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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

アンカレッジを離れる日

アンカレッジで一泊した私は、
お土産用の買い物を済ませて、
夕方空港へと向かいました。
いつも利用するのは「レッドアイ」
目が赤くなってしまう夜行便です。

今回はロサンゼルスに泊まらないので、
2日間「夜行便」という計算になります。
そのまま国際線に乗り継ごうと思ったけど、
やはり友人に会ってから帰ることにしました。

空港に到着すると荷物を受け取ります。
ロサンゼルスはロッカーがないので、
そのまま荷物を持って移動します。
空港まで迎えに来てもらうのが一番ですが、
この街の交通量は半端ではありません。

シャトルバスでユニオンステーションに行くと、
友達が迎えに来てくれていました。
今日は旦那さんも仕事が休みなので、
昼食を一緒に食べる予定になっていました。

以前は市内で働いていた彼女も、
現在はパサデナに移ってしまったので、
市内へはほとんど来ないそうです。
リトル東京のレストランで昼食、
そのあと彼女の家に移動しました。

ここは私のロサンゼルスのベースですね
まだ息子さんが小さいころから来ています。
シドニーと往復している私にとって、
ここが私のアメリカの住所でした。

ここで特に何をするわけでもありません。
溜まっている昔話をして終わりです。
この間旦那さんはゲームで遊びんでいます。
夕食まで降りてくることはありませんでした。
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    リゾートホテルからの眺め






寮の部屋を掃除するのが一番大変でした

自分の部屋に戻るとそれからが大変でした。
部屋にあった毛布、シーツ、タオルを持って、
スタッフ用のバーがある建物に持っていきました。
用紙に部屋番号と名前を記入して、
それぞれ項目別に返却していきます。

入寮の際に貸し出される数は決まっています。
それよりも少なかったり破損していると、
給料から天引きされるそうです。
私は一応合格、給料からは引かれません。

それが終わると別のスタッフが、
各部屋の検査にやってきます。
掃除してあるか、ゴミは残ってないか、
項目ごとにチェックしていきます。

去年は問題なかったのですが、
シャワーの天井にカビがあるというので、
それをきれいにするように言われました。

道具部屋に行き、洗剤と雑巾を取ってきて
椅子にのって天井を拭いていきました。
上を見てからこれは結構きつい仕事です。
喚起が悪いからカビが生えるのであって、
これは私の責任ではないと思うのですが、、、。

一応合格になると、用紙を渡されます。
先ほどの返却用紙と一緒になっていますが、
これを身分証明書と一緒に人事に持っていき。
退職と退寮の手続きを終了します。

自分の乗るバスに荷物を積めたら、
ホテルに行って出発を待ちました。
これが社員食堂での最後の食事、
いよいよリゾート最後の日になります。
残っている社員とお別れをしたら、
アンカレッジ行きのバスに乗り込みました。

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   私が働いていたリゾートホテル


お客さんが全員出発したら、、、

いよいよリゾートホテル最後の日です。
今日宿泊しているお客さんが出発すれば、
リゾートホテルはクローズします。
ツアーデスクはわずか2人だけ出勤です。
オプショナルツアーもないので、
出発のお見送りをするだけです。

すでにホテルを出発したスタッフもいますが、
私たちは最後のバスが出発する時間に合わせて、
ロビーに集合するように言われました。
それからツアーデスクの片づけをして掃除です。

それまで今度は部屋の掃除をしなければなりません。
去年は翌日に出発しましたが、
ホテルにいても特にすることもないので、
今年は当日に出発することにしました。
それまで最後の洗濯や荷物の片付けも、
すべて終わらせておくことにしました。

最後の出勤をするためにホテルに向かいます。
今年使った制服やバッジを持っていきます。
全部枚数を数えて、ビバリーに渡しました。

タイムカードを押して、お客さんのお見送り。
残っているスタッフがロビーの外に並んで、
全員で見送るのがホテルの習わしだそうです。
マネジャーが順次バスに乗り込んで、
最後の挨拶をしてから出発します。
私たちは横で手を振って見おるだけでした。

