地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

友達が働くレストランで

チャイナタウンで買い物をしたら、
友達が働いているレストランに向かいました。
ダウンタウンから少し離れているので、
そのレストランに行くのは初めてでした。

オープンして30年近い和食と言えば、
さすがのロサンゼルスでも老舗ですね。
今は寿司やお酒に人気がありますが、
オープンしたころは高級和食と言えば、
すき焼き、しゃぶしゃぶに鉄板焼きの時代です。
手のかかる料理をメニューに置いている
レストランはかなり減っているようです。

友達と一緒にレストランで食事しましたが、
アラスカで殆ど和食を食べる機会もなかったので、
まさに5か月ぶりの和食になりました。
こんなに長く和食を食べなかったのは初めてです。
ご飯も味噌汁もシドニーより美味しいですね。

友達にアラスカのお土産を渡しました。
あのチャイナタウンで買った
2ドルのTシャツじゃないですよ。
正真正銘のアラスカで買ったものです。

その日の夜に出発なので、
今回は友達に会って土産を渡すだけ、
用事が終わったらユニオンステーションに戻ります。
荷物を受け取って空港に向けて出発です。

ユニオンステーションからバスも出ていますが、
せっかく市内バスの一日券があるので、
ここは十分に使いたいと思います。
2回乗り換えだけど、空港まで行けますからね。

3年間ラスベガスに働きにきたけど、
今年は初めてのアラスカを体験できました。
知合った友達を訪ねてテキサスにも行ったし、
新しい国は増えなかったけど、
アメリカではじめて尋ねる洲は、
新しい国ぐらいの魅力がありました。

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   ロサンゼルスの市内バスに乗って


チャイナタウンでTシャツを爆買い!!

ユニオンステーションで荷物を預かってもらったら、
軽い身になってチャイナタウンに向かいます。
ここで安いTシャツをお土産に買いました。

アメリカのTシャツは質が良いので、
皆に喜ばれますが、ブランド物を高いです。
やはり1枚15~20ドルはしますからね。
大量にお土産にするときはそんな値段も出せません。

ハリウッドのお土産屋さんでは、
3枚10~15ドルでも売っていますが、
チャイナタウンに行くと驚きの値段で、
何と5枚10ドルで売っています。
子供用、大人用、さらに大きいサイズもあります。
それに税金も取らないのでさらに安いです。

大きなデザインだとちょっと恥ずかしいので、
「胸元辺りに小さいデザインのものを探しているの」
と店員さんに言えば、店の奥の方から
箱に入っているデザインを見せながら、
「どんなデザインが良い」と尋ねられ,
おじさんがアイロンをかけながら、
好きな色のTシャツにプリントしてくれました。

ラスベガス、サンフランシスコ、ロスのみならず、
ニューヨークや他の都市もあります。
頼めばアメリカ中のTシャツが買えるかも??
2ドルですからおしゃれとは言えないけど、
肌着代わりに着るには良いですよ。
普段着に来て2~3年は持ちました。

それでコットン100%なんて信じられません。
シドニーで買う中国製とは比べものになりません。
中米で生産されたTシャツもありますが、
メーカーはアメリカブランドでした。
でも爆買いする中国人観光客はいませんよ。

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  チャイナタウンのお店 by flicker

市内バスでたらたらと

ジョンウェイン空港に泊まった翌日は、
シドニーに向けて出発の日でした。
ジョンウェイン空港に戻れば、
ロサンゼルス空港行のシャトルバスもありますが、
時間だけはたっぷりある貧乏旅行、
ここは市内バスで行ってみることにしました。

まずはこのモーテルから近くから、
ディズニーランド方面に行くバスに乗りました。
ディズニーランドも入場が高くなってからは、
なかなか行く機会をなくしています。
また一人ではちょっと行く気もしませんからね。

ガイドをしていた頃が最後ということは、
すでに20年以上は行っていませんでした。
その間にディズニーワールド(オーランド)と
東京ディズニーランドには行っているけど、、。

そこでバスを乗り換えてダウンタウンへ。
途中懐かしいナッツベリーファームも見ました。
市内までたっぷり2時間以上はかかりましたが、
ちょっと観光しているようで楽しかったです。

ユニオンステーションに到着すると、
荷物を預けるところを探しますが、
2001年のテロ事件以来、
荷物を預けれるところがなくなりましたね。

グレイハウンドのバスターミナルなら、
場所によってはロッカーがありますが、
空港にも駅にもロッカーはありません。
アムトラックの荷物預かり所に
頼み込んで何とか預かってもらいました。
これで何とか市内で自由に過ごせます。

