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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

パサデナでランチです。

いつもならロサンゼルスに来るたびに、
私の30年来の友人に会いに行きます。
私がガイドをしていた時からの知り合い、
一緒に働いたことはないけれど、
私の友であり家族のような人たちです。

今回はカナダに早めに行って、
日本からの人たちを迎える準備があります。
その前に私の友人たちにも会いたいので、
ここの友人宅を訪ねるのは止めました。

友人がフルタイムで働いているので、
会えるのはどうしても週末のみ、
飛行機と日程の関係で、
週末をこの街で過ごせませんでした。

と言ってもこの街にはあと二度来ます。
カナダ旅行が終わった時と、
そしてシドニーに戻る前です。
その時にゆっくりと時間は取れますが、
取り敢えずお土産を渡しておかないと、、。

彼女が働いているパサデナまで
ハリウッドからバスで行きました。
市内経由で電車でも行けますが、
この方が彼女の仕事先に近いのです。

彼女のオフィスを訪ねるのは初めてでした。
以前市内にあった時は良く行きましたが、
業務内容縮小のため移転したそうです。
でも彼女にとって通勤時間が短くなり、
交通費が安くなったので喜んでいました。

近くのカフェでランチを済ませて、
渡すものだけ渡したらお別れです。
今日はバンクーバーまでの移動日、
そんなにゆっくりする暇はありません。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor

ロサンゼルスで「中秋の名月」

私と志保さんが夕食を食べて、
食堂でいろいろと話していたら、
おじさんたちが声を掛けてきました。
若い女性が遊びに来ているので、
おじさんたちは嬉しかったのでしょう。

そのうちくに子さんがやってきて、
ドライブに行こうと誘ってくれました。
今日は「中秋の名月」だから、
月を見に行こうというのです。

この辺りで月を見るとなると、
もちろんグリフィス天文台ですよね。
私は何度も行ったことがあるけど、
志保さんはロサンゼルス初めてでした。

くに子さんやおじさんたちと一緒に、
食事に出かけたことはあるけど、、
ドライブに行くのは初めてでした。
と言っても彼女は夜の運転は苦手らしく、
そこにいた車を持ったおじさんを誘い、
彼が運転する車で行くことになりました。

グリフィスパークではその日に因み、
イベントをやっていたようです。
サンセットの前に行きましたが、
かなり遠くまで車が停まっており、
途中から天文台まで歩きました。

日中は真夏のように暑いロサンゼルス
日が沈むと急に涼しくなります。
天文台は丘の上にあるので風も強く、
長そでのトレーナを着て来て正解でした。

その日は名物のスモッグもなく、
夕日も月夜もとてもきれいでした。
これから50日間の北米の旅を
まるでお祝いしてくれているようでした。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor


コリアンタウンのスーパーで

コリアンタウンのスーパーマーケットは、
日本人経営のスーパーに比べても大きく、
日本食もかなりのスペースでありますが、
韓国産の日本食のコーピーのみならず、
韓国食料品がふんだんに置かれていました。

シドニーにある韓国食料品は、
英語のシールが貼られておらず、
中身や使い方の分からないものも多いです。
ここは英語表示が義務付けられているのか、
何とか中身を理解することができました。

でもお総菜コーナー充実しています。
それはまるで日本にいるようでした。
サバや鮭の塩焼きもあれば、
コロッケのようなものもありました。
白いご飯も売られているので、
買って帰りそのままレンジにかければ、
簡単に食事することができますよ。

そしてシドニーから来たら、
お酒の安さに驚いてしまいます。
韓国のお酒は良く分からないけど、
日本のビールやお酒だって、
負けないくらいに販売されていました。

私はインスタントの焼きそばと
それに入れる野菜を買いました。
わずか2日間の滞在なので、
それほどたくさん買いませんが、
食事は宿で済ませるつもりです。

志保さんも予定を立てていないし、
車がないと外食もできない環境なので、
今夜は一緒に食べることにしました。
焼きそばとサラダとコンビにならないけど、
海外だったら贅沢な日本食ですよ。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor

