでしたが、
ドミトリーに泊まれるのは18~40歳までです。
料金に朝食が含まれているようですが、
掃除代として15ドル徴収されるので、
1泊や2泊では元が取れないかもしれません。

134090017[1]
こんな豪華な部屋もあります by booking.com





古い家を改築してホステルに

夜遅くまで友達の家にいても帰りは安心。
何処に泊まろうといつも送ってもらえます。
ただし自分がどこに泊まっているのが、
案内できないと送ってもらえませんが、、。

「良く道を覚えているね」と感心されますが、
以前ガイドをしていたのが役に立っています。
ロサンゼルスは大都会ですが、
道路はほぼ碁盤のようになっています。
大きな道路から何本目と覚えていれば、
簡単に案内することができますよ。

このホステルを管理するオフィスは、
周辺に他にもホステルを管理していました。
その頃のウェブサイトを見ると、
古くなった家をリノベーションして、
ホステルとして再利用していました。

殆どの家のオーナーは年をとってしまい、
もう広い家が必要ない人たちばかりでした。
自分でリノベーションすると資金もいりますが、
ホステルを運営する会社に代行してもらい、
ホステルから入って収入の中から、
一部を受け取るシステムのようでした。

家を売り払っても、その後の収入はありません。
このシステムなら自分の家を売らずに、
ずっと収入を得ることができます。
その後のどうなるのかは分かりませんが、
どちらもウィンウィンのシステムですね。

家が改築されたら、不動産価値もあがります。
不動産の値段は市場で変動しますが、
大都会に持っている限り損はしないでしょう。
オーナーが自分で管理する必要もないので、
年配者も経営に参加しやすいかもしれません。

150091020[1]
 私が泊まったホステルby booking.com

荷物を預かってください

翌日もユニオンステーションに行きました。
今日はダウンタウンを歩くためではなく、
友達に会いに行くために電車に乗ります。

ユニオンステーションからメトロリンク、
サンベルナンディーノラインに乗り込みます。
メトロリンクはメトロに比べて高いけど、
列車に乗っているという雰囲気があります。

友達が待っている駅に到着すると、
彼女の運転でIKEAに向かいました。
家具を見るためではありません。
実はここで朝食を食べるのです。

IKEAで食事ができるなんて、
彼女に連れて来てもらって初めて知りました。
私たちのように食事だけに来る人も多いようです。
日曜日の朝、のんびりと起きた後に、
ブランチするのがアメリカ流でしょうか?

その後は周辺にあるスーパーマーケットで、
彼女のお買い物に付き合いました。
週五日勤務している彼女にとって、
週末は一週間分の買い物の日ですね。

彼女の家に到着すると、後はのんびり。
会っていない間の話に盛り上がります。
旦那さんが帰ってきても全然平気。
だってすでに30年来の友人ですから、
アメリカの家族と言われています。

そんな彼女の家にはいつも遊びにきます。
今回の目的は荷物を預かってもらうこと。
来年もアラスカに行く予定にしているので、
冬ものを預かってもらうことにしました。
シドニーはこれから夏に向かいます。
冬ものは来年のアラスカまで必要ありません。

exposition-park-california-science-center[1]
カルフォルニアサイエンスセンター by wiki



私のロサンゼルス観光コース

ロサンゼルスのダウンタウンまで行くと、
いつもの観光コースを歩きます。
まずはリトル東京で昼食です。
旅の疲れは腹ごしらえから、
どんな食事より和食が一番です。

ずっと社員食堂で食べていたので、
ご飯も日本食も4か月お預けでした。
そんな私のお腹を満足させるには、
好物の「魚の塩焼き」しかありません。

夕食の食材をミツワで購入します。
以前はヤオハンもあったけれど、
今は別のスーパーになったようです。
数日の滞在だからここで十分です。

その後メキシコの雰囲気が残る
オルベラ街へと向かいます。
ここで何を買うこともありませんが、
ガイドしていた頃を思い出したりして、、。

次はいつものチャイナタウンへ、
ここに行くのは安いTシャツをかうため。
5枚10ドルのTシャツは今も健在。
税金も取られずに嬉しい値段です。

そう言えば、このチャイナタウンで、
食事をしたことは一度もありません。
いつもリトル東京で食べるので、
食事をする機会を逃していました。

帰りはユニオンステーションまで歩いて、
建物の中に入って一服します。
ノスタルジックな気分になるこの建物は、
ロサンゼルスで一番のお気に入りです。
ここから電車にのって帰路につきます。

shttle-california-science-center[1]
スペースシャトル「エンデバー号」by wiki

知らなかった南カルフォルニア大学の事実

ローズガーデンのあるエクスビジョンパークと
道路を挟んで反対側にあるのが、
1880年創立の南カルフォルニア大学です。
西海岸では最古の私立の大学です。

私が初めてアメリカに来た頃は、
日本でUCLAが人気がありました。
(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
UCLAのユニオンショップに行って、
名前の入った商品を買うのが、
日本人観光客で流行っていました。