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ディズニーランド行きのバス by flicker



初めてジョンウェイン空港を利用した

ユナイテッド航空でロサンゼルスまで飛びましたが、
今回はロサンゼルス国際空港ではありませんでした。
同じロサンゼルス行きでもちょっと安かったのが、
オレンジカウンティーにあるジョンウェイン空港でした。

以前はオレンジカウンティー空港と呼ばれていましたが、
1979年にニューポートに住んでいた、
ジョンウェインを讃えて改名されました。

しかし国際線はバンクーバー便のみなので、
利用するのはオレンジカウンティーに住んでいる人のみ、
車を持っていないとちょっと不便な空港です。

夕方遅くに到着したので宿泊は空港の近く、
ホテル予約サイトのミステリーホテルで予約しました。
これは値段が安い分、ホテルを指定できません。
どのあたりのホテルということで予約するのみです。

ホテルの料金は予約した時に分かりますが、
宿泊するホテルの名前がわかるのは数日後、
安い分キャンセルができませんでした。

ホテル名をもらった時に地図で確認しましたが、
空港からホテルまで行くバスはありません。
近い割にはシャトルバスも高かったので、
結局タクシーで行くことにしました。
タクシー代が20ドル以下で済んだので良かったけど、
高かったら安いホテルを予約した意味がありません。

長いことロサンゼルスに旅行していますが、
ジョンウェイン空港を利用したのは、
後にも先にもこの時ばかりでした。
この周辺に住んでいる人にとっては便利でしょうね。

モーテルタイプのホテルでしたが、
部屋も広くてとても良かったです。
ハリウッド辺りでいつも泊まっている
バックパッカーのドミトリーと同じ値段でした。

翌日はコンチネンタルの朝食付き、
フロントで自由に食べることができました。
マフィン、フルーツ、ジュースをもらったら、
軽い昼食代わりに食べることができました。

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   ジョンウェイン空港 by wiki

ロサンゼルス行のフライトで

飛行に乗ったら隣の方と話しますか?
私は面倒くさいこともあって、
大抵は寝ているか、映画を見ています。
国内線ではサービスがすべて有料なので、
寝ていることが多いかもしれません。

デンバーからロサンゼルス行のフライトは、
2-3-2の座席になっていました。
私は窓側がある2席の通路側に座りました。
万が一誰も来なかったらひとりで使えます。

窓際に座ったのはちょっと年上の男性でした。
彼は元パイロットですがリタイヤしても、
アメリカのあちこちでセスナを楽しんでいるそうです。
その日はロサンゼルスに到着後サンタモニカに行って
数日フライトを楽しむと言っていました。

機内ではあまり隣人と話しませんが、
彼が地図を見ていたのでとても興味が湧きました。
それはiPadにいれた特別のappsで、
GPSで現在地がすぐに表示されました。

セスナで飛ぶときに利用する地図だそうです。
コマーシャルのジェット機で
実際にパイロットが使うのと同じようなものです。
交信をとるときの管制塔も表示されます。
そのためにフライトのルートとも出るそうです。

ちょうどグランドキャニオン周辺の
上空を飛行していたと思うのですが、
上から見るとまっ平らに見える地平線も、
地図を見ると近くに深い渓谷があります。

この辺り景色は何度も通っているので、
普通の地図なら少しは頭に入っています。
しかし彼の地図を見ていると、
地形が手に取るように分かりました。

その地図を見ながら、ここが何処と
いちいち説明してくれるので眠れません。
でもお陰で今何処を飛んでいるのか、
道路を走っているように理解できました。


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      飛行機の中から

デンバー空港のトランジット

サンアントニオからロサンゼルスへの直行便は、
かなり値段が高かったので、
安いのを買ったらデンバー経由でした。
デンバーってまだ一度も降りたことのない、
私にとって未知の都市でもあります。

乗り継ぎなのでターミナルの移動のみですが、
空港を利用してびっくりしてしまいました。
まだ建設されて間もない空港は
ターミナルがとても広くて、
ゲートとゲートの間もかなり離れていました。

ゲートに到着すると出発のゲートを探しますが、
ロサンゼルス行だけでも何便もあります。
ゲートを探すだけでも一苦労でした。
時間に余裕がないと乗り換えできないかもしれません。