そのあとツアーデスクに集まって、
片付けと最後の掃除をしました。
来年ここに戻ってくるつもりもないけど、
掃除だけはちゃんとしておかないとね。
でも片付けるときはちょっと涙がでます。
4か月半の思い出が走馬灯のように、
私の脳裏を駆け抜けていきました。

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   私が働いていたリゾートホテル






あの時のブログを読み返すと、、、

私は別ブログを持っています。
過去の見聞録を書いているブログと、
最近の近況を書いているものです。
アラスカ行きが決まった時に始めたので、
「World Traveler in Alaska」です。
お陰ですでに何回も戻ることができました。

ここ数年はこちらの方がアラスカブログ、
魅力的なアラスカのことを紹介しています。
別ブログは放置されているときもあり、
以前より閲覧者がだんだん減ってきました。
でもこのブログを書く時のノート替わりです。

あのバス事故からすでに5年近くなりました。
あの時私はどんな気持ちでいたのか、
もう一度読み返してみました。

あの事件はただのバス事故ではなく、
私の同僚が運転するバスで、仲間が亡くなりました。
でもそれはほんのちょっとした偶然が重なり、
他の人のバスに乗っていたら防げたかもしれません。

あの時のドライバーは今何をしているのでしょう。
あの時彼女を失くした彼は、新しい人を見つけたかな。
それぞれ決して忘れることは出来なくても、
そこから立ち直らなければなりません。
若いからこそ新しい人生を歩く必要があります。

ご両親やご家族は決して忘れることはできないでしょうね。
もしかして今頃は、結婚いるかもしれません。
孫が生まれて暮らしているかもしれないと、、。
いろいろと考えているかもしれません。
きっと私がその立場なら、一生忘れられないはずです。

でも亡くなった方の思い出にすがるよりも、
自分の人生を必死に生きることも大切です。
何故なら、それが運命であり宿命なのです。
明日のことは分からないからこそ、
今日をこの一瞬を大切に行きたいと思います。

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     アラスカの高山植物

最後に会えてうれしかった

トランスポのお別れ会に、
私たちが気になっていた人が来ました。
アンカレッジであれからずっと
カウンセリングを受けていた彼です。

彼らが来る前にマネジャーから、
事故のことは絶対に話さない、
そして聞かないようにと言われました。
「大丈夫」とか「元気」とか、
彼に聞くことは出来ませんでした。
心が打ち解けあった友人たちでさえ、
それだけは聞けなかったようです。

私たちは暖かい拍手で迎え入れました。
彼がこの場にやってきてくれたことが、
私たちにとってどんなに嬉しかったか、
あのまま別れていたら悔やんでいたでしょう。
まだきっと心の痛み残っていても、
仲間として戻ってきてくれたことが、
私たちを少しだけ安心させてくれました。

彼はただ一言「ありがとう」と言うと、
それ以上は言葉になりませんでした。
そしてその場にいた殆ど全員が、
彼と一緒に目頭を押さえていました。

これは他人事ではありません。
ひとつ間違えば隣にいる人が、
あの時の事故起こしたドライバーに
なっていたかもしれません。
もしかしたらあの時の犠牲者は、
私自身の可能性だってあり得ました。

皆それが分かっているからこそ、
彼を仲間として送り出したかったのです。
もう二度と会えない可能性もありますが、
その痛みを分かち合いたかったのです。
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     アラスカの野生のあやめ


トランスポのお別れ会

私の同僚が運転するバスで、
ホテルで働いたサラが事故死するという
悲しい事件は皆に影を落としましたが、
それぞれの思いを胸に秘めながら、
海外からの学生たちは帰っていきました。

そして私たちもあと数週間で帰るという時、
それぞれの職場別にお別れ会がありました。
私たちのトランスポも恒例のBBQ大会が、
バスをメインテナンスする車庫で行われました。