私もウェストウッドまで出掛けて、
早速商品を漁ったものです。
まさか大学で学べるはずもないけど、
自由にキャンパスに入れるのが嬉しかったです。

ロサンゼルスに住むようになってから
南カルフォルニア大学という名前を聞きました。
スポーツが強いというイメージがありますが、
私立の大学なのでそれほど期待していませんでした。

U.S.Newsが発表している大学ランキング
2019年度版を見てみると、
UCLAは19位にランクされていますが、
南カルフォルニア大学はUCBとともに
(カルフォルニア大学バークレー校)
タイで22位にランクされています。

学部によってはトップ10位にも入るようで、
世界的な著名人をたくさん輩出しています。
私立だからという目では見ていけないのですね。

オリンピックの際にはキャンパスの建物が、
会場として一部使用されていますが、
オリンピックでメダルを獲った選手たちも、
このキャンパスからたくさん出ています。

socal-1-rs[1]
   南カルフォルニア大学 by wiki





ロスで「ローズガーデン」見つけた

ロサンゼルス郡史跡博物館」は重たそだし、
時間的にゆとりもなかったので見なかったけど、
「カルフォルニアサイエンスセンター」は
エンデバー号があるというだけで行きました。

日本人女性で初めて宇宙飛行士になった
向井千秋さんの影響ではないけれど、
女性だって宇宙に憧れますよね。

その建物の前にはローズガーデン
まさか大都会ロサンゼルスの一角に、
こんな素晴らしい庭があるなんて、
もう何年も通っているのに知りませんでした。

農業見本市会場の一部だったこの敷地は、
その後レース会場として使われました。
馬、犬、ラクダなどが競争しましたが、
その後は自動車のレース会場になりました。
スタジアムが建設される予定でしたが、
ローズガーデンとして生まれ変わりました。

現在このローズガーデンには、
200種以上のバラが
2万本植えられているそうです。

ローズガーデンのお隣にある建物は、
アメリカのFOXで放送された
「BONES―骨は語る」の番組で、
皆が勤務するジェファーソンセンターとして
フィルムに撮影されていました。

ロサンゼルスは何処もロケの場所。
この建物があの映画やテレビ番組でと、
使用されている所がたくさんあります。
そんなロケ地を探して歩けるのも
映画の街と隣り合わせのせいですね。

fixedw_large_4x[1]
   ローズガーデン by trover





エクスポラインに乗って

私が住んでいた頃にはなかった電車が
ロサンゼルスの新しい交通機関です。
1990年にブルーラインが開業すると、
レッド、パープル、グリーン、ゴールドと、
次から次へと開業や延長を重ねました。

そして私が泊まったホステルの近くには、
ライトブルーのエクスポライン
ちょうど前年にオープンしたばかりでした。

その頃はまだ第一段階で市内から、
カルバーシティーまで運行していました。
すでに第二段階も工事に入っており、
その後サンタモニカまで延長されました。

バスに乗ると交通渋滞で時間がかかりますが、
電車はそれなりにバスより早いです。
でも信号機ではちゃんと停まるので、
日本のようには期待できませんね。

エクスポ/ウェスタンから電車にのりますが、
近くにはエクスポジションパークがあります。
1872年から1910年まで農業見本市会場
として使われた経歴がありますが、
敷地内には現在たくさんの建物があります。

ロサンゼルス郡自然史博物館」
スペースシャトルエンデバー号が見れる
「カルフォルニアサイエンスセンター」
1884年、夏のオリンピック会場となった
ロサンゼルスメモリアルコロシアム」

そして「スターウォーズ」などで有名な
ジョージ・ルーカス監督が手掛ける博物館が
今年正式に工事が始まりました。
2021年にオープンする予定ですが、
どんな博物館がとっても楽しみですね。

450px-Expo__Crenshaw_Expo_Line_Station_2[1]
    エクスポライン by wiki




今回泊まったロスのホステル

私が泊まったのは一軒家でした。
1階は大きなリビングルームとキッチン。
2階には寝室がいくつかありました。
ダブルとツインがあったようですが、
私は女性4人のドミトリーに泊まりました。

年齢も人種もそれぞれ異なりますが、
会社の面接を受けるために来ていたり、
アパートを探すために泊まっていたり、
やや長期で滞在している人が多かったです。

一応20代の黒人男性が管理人として、
この家に泊まっていましたが、
掃除は殆どされていませんでした。
掃除もオフィスで管理しているようで、
お客が出たら、掃除に来るようです。

この家の隣にもう3軒建物があり、
そちらはアパートと長期でレントしたり、
短期滞在の旅行者にも貸しているようです。
ひとつの建物にはキッチンがないのか、
私のいる家に料理しにきていました。