私の場合時間が余っていたので、
レストランを探す傍ら散策してみました。
そして驚いたのがシェルターがあるのです。
「もし竜巻が発生したら、緊急案内があり、
空港にいる人はシェルターに行くようです。」

利用人数も多いのでシェルターも、
ゲートとゲートの間にたくさんあります。
このシェルターの敷地だけでも
いくつかターミナルができそうです。

さすがユナイテッド航空のハブになっているせいか、
乗り継ぎの人だけでも半分ぐらいいるのでは?
いつかはこの空港に降り立って、
コロラド州をゆっくり旅行したいですね。

ロッキー山脈の麓というと
カナダのカルガリー空港を思い出します。
コロラド州のイメージとしては、
空港の近くに山がありそうですよね。

カルガリーもロッキーから離れているように、
デンバー空港から山を望むことはできませんでした。
大都会は山の中にはないのですね。

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     デンバー空港 by wiki





サンアントニオ市内から空港へ

旅行していると飛行機を使う機会が多いですが、
東京都内から成田空港に行くように、
空港が市内の中心地から遠いところが多いです。

それでも電車やバスなどの交通機関で
簡単に行けるなら旅行者も安心ですが、
言葉が通じない国ではとっても心配です。
結局どうしても見つけることができずに、
タクシーを使うことも多いですね。

ホテルにフロントで尋ねても、
タクシーしか教えてくれないところもあります。
インターネットの普及でブロガーさんの体験を元に、
空港に行くこともできるようになりました。

サンアントニオは市内バスで
空港まで簡単に行ける街のひとつです。
バス番号5番が毎日空港と市内を結んでいます。
時間的にも市内から30分ほどしかかりません。
料金は1ドル30セントと安いです。

市内のバスにたくさん乗る予定なら、
一日乗車券が3ドル足らずです。
往復したら元が取れるくらいの値段ですね。

ホテルを出て荷物もあるので、
早めに空港に向かいました。
メージャーな航空会社なら、
どんなに早くてもチェックインできます。

荷物を預けてインターネットするのが、
一人旅の楽しみになりました。
このころから空港も無料のWi-Fiが増えましたね。
数年前までは有料の所が多かったのですが、
お陰で何時間でも暇がつぶせます。

ブログを書いたり、訪問したり、
繋がったばかりのファイスブックで
友達が何処にいるのか探していました。


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   サンアントニオの空港 by wiki


サンアントニオの「リバーウォーク」

サンアントニオの観光は「アラモの砦」だけではありません。
私が一番気に入ったのがリバーウォークでした。
街の中心地にあり、リバーウォークを歩くだけで、
サンアントニオの主な観光地にアクセスできます。
レストラン、ホテルやショッピングセンターだけでなく、
この街の主なビジネスがリバーウォークで繋がっています。

1921年にサンアントニオ川が氾濫して、
50名の尊い命が奪われると、
上流にダムを建設してバイパス用の川を建設、
二度と災害が起こらないように対策をとりました。

そしてこの川を活かして観光名所にするため、
川岸に歩道を作ることにしたのです。
市民は自動車が通る道を歩く必要はなく、
川岸を散策がてらに歩くだけで、
何処へでも行くことができます。

主なホテルに滞在している宿泊客は、
ホテルがリバーウォークに繋がっているので、
車を利用することなく歩くだけで、
レストラン、バーやショッピングに
簡単に行けるなんて夢のようですね。

またサンアントニオ市内の主な観光地も、
リバーウォークと繋がっていたり、
歩いて数分の所にあります。
地図もあちらこちらにあるので、
迷うこともなく簡単に歩けます。

歩くのが面倒くさいという方は、
リバータクシーだって利用できるし
クルーズ船に乗ればそのまま観光もできます。
海からは遠いけど、リバーウォーのお陰で、
とっても落ち着く街でした。


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サンアントニオリバーウォーク by wiki 


もし米墨戦争にメキシコが勝っていたら、、、

サンアントニオの旅行記から
歴史の時間にジャンプしてしまいましたが、
「もし米墨戦争でメキシコが勝っていたら」
と考えてみると面白いですよ。

その前にカルフォルニアの金発見が、
もう数年前だったらどうなっていたでしょうか?
アメリカは何かしらの言いぐさをつけて、
メキシコに戦争を仕掛けていたかもしれません。

メキシコ割譲で1/3以上の国土を失ったメキシコ。
カルフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ユタと、
私がアメリカで一番訪れる場所です。
自然が豊かなだけでなく、資源も宝庫なら、
気候も良いところです。
アメリカの経済を支えています。