今年も皆お揃いのTシャツを注文して、
仲良くお揃いで来ていました。
私は去年注文しなかったけど、
翌年来る予定がなかったので、
記念にフーディーを注文しました。

クロークでお客さんの手荷物を預かり、
溜まったチップでその年の終わりに、
全員に記念品が配られましたが、
今年はその予算がありませんでした。

というのは今年からクロークは
フロントの仕事になりました。
忙しいときは私たちも手伝うのに、
チップは配分されませんでした。

お陰でトランスポの軍資金が減り、
今年はバッテリーになってしまいました。
まあ同じような物が二つあっても困るけど、
皆にとっては楽しみだったようです。

でもこのシーズンも特に病気もせず、
無地に終われることが大切でした。
翌日も皆な仕事があるので、
アルコールがないのが寂しかったです。

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 アラスカで一番好きなコットンフラワー


サポートだけが今できること

バスのドライバーは相変わらずアンカレッジ、
彼女も一緒にホテルに滞在していました。
擦り傷ですんでも、心の傷は重いようです。
毎日カウンセリングを受けているそうです。

私はこのサポート体制に驚きました。
これが日本だと「責任問題」となりますが、
彼に過失がないと判断されたからには、
これからの人生を生きるための援助が必要です。
もう一度ドライバーとして働けるかどうか?
心の傷を和らげてあげなければなりません。

病院にいるシンディ―のために友人たちが、
殆ど毎日病院に通っているそうです。
彼らは車を持っていないので、
会社からバンで送ってもらっていました。
これもホテルからの特別な配慮でした。
休日とは言いながらも、会社のバスで、
事故にあって入院しているのですから、、。

結局シンディーも彼のケビンも、
二度とホテルには戻ってきませんでした。
詳しいことは知りませんが、
シンディーは退院すると帰国、
ケビンも落ち着いてから帰国したようです。

数日後サラのご両親が来たという話を聞きました。
マレーシアから僧の方も来られたそうです。
サラの両親は仏教徒なのでしょう、
彼女の魂を一緒に連れて帰るために、
事故現場に行って弔いをされたそうです。

まだホテルに残っていた学生たちが集まり、
サラのご両親と一緒に「お別れ会」をして、
アラスカでのお葬式にしたと聞きました。
サラの魂も一緒に帰ったことを願っています。

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     アラスカに咲く白い花


サラのお別れ会

その日の夜9時から従業員用のバーで、
サラのお別れ会が開かれました。
私は残念ながら、出席しませんでした。
サラを哀悼する気持ちはあるけれど、
こんな形のお別れ会はあいませんでした。

その代わり、私の部署の友人たちと、
静かにその夜を過ごしました。
私は事件の内容は知りません。
でも「どうだったの?」と聞かれました。
どうして事故になったのか、
私の部署の人間が知っているかのように、、。

警察の判断では「ドライバーに過失なし」
スリップしたのは彼の過ちではなく、
道路の状態によるものと判断されました。
スピードも出していなかったけれど、
バスはスリップして横転したのです。

ドライバーはシートベルトをしているので、
擦り傷程度の軽い傷ですみましたが、
シードベルトをしていなかった二人のうち、
ひとりが窓から外に放り出されてしまいました。

誰を責めることができるのでしょうか?
会社の規定では、スタッフが無料で乗る場合、
会社の保険は適応されないとありました。
ですから会社やドライバーを相手に、
損害賠償請求はできないようです。

しかし娘をなくして両親の気持ちを思えば、
そんな損害賠償うんぬんよりも、
もう一度娘に会いたかったでしょうね。
大学の卒業が決まり、これからという時、
アラスカに夢を持ってきたサラ、
それが永遠の別れになるとは、、。

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    アラスカの州花 忘れなぐさ

ハグしあうホテルの仲間たち

バスの事故が起きた日は、
あちらこちらでハグしあっていました。
たとえサラのこと直接知らなくても、
スタッフ300人ぐらいのホテルです。
数か月一緒に働いていれば顔見知り、
お互いに支えあわないと倒れそうでした。