コリアンタウンギャラリア

コリアンタウンギャラリアの食堂街は、
レストラン形式になっていません。
フードコート形式で好きな店で購入して、
パブリックのテーブルで食べれます。

お酒やコーヒーのお店もあって、
皆でシェア―する人もいました。
同じようなメニューが多いけど、
ついてくる副菜や漬物が違うので、
お店を選ぶときのポイントにします。

私はサバの塩焼き定食ですよ。
これは日本料理だと思うのですが、
韓国料理でも出していますね。
私が冷凍のサバを買うのは韓国の店、
韓国の人も食べるということですね。

志保ちゃんは焼肉だったような、、。
私と違ってお肉も食ベれるので、
アメリカでも暮らしていけますね。
まだ日本食は恋しくないけど、
バーガーよりは和食党でした。

お隣にはスーパーのお姉さんたちが、、、
と言っても40代から50代にかけて、
食材を調理しては試食させる、
売り子さんたちのようでした。

ちょうど休憩時間になっているようで、
自分たちで持ち寄ったおかずを、
皆で分け合って食べていました。

その中には自家製のキムチなど、
副菜やお惣菜がありました。
「ちょっと分けてください」と
味見したくなるようなおかずばかり、
スーパーで買う人はいないようです。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor

コリアンタウンで昼食

ロサンゼルスコリアンタウンは大きく、
日本人街やチャイナタウンを上回っています。
ハングル文字だけで書かれた看板も目立ち、
韓国の何処かに迷い込んだような気がします。

日本人も多く住むロサンゼルスですが、
圧倒的な数で韓国人の方が多いでしょう。
それも戦後に渡米した方が多く、
この街では韓国語が飛び交っています。

コリアンタウンはハリウッドの南、
と言っても歩けばかなりあります。
市内のダウンタウンから来るなら、
サンタモニカへと通じている
ウィルシャー通りが目印になります。
ハリウッド行きの地下鉄で来れます。

最近はおしゃれなホテルやクラブも
コリアンタウンにオープンして、
おしゃれな街へと変貌していますが、
私にとっては安い食事と食材を求めて、
この街へと出かけていました。

コリアンタウンにいくつか
大きなショッピングモールがあります。
コリアンタウンギャラリアは、
2001年9月オープン以来、
コリアンタウンのハブになっています。

1階と3階にあるフード街では、
韓国料理、中華料理、和食がありますが、
何処でも焼きそばと餃子があったりして、
この3か国の食事が似ているのが分かります。
今やすしロールとさしみさえも、
どの店でも出す時代になりました。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor



そこには30年前の私がいた


くに子さんの宿知り合った志保さんと、
コリアンタウンまで出かけることにしました。
彼女は前日の夜に到着したばかりで、
これからの予定も立っていませんでした。

どうせお昼ご飯の予定のない私でした。
用意してもらった部屋に荷物を入れて、
シャワーを浴びたら出かけました。

ふたりとも時差ボケがありましたが、
そのまま寝ていてはさらにボケます。
ロサンゼルス時間に合わせて行動しましょう。

その宿からコリアンタウンまでは、
歩いて30分ぐらいかかりました。
最寄りの駅からバスは出ていますが、
駅まで15分なので歩いたほうが早いです。

9月はまだ日差しが強いロサンゼルス
影を探しながら歩かないと、
熱中症になる可能性もありますよ。
彼女は駅の場所も知らなかったので、
道案内しながら歩いていきました。

ハリウッドの文字が見えたら北、
ビルディングがある方がダウンタウン、
バスの乗り方なども教えながら、
とても楽しい会話が続きました。

私がこの街に住んでいたのは、
今の彼女とちょうど同じ年ごろ、
アメリカ移民を模索していた頃と
今の彼女を重ねて見ていました。
そして彼女は移民の先輩者として、
将来の自分を見ていたかもしれません。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor



道は自分で切り開くもの

志保さんはいろいろと悩んでいました。
他の会社に移ることも考えたし、
職業を変えることも考えたけど、
やはり年齢的なプレッシャーが強く、
日本を離れ海外に新しい道を探すために、
ロサンゼルスにやってきたそうです。

すでに会計事務所の面接のアポもあり、
上手く行ったら住みたいと言っていました。
グリーンカードのない彼女を採用して、
その企業スポンサーになってくれるのか?
私にははっきりとは言えませんでした。

どんなに日系企業の多いロサンゼルスでも、
アメリカの資格がない彼女を採用するのか?
この国で会計士として働くからには、
アメリカの資格が必要でした。

もちろん採用されたら道は開けます。
でももし採用されなかった場合に、
直ぐに諦めてしまうのですか?
ロサンゼルスの滞在は2週間でしたが、
この間にアメリカに住みたいかどうか、
人生の選択するのは彼女自身でした。

「アメリカ永住を決意して日本を出たら
どんな方法であれ構わないと思うの、
その時は、岩にしがみ付いた気持ちで、
永住権だけを目標に頑張ってね。」
これが私が彼女に送る言葉でした。

最後には「結婚」だってあります。
学生で勉強していたら、
最良の人が見つかるかもしれません。
人生を変えたかったら行動すること、
それ以外に道は開けないのです。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor


ひとりで泊まっていた女性

旅行者も滞在しているくに子さんのアパートも
やはり長期滞在者の人が多いですね。
長年住んでいるそのおじさんたちは、
旅行者をどういう目で見ているのかしら。

私はいつもその中間にいます。
年齢的にはそのおじさんたちに近く、
ロサンゼルスに住んでいたこともあるので、
おじさんたちのような移住者でもあり、
シドニーから来ているので旅行者です。

アメリカの永住権があるから、
こんなに行ったり来たりできるのかな?
もちろん観光でも往復できますが、
住んだことがあるかないかで、
この街の見方も変わってくると思います。

その時若い女性がひとりいました。
志保さんは会計事務所に勤めていたけど、
長時間の勤務で疲れてしまい、
会社を辞めてしまったそうです。

このまま日本にいても会計士として働くなら、
同じことを繰り返す人生でしかありません。
現在お付き合いしている人もおらず、
30代を前にかなり悩んでいたようです。

私が日本にいたころは25歳だったかな?
これまでに結婚しないと行き遅れ、
クリスマスケーキとも言われましたね。

女性が自立して生きていける時代になっても、
結婚が最良と考える両親が多いのでしょうね。
結婚しない女性は半人前ですか?
弟さんがいるので将来的には、
実家を出るしか道がないと言っていました。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor



2年の月日が流れているのに

一応家の中に入る前に、
「お早うございます」と声を掛けましたが、
誰の返事もありませんでした。
皆が集まる食堂に入って行くと、
コーヒーが作っておいてありました。

ケンさんが毎朝入れてくれるコーヒー
滞在者なら自由に飲むことができます。
ミルクが必要な私はオーナーの冷蔵庫へ、
「失礼します」と声を掛けて頂きました。

これが初めての滞在なら、
こんなに厚かましくありませんが、
2年前にアラスカに滞在した時に、
行きと帰りに2回滞在していたので、
この家のルールは分かっていました。

食堂の横に荷物を置いて、
PCをインターネットに繋ぎます。
あまり早いとは言えませんが、
まあ無料ですから文句は言えません。

しばらく座っていると、
知った顔のおじさんたちがやってきました。
「久しぶりね」と声を掛けてくれる人、
年配の女性客は少ないでしょうから、
覚えていてくれた人もいました。

そしてケンさんがやってきました。
挨拶するとくに子さんは仕事とのこと、
もうすぐ帰ってくると教えてくれ、
私の荷物を部屋に運んでくれました。

そこには2年の月日が流れているのに、
皆が家族のように迎えてくれます。
ここには身寄りのない年配者が多く、
ここしか行くあてのない人もいるようです。

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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor

勝手に入っても怒られませんか?