しかしもしそこがメキシコのままだったら、
今のようには発展しなかったことでしょう。
メキシコの現実を見ると分かりますよね。

メキシコ人は働き者だし、親切ですが、
何といっても政府が安定していません。
これはスペインが支配した国に共通していますが、
ものすごい経済発展ができないのです。

これらの州がアメリカに併合されたからこそ、
今のように発展していたのかもしれません。
英語圏だったからこそ
海外からの移民者も来やすかったと思います。

もしメキシコが勝っていたとしても、
現在のアメリカに変わるような、
世界トップの経済大国には
なれなかったような気がします。

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     アラモの砦 by wiki


米墨戦争でアメリカは強くなった

1845年テキサス共和国が併合されると、
アメリカ合衆国政府はメキシコ合衆国に対して、
カルフォルニアとニューメキシコを
購入したいと申し出ますが、
メキシコ国内が混乱していたこともあり、
交渉は不成立に終わりました。

サンタアナが認めたテキサス共和国成立も、
メキシコ合衆国としては認めておらず、
アメリカとメキシコの国境線に関して
お互いに意見が違っていました。

当時のポークアメリカ大統領は、
アメリカの主張するテキサスの領土を
確保するように軍に命じました。
メキシコの非難にも関わらずブラウン砦を築くと
2国間の間に国境衝突が始まりました。

1846年5月13日にアメリカが宣戦布告すると
5月23日にメキシコも宣戦布告しました。
アメリカ軍はカルフォルニアに進行して、
ロサンゼルスなどいくつかの都市を占領しました。

1847年ブエナビスタの戦いで勝利すると、
アメリカ軍がこの地域の全域をほぼ収め、
さらに南下してメキシコの各地を攻略しました。

1848年2月2日戦争締結の条約に調印され、
メキシコはカルフォルニア、ネバダ、ユタと
アリゾナをアメリカに割譲しました。

その数日前に1月24日に、
サクラメントの近くコロマで砂金が発見され
ゴールドラッシュが始まることになりました。
この金発見が数年早かったら、
アメリカとメキシコの歴史は変わっていました。

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     アラモの砦 by wiki


テキサス共和国成立

1835年2月23日に始まった、「アラモの戦い」は、
3月6日のメキシコ軍の砲撃で終了しました。
わずか13日間で砦は陥落したのです。

トラヴィス中佐は砲撃を受け戦士、
クロケットはメキシコ軍に捕らえられ処刑、
司令官たちの黒人奴隷と女子供
24人は陥落後解放されましたが、
砦にいた男は皆殺されたそうです。

この間の3月2日に
テキサス暫定政府は独立宣言をしました。
しかしアラモにいた人たちは、
これを知ることもありませんでした。

テキサス軍はこの時点で総勢2000人程度、
その後の戦いで負け続け、
1000人程度まで減ったそうです。

しかし4月21日のサンジャシントの戦いでは
1250人強のサンタアナのメキシコ軍を
わずか910人のヒューストン将軍の軍隊が破りました。
この時のかけ声が、
「アラモを忘れるな!ゴリアドを忘れるな」

この時サンタアナは逃亡を図り
指揮官の服を抜いて一般兵士の服を着ていました。
彼はテキサス軍に捕らえられましたが、
命の保証との引き換えに、テキサスの独立を認め
テキサス共和国となりました。

1845年28番目の州として
アメリカ合衆国に併合されますが、
これが米墨戦争のきっかけとなりました。

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    アラモ砦の戦士たち by wiki


アラモの戦い

1835年憲法によってサンタアナ大統領が、
連邦共和制から中央集権制に変えようとすると、
社会的動揺がメキシコ中に広まり、
いくつかの州で暴動が始まりました。

テハス省(現在のテキサス州)では、
1835年10月1日ゴザンレスにて戦闘が行われ、
これがテキサス独立戦争の始まりと言われています。
テキサス軍は勝利をおさめ暫定政府が設立されました。
その後もゴリアドの戦いやベバル包囲戦でも
テキサス軍は勝利をおさめました。

当時のテキサスの政治と軍事の中心地ベバル
(現サンアントニオ)を占拠すること目的に、
サンタアナ将軍は、サンルイスポトシで、
6100人の兵士と20門の大砲を集め
テハス省に向け進軍を始めました。
そして1936年2月23日に到着しました。