同じ部屋に住んでいたカサンドラは、
いつもは黒人特有のエネルギッシュな女性、
ダンスや歌が大好きらしくて、
いつも明るく話している22歳の女性でした。

でもこの日だけは社員食堂の椅子に座り、
目をはらして泣きまくっていました。
社員食堂に来る人が皆なハグしていました。
彼女に哀悼の言葉を伝えるのも心苦しく、
いつもより小さくなってしまった彼女を、
そっと抱いてあげるしかありませんでした。

でも彼女は胸の中にためておくことができず、
自分の思いを皆に話かけていました。
話すことによって心の荷が軽くできるなら、
隣の部屋の同僚として聞いてあげました。
お互いに同じ思いを分かち合うことによって、
彼女の心が少しでも軽くなるなら、、、。

私にとってリサを思う気持ちもありますが、
事故を起こした仲間のことが心配でした。
彼はこれからも生きなければなりません。
事故のことを、誰かを死なせたことを、
一生忘れることはできないでしょう。

でもそれを引きづって生きるのではなく、
ひとりの若者として生きてほしいのです。
他のドライバーたちと会うたびに、
お互いにハグして助け合いました。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor




同僚が運転したバスで

その日事故現場では、警察のみならず、
運輸局、アンカレッジのオフィスから、
そして私の部署のマネージャーなどが
何人も立ち合いの上で調査だったようです。

バスを運転していたドライバーは、
少しかすり傷程度ですみましたが、
アンカレッジの病院で精密検査、
ドラッグや飲酒運転の検査もあったそうです。

バスを運転していたドライバーは、
まだ若いけどとても良いドライバーでした。
ここ数年、採用されたドライバーたちが、
バスの運転免許を習得するために、
教官としても教えていたほどです。

数年前にここで知り合った彼女は、
今年彼に教わってバスの運転免許を習得、
同じドライバーとして働いていました。

翌日部署のマネ―ジャーから、メールが届き
この事件について書いてありました。
バスが坂道でスリップして横転したそうです。
調査の結果、彼はスピードをだしておらず、
特に過失は認められなかったようです。

横転した際に一番前に座っていた二人は、
バスから外に放り出されてしまい、
ひとりは比較的軽いけがですみましたが、
もう一人は残念ながら亡くなりました。

運転していた彼と彼女は、
今まだアンカレッジのホテルに滞在して、
プロのカウンセリングを受けているそうです。
ふたりが完全に立ち直れるように、
皆でサポートしようという話でした。

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   デナリ国立公園 by Tripadvisor



マレーシアから来たサラ

サラはマレーシアの大学生でした。
今回ボーイフレンドと一緒に来ていました。
でも二人は一緒の部屋に住むことはなく、
お互いに別の部屋に住んでいました。

そういえば、私の部屋の窓から、
彼が良く遊びに来るのを見かけました。
彼の方とはあまり話したことはありません。
ハウスキーピングで働いたせいもあり、
私とはほとんど接触がなかったです。

サラとも同じ職場じゃないけれど、
社員食堂にいたせいもあって顔なじみ、
それに女学生の方が話しやすいですよね。
ロバータを通じて知り合いました。

そう言えば、昨日の夕食の時に話したばかり。
デナリに行くと言っていたけど、
「まさか今日だったとは???」
人の運命のはかなさを感じました。

私はバスで何度デナリに行ったことやら、
そしてたくさんの思い出を作ったことか?
サラは生まれて初めてデナリに行く日に、
何と事故にあい、亡くなってしまったのです。
それも私たちの同僚が運転するバスで、、、。

ボーイフレンドのケビンの顔も見ません。
彼はショックを受けて部屋にいるそうです。
本当は二人でデナリに行く予定でしたが、
職場が忙しく急遽出勤することになりました。