懐かしいロサンゼルスの宿に到着した私は、
「勝手知ったる他人の我が家」同様に、
ゲートを開け中に入って行きます。
表玄関はいつもカギが掛かっていますが、
横の入り口はいつも空いています。

この敷地内には4軒の家があります。
15部屋ぐらいある2階建てのアパートと、
その横に3寝室の部屋が3軒並んでいます。
アパートには長期滞在者の人たちが、
そして短期滞在者や観光客たちが、
空いている部屋に住んでいるようです。

オーナーのケンさんとくに子さんは兄妹、
沖縄県出身で小さいころ南米に移住、
一度日本に帰国したご両親が、
ロサンゼルスで不動産を購入して、
このアパートを経営始めたそうです。

結局ケンさんは家族を南米において、
このアパートを手伝うためにロサンゼルスへ、
子供たちと日本に帰国したくに子さんも、
手伝うためにロサンゼルスに来たようです。

まあそれぞれ事情はあるようですが、
二人にとってここが第三の故郷、
ふたりでいるときは英語でもなく、
日本語でもなくスペイン語で話しています。

住人は日本人ですから日本語で話し、
アメリカですから英語も必要ですが、
ロサンゼルスには中南米系が多く、
ラテン語だけでも生活することができます。
二人がこの街に溶け込めたものも、
南米移住の経験があるからですね。
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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor




ロサンゼルスの我が家へ

私が乗った飛行機は朝早く
ロサンゼルス空港に到着しました。
2年ぶりのアメリカ入国だから、
無事に入れるかがいつも心配です。
グリーンカードを保持していても、
常に住んでいないと却下されるとか、、。

初めてロサンゼルスに来たころは、
空港内にあるホテルリストの中から、
安い宿を探すのが到着後の仕事でした。
大抵一泊目は空港周辺に滞在してから、
その時の目的によって移動していました。

インターネットでホテルの予約が、
簡単にできるようになってくると、
数日の滞在なら空港周辺で、
一週間くらいならハリウッドか市内の
バックパッカーを利用していました。

しかし今年は前回から泊まっている
くに子さんが経営するアパートに向かいます。
そこは以前住んでいたアパートの近くなので、
私にとってもとても懐かしかったです。

空港からシャトルバスで駅まで、
そこから電車を乗り継いで、
一番近い駅まで移動しました。

そこから歩いて15分ぐらいかかります。
もちろんタクシーなんてありません。
誰も迎えになんて来てくれないので、
大きな荷物を持って歩きます。

懐かしい家の前にたどり着きました。
そこは私のロサンゼルスの宿です。
そしてその中には私の知っている人たちが
私を待っていてくれるのです。
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 ロサンゼルスの風景 by Tripadvisor




アンカレッジを離れる日

アンカレッジで一泊した私は、
お土産用の買い物を済ませて、
夕方空港へと向かいました。
いつも利用するのは「レッドアイ」
目が赤くなってしまう夜行便です。

今回はロサンゼルスに泊まらないので、
2日間「夜行便」という計算になります。
そのまま国際線に乗り継ごうと思ったけど、
やはり友人に会ってから帰ることにしました。

空港に到着すると荷物を受け取ります。
ロサンゼルスはロッカーがないので、
そのまま荷物を持って移動します。
空港まで迎えに来てもらうのが一番ですが、
この街の交通量は半端ではありません。

シャトルバスでユニオンステーションに行くと、
友達が迎えに来てくれていました。
今日は旦那さんも仕事が休みなので、
昼食を一緒に食べる予定になっていました。

以前は市内で働いていた彼女も、
現在はパサデナに移ってしまったので、
市内へはほとんど来ないそうです。
リトル東京のレストランで昼食、
そのあと彼女の家に移動しました。

ここは私のロサンゼルスのベースですね
まだ息子さんが小さいころから来ています。
シドニーと往復している私にとって、
ここが私のアメリカの住所でした。

ここで特に何をするわけでもありません。
溜まっている昔話をして終わりです。
この間旦那さんはゲームで遊びんでいます。
夕食まで降りてくることはありませんでした。
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    リゾートホテルからの眺め