アラモを守備していたボウイ大佐が倒れたので、
騎馬隊中佐に就任したばかりのトラヴィスが、
テキサス軍を指揮することになりました。
彼は1月に州政府から30人の志願兵と供に派遣され、
2月3日にサンアントニオに到着したばかりでした。

テキサス各地やアメリカ国内からも、
アラモに兵士が志願してやってきましたが、
その総勢はわずか200名程度だったそうです。
その中には元テネシーの下院議員だった
デービッド・クロケットもいました。

サンタアナの軍に包囲された後も、
トラヴィス中佐はテキサスの暫定背府に
救援を求めますが、誰も来ませんでした。

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     アラモの砦 by wiki


以前はメキシコだったテキサス

街の至る所にあるサインで一番目立ったのが、
「Alamo」というサインでした。
私にとって「アラモ」と言えば、
安いレンタカー会社の名前が浮かぶのですが、
何処かで聞いたことのある名前です。

アラモの砦」「アラモの戦い」、
名前は記憶の何処かあったとしても、
それがアメリカ南部というイメージだけで、
実際に何処にあるかも知らなければ、
どんな戦いだったかも覚えていません。

小さいころ西部劇が大好きだったので、
記憶の中ではどうしても
アメリカ軍とインディアンの戦い?
というイメージが焼き付いています。
しかしテキサスは以前メキシコだったし、
そうなるとアメリカ軍とメキシコ軍の戦い?

「アラモを忘れるな」という言葉を
誰がどのようにして言ったのかも
全く知識のないまま砦の方に向かいました。

「アラモ」は砦としても使われましたが、
1718年スペインの伝道所として建設されました。
19世紀初頭はスペイン軍の騎馬兵が駐屯しますが、
1810年から1821年の独立戦争によって、
メキシコはついにスペインから独立しました。

現在のテキサス州は1824年憲法の下で
創立された、メキシコ合衆国の州のひとつ
コアウイライテハス州になりました。

メキシコ大統領サンタアナ将軍は、
1824年憲法廃止して中央集権色のつよい
新しい1835年憲法を宣言しました。
その時州を省に変えコアウイライテハス州は、
コアウイラ省(現在メキシコの州のひとつ)と
テハス省(現在のテキサス州)に分かれました。

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     サンアントニオ by wii



ここって観光地?{「サンアントニオ」

サンアントニオの観光地について、
何の知識もなくやってきた私ですが、
ホテルのチェックインまでまだ時間があるので、
とにかく街に出ることにしました。

アメリカの空港や駅などでは、
NYのテロ事件以来ロッカーが廃止されましたが、
グレイハウンドのターミナルにはまだあります。
そこに荷物を預けて街に出かけました。

歩道には足跡のマークがありました。
それに沿って歩いて行くと、
何処か観光地に連れて行ってくれるのかな?
とりあえずその足跡マークについて、
歩いてみることにしました。
その足跡は街の中心へと続いています。

この街はアメリカの大都会では珍しく、
観光に力を入れているようです。
旅行者のために観光案内のサインを、
街の至る所で見ることができました。

公園の近くでメキシコ系の女性に会いました。
最初は清掃のおばさんかなと思ったら、
何と「観光大使」という肩書がありました。

ボランティアかなと思ったのですが、
ちゃんと雇われているそうです。
商工会議所がお金を出し合って、
数人の「観光大使」を雇用しているそうです。

観光大使」は旅行者の質問に答えたり
困っている人がいれば助けたりもするそうです。
まるで私がやっていたガイドのようなものです。
観光大使」なんてアメリカでは
初めてお目にかかったような気がします。

いろんなところに住んでみるのが好きな私。
大都会でもこじんまりとした感じだし、
この街なら住んでみたいと思いました。
観光大使」なら私にぴったりの仕事です。


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   観光大使 by centoro SA, TX


ビクトリアからサンアントニオへ

今やインターネットで簡単に安く予約できる
長距離バスのグレイハウンドも、
当時は60ドルぐらいしましたね。
夕方9時ごろのバスでしたが、
マイクには早めに送ってもらいました。

ビクトリアにはバスターミナルがなく、
ハイウェイ沿いにあるガソリンスタンドが、
バスストップを兼ねていました。
市内からはかなり離れているので、
車がないと行きようがないかもしれません。

ファーストフードの店が近くにあり、
Wi-Fiも利用できたので
バスが来るまで時間つぶしをしました。

その日は朝が重く、昼を抜いたので、
お腹は結構空いていましたが、
夜行バスに乗る前は脂分は控えたいし、
こうなるとアメリカで食事を探すのは、
ファーストフードの店では無理ですね。