同僚の同じマレーシアから来たシンディーが
一緒に行くことになり、事故にあいました。
そのためにケビンの落ち込みはひどいようで、
その後二度と見ることはありませんでした。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor


静かだった社員食堂

その日夕食を食べに社員食堂に行くと、
いつもは賑やかな声が聞こえるのに、
何となく重たい雰囲気が伝わってきました。
外で食事をしているホテルのスタッフも
中で働いている社員食堂の皆も、
いつもより確かに静かでしたね。

ランチの時はひとりで食べていたので、
私が何も知るよりもありませんでしたが、
今はトニーの事故のことを聞いたばかり、
誰なのか名前は知らないけど、
事故を起こしたのは私の仲間でした。

そのうち仲の良いロバータが来ました。
彼女はいつも明るく皆のママ替わりは、
仲間の中心になって世話をやいていました。
その彼女が私を見るなりハグをしました。

そして今日の夜9時からスタッフバーで
「メモリアルサービスがあるから」と
悲しそうな顔で伝えてくれました。
私は誰が亡くなったのか知りませんでした。
そしてロバータから名前を聞くと、
「衝撃の真実」を知ることになりました。

何とマレーシアから来たサラが
その日のバス事故で亡くなっていました。
名前を聞いても、はっきりと顔が浮かびません。
しかしその彼女こそが私の部屋の近くでした。

彼女は社員食堂でシェフとして働いていました。
同室は同じ職場で働くカサンドラ、
彼女は前年から働いていたので、
何かしらと話したことがありました。
だから余計に社員食堂が静かだったのですね。
職場の仲間が亡くなっていたから、、。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor

ショックな事件が起きた

スーパーバイザーがデスクに戻ると、
遅番のリズと私が呼ばれ、
トニーの部屋に行くように言われました。
「あら私、何か間違いでもしたかしら?
リズと一緒に呼ばれのも可笑しいけど、、」

ドアを閉めるように言われて座ると、
トニーが小さな声で話し始めました。
その内容は、今朝バス事故が発生して、
ホテルのスタッフが亡くなったこと。
そしてもう一人が怪我をしたこと。

私はその話を聞いてショックでした。
バス事故と言えば、私にも関連があります。
私がいるツアーデスクとドライバーは、
同じトランスポテーション部門でした。

トニーはバスドライバーの名前や
ケガをして入院した学生さん、
そして亡くなってしまった方の
名前は話してくれませんでした。

最後にお客さんに事故について聞かれたら、
「私は知りません」と答えるように、
事故についてお客さんの前で話さないように、
しっかりと大きな釘を刺されました。

ツアーデスクはロビーの前にあるので、
私たちが噂をしたらお客さんの耳に入ります。
ホテルの観光バスを使用するお客さんに
決して不安を与えないようにするために、
「事故の話」はしてはいけませんでした。

ローカルニュースでは流れなかったけど、
インターネットでは事故の写真付きで、
すでに報道されていました。
でも関係者の名前はすべて伏せてありました。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor



シーズン後の楽しみは、、、

私が住んでいたら寮の周りには、
そんな東南アジアの学生たちがいました。
ハウスキーパーや社員食堂で働いていたので、
同じ職場ではありませんでしたが、
同じアジア系、仲良くしてもらいました。

旅行のこと、将来の夢など、
子供の話を聞いているようですが、
自分の若いころと重ね合わせていました。

前日はたまたまその部屋の学生さんたちと
同じテーブルで夕食をとりました。
翌日はバスに乗ってデナリまで行くと、
嬉しそうに話していました。
時間がないので往復バスに乗っていくだけ、
それでも楽しみにしていたようです。

翌日私は午後の出勤でした。
いつものように昼食をとって出勤すると、
ツアーデスクはとても静かなでした。
午後2時に早番の勤務が終わるので、
それまではいつもごった返していました。