寮の部屋を掃除するのが一番大変でした

自分の部屋に戻るとそれからが大変でした。
部屋にあった毛布、シーツ、タオルを持って、
スタッフ用のバーがある建物に持っていきました。
用紙に部屋番号と名前を記入して、
それぞれ項目別に返却していきます。

入寮の際に貸し出される数は決まっています。
それよりも少なかったり破損していると、
給料から天引きされるそうです。
私は一応合格、給料からは引かれません。

それが終わると別のスタッフが、
各部屋の検査にやってきます。
掃除してあるか、ゴミは残ってないか、
項目ごとにチェックしていきます。

去年は問題なかったのですが、
シャワーの天井にカビがあるというので、
それをきれいにするように言われました。

道具部屋に行き、洗剤と雑巾を取ってきて
椅子にのって天井を拭いていきました。
上を見てからこれは結構きつい仕事です。
喚起が悪いからカビが生えるのであって、
これは私の責任ではないと思うのですが、、、。

一応合格になると、用紙を渡されます。
先ほどの返却用紙と一緒になっていますが、
これを身分証明書と一緒に人事に持っていき。
退職と退寮の手続きを終了します。

自分の乗るバスに荷物を積めたら、
ホテルに行って出発を待ちました。
これが社員食堂での最後の食事、
いよいよリゾート最後の日になります。
残っている社員とお別れをしたら、
アンカレッジ行きのバスに乗り込みました。

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   私が働いていたリゾートホテル


お客さんが全員出発したら、、、

いよいよリゾートホテル最後の日です。
今日宿泊しているお客さんが出発すれば、
リゾートホテルはクローズします。
ツアーデスクはわずか2人だけ出勤です。
オプショナルツアーもないので、
出発のお見送りをするだけです。

すでにホテルを出発したスタッフもいますが、
私たちは最後のバスが出発する時間に合わせて、
ロビーに集合するように言われました。
それからツアーデスクの片づけをして掃除です。

それまで今度は部屋の掃除をしなければなりません。
去年は翌日に出発しましたが、
ホテルにいても特にすることもないので、
今年は当日に出発することにしました。
それまで最後の洗濯や荷物の片付けも、
すべて終わらせておくことにしました。

最後の出勤をするためにホテルに向かいます。
今年使った制服やバッジを持っていきます。
全部枚数を数えて、ビバリーに渡しました。

タイムカードを押して、お客さんのお見送り。
残っているスタッフがロビーの外に並んで、
全員で見送るのがホテルの習わしだそうです。
マネジャーが順次バスに乗り込んで、
最後の挨拶をしてから出発します。
私たちは横で手を振って見おるだけでした。

そのあとツアーデスクに集まって、
片付けと最後の掃除をしました。
来年ここに戻ってくるつもりもないけど、
掃除だけはちゃんとしておかないとね。
でも片付けるときはちょっと涙がでます。
4か月半の思い出が走馬灯のように、
私の脳裏を駆け抜けていきました。

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   私が働いていたリゾートホテル






あの時のブログを読み返すと、、、

私は別ブログを持っています。
過去の見聞録を書いているブログと、
最近の近況を書いているものです。
アラスカ行きが決まった時に始めたので、
「World Traveler in Alaska」です。
お陰ですでに何回も戻ることができました。

ここ数年はこちらの方がアラスカブログ、
魅力的なアラスカのことを紹介しています。
別ブログは放置されているときもあり、
以前より閲覧者がだんだん減ってきました。
でもこのブログを書く時のノート替わりです。

あのバス事故からすでに5年近くなりました。
あの時私はどんな気持ちでいたのか、
もう一度読み返してみました。

あの事件はただのバス事故ではなく、
私の同僚が運転するバスで、仲間が亡くなりました。
でもそれはほんのちょっとした偶然が重なり、
他の人のバスに乗っていたら防げたかもしれません。