ホステルにいるという雰囲気ではなく、
誰かの家に遊びに来ている感じでした。
まさに今の民泊の始まりというところです。

この管理人がこの家をオーナーではなく、
数軒まとめて管理しているという感じです。
多分長期滞在の家賃を払う代わりに、
管理人としているのかもしれません。

台所用品が揃っていたのも良かったけど、
洗濯機と乾燥機が無料で使えたのが、
私にとっては一番うれしかったです。
アラスカの汚れを洗い流しました。

Expo-Park-Los-Angeles-2[1]
   メモリアルコロシアム by wiki

ホステルに行くだけで大仕事

バスを降りてからホステルまで、
20分近く歩くことになりました。
一応歩道はあるのですが、
このあたり貧乏人が多く住む地区のようで、
その歩道のコンクリートがデコボコでした。

覚えていらっしゃるか分かりませんが、
シドニーからロサンゼルスに来た時、
スーツケースの引っ張る所が壊れたので、
大きな荷物を押すのは大変でした。

大きな道路から住宅街の道に入ると、
往来の車の数もほとんどないので、
堂々と道路の端を歩くことにしました。
舗装された道路の方が平坦です。
これなら荷物を
押すのが少し楽になりました。

やっと行き着いた所は、
私が泊まるホステルではありません。
ここでチェックインを済ませて、
鍵を受け取ってからホステルに行きます。
このオフィスで周辺に持っている、
いくつかのホステルを管理していました。

アンカレッジがすでに寒かったので、
ロサンゼルスがとっても暑く感じました。
飛んできた飛行機が夜行便ということもあり、
すでに体力の限界だったかもしれません。

ホステルまで歩いて15分と言われ、
頭の中がぼーっとなってしまいした。
「もうダメ」と呟いたら、
大きな荷物を見たスタッフの人が、
さすがにかわいそうになったのか、
車で送ってくれることになりました。

entrance-exposition-park[1]
  エクスポジションパーク by wiki





Airbnbを使ってみた

個人旅行が好きな人は、
交通機関も宿も自分で予約します。
以前は旅行代理店と利用したり、
電話で予約したりしていました。

インターネットの普及により、
旅慣れた人なら、自分で予約する時代。
飛行機、鉄道にバスと簡単に比較して、
簡単に予約できる時代になりました。

ホテルの予約サイトもたくさんあります。
Booking.comやHotel.comなど、
いくつものサイトを比較しながら、
一番安い所で予約しています。

今まではホテルやホステルのみでしたが、
インターネットの普及で変わったのが、
余っている部屋を宿泊施設として貸し出す
民泊がどんどん増えていることです。

その代表的なサイトがAirbnbです。
2008年に創立されたこのサイトにより、
今まで宿泊施設として利用できなかった、
アパートの一室や田舎の家でも、
利用する旅行者が増えています。

その時ロサンゼルスで泊まった宿は、
初めて利用したAirbnbで見つけました。
いつも利用しているホステルが満室だったこと、
ベッド8個のドミトリーでさえ、
一泊50ドルを超えて頭に来ていました。

その半額の一泊25ドルというのは、
私にとってとても魅力的でした。
そして今まで泊まったことのない地区なので、
私の挑戦として予約してみました。

westernla.jpg
 バスを降りた交差点@ホステルの近く


懐かしいバスに乗って

アンカレッジを早朝に出発した私は、
朝の8時頃にロサンゼルスに到着しました。
今回泊まるのはダウンタウンからも近い
一軒家を改造したホステルでした。

いつもなら空港またはハリウッド近くの
バックパッカーに泊まっていましたが、
だんだん値段が上がってきており、
ドミトリーでも50ドル近くしていました。

そんなとき、友人に薦められて
AIRBNBで見つけたのが
今回泊まることにしたホステルです。

ホステルと言うと大きな建物が多いですが、
ここが取り扱っているのは何処も一軒家です。
レセプションは別のところにあって、
そこでチェックインすると、
泊まるホステルまで送ってくれます。

4人部屋の女性専用のホステルで
1泊25ドルはバーゲンですよ。
この次代に大都会のロサンゼルスで
この値段で泊まれるなんて信じられません。

空港から目的地まではバスで移動しました。
これはまだロサンゼルスに電車がない頃、
バスで移動していたときの手段です。
パーキングロットCまでシャトルバスで移動、
その後42番の
バスに乗って市内へと向かいます。

80年代は、このルートを良く利用しました。
電車がなかったのでこのルートが、
市内までに安く行く唯一のルートでした。
時代は流れても同じ風景が残っています。
石油を掘っているポンプの姿は、
ロサンゼルスで一番驚いた景色でした。

自動車で高速が渋滞していても、
色んな人種が住んでいても、
このごちゃごちゃした街が大好きです。
アメリカで一番私の肌にあっているようです。

OilDerricks_LostHillsCaliforniaKernCounty_VerifexFlickr_2000[1]
 ロス市内のオイルフィールド by wiki

このカテゴリーに該当する記事はありません。