でもその日はトニーの姿も見えず、
スーパーバイザーもいませんでした。
ツアーデスクには誰かしら責任者が、
必ずいるように義務付けられていたのに、、、

早番の勤務が終わる前に清算して、
フロートをもらわなければなりません。
それなのに、スーパーバイザーは
誰もデスクに戻ってきませんでした。

私は部屋から来て、出勤したばかり、
何が起きていたのか知りませんでしたが、
私たちにとってショックな悲しい事件が、
その日の朝起こったのです。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor



ホテルからデナリに行きたいけど、、

ホテルもシーズンの終わりに近づき、
大学に戻るアメリカの学生たちや、
海外から働きに来た学生たちが、
少しずつ故郷へと戻っていきます。

特に海外から来た学生たちは、
アメリカを旅行して帰るので、
その計画に余念がありませんでした。

私が働いていたリゾートホテルが、
デナリから遠いという話はしました。
そこに行くとすれば、バスに乗るか、
タルキートナまで行って列車に乗るか、
その二つの方法しかありませんでした。

ホテルに滞在するツアー客を送迎するため、
観光バスを持っているホテルです。
デッドヘッドと呼ばれる、乗客なしで
デナリまで移動するホテルのバスには、
許可をもらえば無料で乗ることができました。

そのアサインをしてくれるのは
ディスパッチを担当するジョイ、
彼女に頼んで私も何度か往復しました。

しかしデナリまでは片道2時間かかります。
バスのスケジュールは決まっていないので、
滞在するにも余裕はありませんでした。
せいぜい1~2時間という所ですね。
ましてや国立公園を観光するとなる、
ホテルに最低1泊する必要がありました。

東南アジアからやってきた学生たちは、
二度とアラスカに来れないと思うと、
精力的に皆で旅行していました。
デナリは一度は観光したかったようです。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor

もう停電ですか?

自家発電から電気に変化しても、
それほど変化はありませんでした。
もともと電気は通じていたので、
文化的な生活はできていました。

ところが電気が通じてから数回、
何と停電してしまったのです。
これにはホテル側が困ってしまいました。

私が知る限り自家発電の時は、
一度も停電したことがなかったのに、
電気に切り替えてから数日のうちに、
2回も停電してしまったのです。

一度は雷が落ちたようです。
もう一回の原因は知りませんが、
停電してもすぐには回復しません。
係員がチェックに出動しても、
街から200km以上も離れています。

その途中にスタッフがいたとしても、
簡単に原因を追究して処理するには、
それなりの時間がかかるでしょうね。

さてそこで素人の考えですが、
「停電なら自家発電に切り替えろ」と、
ところがすでに自家発電は切られており、
二度と使えないようになっていました。

ラスベガスのカジノなどは、
停電のためのバックアップとして
自家発電システムを導入していましたが、
このホテルのシステムは異なり、
一度切り替えたら、二度と使えませんでした。
せっかく電気が通じたというのに、
頻繁に停電では役に立ちませんね。

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        ヤナギラン




自家発電から切り替わる

自家発電から電気に切り替わる日、
スウィッチ一つでは切り替わりません。
まず電源が通じるかどうか確認して、
それから自家発電を切ります。

自家発電用の大きなタンクがあるので、
なるべくそのディーゼルが少ない日、
その日に合わせてタンクを調整しました。
もちろんホテル側のスタッフのみならず、
いろんな所からの役人や係員、
その日は朝からホテルに人がきました。

しかし電気が切り替わるために、
しばらく電気が通じない時間があります。
それがどれぐらいになるかわからないので、
その日はレストランの営業はお休み、
お客さんをホテルから追い出すことにしました。

その日ホテルを出発する人たちには、
予定よりも早めに出発してもらい、
ホテル到着のお客さんは、
なるべく遅く来るようにしました。

ホテルに数日滞在するお客さんには、
昼間電気が通じないことを伝えて、
なるべくタルキートナに行くように、
有料のシャトルバスを無料にしました。
その日用意できるランチは、
冷たいサンドウェイのみで、
暖かい食事はコーヒーか紅茶のみ、
ポットでサービスしていたようです。