あの時のドライバーは今何をしているのでしょう。
あの時彼女を失くした彼は、新しい人を見つけたかな。
それぞれ決して忘れることは出来なくても、
そこから立ち直らなければなりません。
若いからこそ新しい人生を歩く必要があります。

ご両親やご家族は決して忘れることはできないでしょうね。
もしかして今頃は、結婚いるかもしれません。
孫が生まれて暮らしているかもしれないと、、。
いろいろと考えているかもしれません。
きっと私がその立場なら、一生忘れられないはずです。

でも亡くなった方の思い出にすがるよりも、
自分の人生を必死に生きることも大切です。
何故なら、それが運命であり宿命なのです。
明日のことは分からないからこそ、
今日をこの一瞬を大切に行きたいと思います。

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     アラスカの高山植物

最後に会えてうれしかった

トランスポのお別れ会に、
私たちが気になっていた人が来ました。
アンカレッジであれからずっと
カウンセリングを受けていた彼です。

彼らが来る前にマネジャーから、
事故のことは絶対に話さない、
そして聞かないようにと言われました。
「大丈夫」とか「元気」とか、
彼に聞くことは出来ませんでした。
心が打ち解けあった友人たちでさえ、
それだけは聞けなかったようです。

私たちは暖かい拍手で迎え入れました。
彼がこの場にやってきてくれたことが、
私たちにとってどんなに嬉しかったか、
あのまま別れていたら悔やんでいたでしょう。
まだきっと心の痛み残っていても、
仲間として戻ってきてくれたことが、
私たちを少しだけ安心させてくれました。

彼はただ一言「ありがとう」と言うと、
それ以上は言葉になりませんでした。
そしてその場にいた殆ど全員が、
彼と一緒に目頭を押さえていました。

これは他人事ではありません。
ひとつ間違えば隣にいる人が、
あの時の事故起こしたドライバーに
なっていたかもしれません。
もしかしたらあの時の犠牲者は、
私自身の可能性だってあり得ました。

皆それが分かっているからこそ、
彼を仲間として送り出したかったのです。
もう二度と会えない可能性もありますが、
その痛みを分かち合いたかったのです。
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     アラスカの野生のあやめ


トランスポのお別れ会

私の同僚が運転するバスで、
ホテルで働いたサラが事故死するという
悲しい事件は皆に影を落としましたが、
それぞれの思いを胸に秘めながら、
海外からの学生たちは帰っていきました。

そして私たちもあと数週間で帰るという時、
それぞれの職場別にお別れ会がありました。
私たちのトランスポも恒例のBBQ大会が、
バスをメインテナンスする車庫で行われました。

今年も皆お揃いのTシャツを注文して、
仲良くお揃いで来ていました。
私は去年注文しなかったけど、
翌年来る予定がなかったので、
記念にフーディーを注文しました。

クロークでお客さんの手荷物を預かり、
溜まったチップでその年の終わりに、
全員に記念品が配られましたが、
今年はその予算がありませんでした。

というのは今年からクロークは
フロントの仕事になりました。
忙しいときは私たちも手伝うのに、
チップは配分されませんでした。

お陰でトランスポの軍資金が減り、
今年はバッテリーになってしまいました。
まあ同じような物が二つあっても困るけど、
皆にとっては楽しみだったようです。

でもこのシーズンも特に病気もせず、
無地に終われることが大切でした。
翌日も皆な仕事があるので、
アルコールがないのが寂しかったです。

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 アラスカで一番好きなコットンフラワー


サポートだけが今できること

バスのドライバーは相変わらずアンカレッジ、
彼女も一緒にホテルに滞在していました。
擦り傷ですんでも、心の傷は重いようです。
毎日カウンセリングを受けているそうです。

私はこのサポート体制に驚きました。
これが日本だと「責任問題」となりますが、
彼に過失がないと判断されたからには、
これからの人生を生きるための援助が必要です。
もう一度ドライバーとして働けるかどうか?
心の傷を和らげてあげなければなりません。