従業員の昼食もサンドウィッチのみ、
でもPCも使用できないので、
ツアーデスクはお客さんの対応のみで、
予約することもできませんでした。


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  タルキートナ by Tripadvisor


やっと電気がやってきた

私のリゾートホテルの近くには、
デナリ州立公園があります。
デナリ国立公園に隣接していて、
州政府が管理する公園でした。

その中にバイヤーズ湖があります。
州立公園内最大の湖で、
カヌーやキャンプをすることができます。
周辺では魚釣りやハイキングができ、
公園内では一番の観光地ですね。

直ぐそばにはベテランズメモリアル
(退役軍人をしのぶ記念碑)があり、
ここに州政府の観光センターを作りました。
それまで電気が通っていなかったので、
これをオープンするにあたり、
数年前から電気を通す準備がなされました。

アンカレッジからの電線は、
アラスカ州政府が面倒みますが、
その電線からホテルまでの支線は、
ホテル側が支払うことになりました。
それも馬鹿にならない金額だそうです。

というわけでホテルまでは電気がきたけど、
周辺の家ではまだ自家発電もいるようです。
皆が話し合ってお金を払えば、
電線を引くこともできるでしょうが、
わずか数件ではかなり負担になります。

しかしそれが簡単にはいかないのです。
ホテルにはかなりのお客さんがいるので、
その日は淡々と準備がされ、
一年の行事の中に決まったようです。
本当は前年の予定だったけど、
結局その年の7月になりました。

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  タルキートナ by Tripadvisor


リゾートホテルは自家発電


私がいたリゾートホテルの、
その年の重大事件と言えば、
それまで自家発電で営業していましたが、
その年に初めて電気が通じました。

アンカレッジから配給される電気は、
タルキートナの街を通り、
トラッパークリークまで通じていました。
と言っても電線があるのは道路沿いのみ。
道路から100mも内部に入ると、
電気も水道も通じてなかったようです。

トラッパークリークまでは、
道路沿いに家があったので、
何とか通じていたようですが、
そこからホテルまでは車で20分、
もう殆ど家も見かけませんでした。

それでもホテルの周辺には、
最低20数件ありました。
皆夏だけ住んでいるのか知りませんが、
自家発電とソーラーを使っていたようです。

ホテルには大きな発電機がありました。
それでホテルのすべての電気を賄います。
300室以上の部屋と500人の従業員、
レストランやオフィスもあるので、
一日にたくさんの電気が必要でした。

確か部屋のお湯と暖房は、
天然ガスだったと思いますが、
電気だけでもかなり必要でした。
そしてその日がやってきました。
自家発電から、電気に切り替える日
ホテルにとって重大な日でした。

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  タルキートナ by Tripadvisor





みんなが知っていた二人の仲


多分去年あたりから二人の仲は、
近づいていったように思えます。
良く魚釣りに行ったり、
キャンプに行っていました。

車を持たないアマンダに、
ボーイフレンドの話もなく、
他の人の一緒に行っていましたが、
本当に良く出かけていました。

その相手がニックだと気づいたのは、
今年になってからでした。
その時はすでに皆の知るところ、
仕事中にニックのオフィスに行ったり、
周りでも見える行動をとっていました。

そして今年のシーズンが終わったら、
アラスカに残りたいと呟き始めました。
そのころニックが別居したという話を聞き、
ふたりで住むつもりかと疑ったものです。

シーズン中に息子さんが遊びに来ると、
以前一緒に仕事をしていたので、
気さくに話しかけるアマンダ、
息子さんはどんな気持ちで会っていたのか?
アメリカですから二人の関係を、
すでに知っていたのかもしれませんね。

結局シーズンが終わると、
アマンダは実家に戻りましたが、
ニックはその冬ホテルで越冬しました。
一応フルタイムですから
名目があればホテルに残れます。
数人の留守番は必要ですからね。
その後二人がどうなったか、

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  タルキートナ by Tripadvisor


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