病院にいるシンディ―のために友人たちが、
殆ど毎日病院に通っているそうです。
彼らは車を持っていないので、
会社からバンで送ってもらっていました。
これもホテルからの特別な配慮でした。
休日とは言いながらも、会社のバスで、
事故にあって入院しているのですから、、。

結局シンディーも彼のケビンも、
二度とホテルには戻ってきませんでした。
詳しいことは知りませんが、
シンディーは退院すると帰国、
ケビンも落ち着いてから帰国したようです。

数日後サラのご両親が来たという話を聞きました。
マレーシアから僧の方も来られたそうです。
サラの両親は仏教徒なのでしょう、
彼女の魂を一緒に連れて帰るために、
事故現場に行って弔いをされたそうです。

まだホテルに残っていた学生たちが集まり、
サラのご両親と一緒に「お別れ会」をして、
アラスカでのお葬式にしたと聞きました。
サラの魂も一緒に帰ったことを願っています。

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     アラスカに咲く白い花


サラのお別れ会

その日の夜9時から従業員用のバーで、
サラのお別れ会が開かれました。
私は残念ながら、出席しませんでした。
サラを哀悼する気持ちはあるけれど、
こんな形のお別れ会はあいませんでした。

その代わり、私の部署の友人たちと、
静かにその夜を過ごしました。
私は事件の内容は知りません。
でも「どうだったの?」と聞かれました。
どうして事故になったのか、
私の部署の人間が知っているかのように、、。

警察の判断では「ドライバーに過失なし」
スリップしたのは彼の過ちではなく、
道路の状態によるものと判断されました。
スピードも出していなかったけれど、
バスはスリップして横転したのです。

ドライバーはシートベルトをしているので、
擦り傷程度の軽い傷ですみましたが、
シードベルトをしていなかった二人のうち、
ひとりが窓から外に放り出されてしまいました。

誰を責めることができるのでしょうか?
会社の規定では、スタッフが無料で乗る場合、
会社の保険は適応されないとありました。
ですから会社やドライバーを相手に、
損害賠償請求はできないようです。

しかし娘をなくして両親の気持ちを思えば、
そんな損害賠償うんぬんよりも、
もう一度娘に会いたかったでしょうね。
大学の卒業が決まり、これからという時、
アラスカに夢を持ってきたサラ、
それが永遠の別れになるとは、、。

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    アラスカの州花 忘れなぐさ

ハグしあうホテルの仲間たち

バスの事故が起きた日は、
あちらこちらでハグしあっていました。
たとえサラのこと直接知らなくても、
スタッフ300人ぐらいのホテルです。
数か月一緒に働いていれば顔見知り、
お互いに支えあわないと倒れそうでした。

同じ部屋に住んでいたカサンドラは、
いつもは黒人特有のエネルギッシュな女性、
ダンスや歌が大好きらしくて、
いつも明るく話している22歳の女性でした。

でもこの日だけは社員食堂の椅子に座り、
目をはらして泣きまくっていました。
社員食堂に来る人が皆なハグしていました。
彼女に哀悼の言葉を伝えるのも心苦しく、
いつもより小さくなってしまった彼女を、
そっと抱いてあげるしかありませんでした。

でも彼女は胸の中にためておくことができず、
自分の思いを皆に話かけていました。
話すことによって心の荷が軽くできるなら、
隣の部屋の同僚として聞いてあげました。
お互いに同じ思いを分かち合うことによって、
彼女の心が少しでも軽くなるなら、、、。

私にとってリサを思う気持ちもありますが、
事故を起こした仲間のことが心配でした。
彼はこれからも生きなければなりません。
事故のことを、誰かを死なせたことを、
一生忘れることはできないでしょう。

でもそれを引きづって生きるのではなく、
ひとりの若者として生きてほしいのです。
他のドライバーたちと会うたびに、
お互いにハグして助け合いました。

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  デナリ国立公園 by Tripadvisor




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