ここでは飲み物だけにして、
隣のガソリンスタンド兼コンビニで、
サンドウィッチを買っておきました。

グレイハウンドに乗ると3時間ほどで
乗り換え場所のアリスに到着しました。
ここもガソリンスタンドでしたが
フードストアーが開いていて助かりました。
カウンターだけど椅子もあるし、
コーヒーを飲むこともできました。

ここで2時間ほどバスを待って
サンアントニオ行きのバスに乗り換え、
ターミナルに到着したのは、
まだ外が暗い朝の4;30でした。

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  ビクトリアの名所 by Victoria.TX

アラーニの家を後にして

私がアラーニの家に滞在している間、
娘さんが部屋を開けてくれました。
長く滞在するとそれだけ負担もあるので、
三日で出発することにしました。

その後の予定は全く決めていませんでしたが、
滞在中にテキサスからロサンゼルスへの航空券、
ビクトリアから何処へ旅行するか
安い航空券次第で予定を組みました。

ダラスやヒューストンに行くことも考えましたが、
以前から気になっていた街、
「サンアントニオ」に行くことにしました。
私の故郷「熊本市」と姉妹提携をしていたので、
その名前だけは知っていましたが、
どんな街か、何が有名なのかも知りませんでした。

最初はエルパソに抜けて、アリゾナから
ロスの方へと行くことも考えましたが、
ほぼテキサスの東側にある街からロスは
アメリカを半分横断するようなものです。

サンアントニオならビクトリアからも
距離的には近いと思ったのですが、、
確かに距離的には200kmもありません。
アメリカなら車で2~3時間の距離です。

所が直行のバスがないのです。
途中で乗り換えしなければなりません。
どうしても5~6時間はかかるようです。

結局そうなるとバス停まで送ってもらうのに、
マイクの都合の良い時間帯、
そしてサンアントニオに到着する時間、
といろいろと考えた挙句、
宿泊が無料になる夜行便を予約しました。


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  ビクトリアの名所 by Victoria.TX



土曜日はIhopでブランチを

豆を挽いてドリップコーヒーを入れ、
パンをトーストしたらバターを塗ります。
これが私のシドニーでの朝食です。
パンはその時の気分でレーズンとか
違った種類のパンを買ってきます。

仕事がない日は朝が遅いマイクとアラーニ、
娘さんたちもバイトがないというので、
皆で朝食を食べに行くことにしました。

今日のレストランはアメリカ中に展開する
「パンケーキの店Ihop」でした。
お店はブランチを兼ねた家族連れて、
空きがないほどに埋まっていました。

アメリカのファミリーレストランは、
量が多いので選ぶのが大変です。
一番量が少なそうな朝食を選びました。
アラーニは私と同じぐらいのものでしたが、
二人の娘さんは育ちざかりなので、
卵とホットケーキのコンビですが、
その上にはいろいろと乗っているようです。

体の大きなマイクはまだまだ食欲旺盛、
卵にソーセージやベーコンなどがついた
ビックブレックファーストを頼んでいました。

これには大きなパンケーキが
何と2枚も別についてきました。
私だったら1枚でお腹いっぱいになりそう、
それにシロップやバターもたっぷり乗って、
アメリカの朝食の大きさにびっくりです。

多分これでお昼ご飯はいらないと思いますが、
それにしてもどのテーブルも、
大きなお皿がたくさん並んでいます。
これがアメリカに肥満が多い理由かな?
こんなあま~いパンケーキなんて
一度食べたらひと月は食べたくないです。

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こんなにたくさん食べれますか? by ihop

初めてのモスク体験

ビクトリアイスラミックセンターは、
モスクというより体育館のような雰囲気でした。
毎日礼拝の時間になると扉が開き、
信者の方は入ることができるようです。

モスリムは金曜日が休日です。
と言ってもアメリカで暮らしていたら、
自分だけ会社を休みわけにもいかないでしょうが、
礼拝の後に持ち寄った料理をたべるそうです。

男性と女性の入り口が別だけでなく、
お祈りするところも別でした。
女性は10人ぐらいいましたが、
アメリカ人で改宗した人もいました。

礼拝の時、私は皆さんの列の後ろにいて、
見よう見まねで礼拝してみました。
誰に何を祈っているのかも知りませんが、
宇宙万物の神様に通じたことでしょう。

その後一番の年長者のような方が、
いろいろと話をしていましたが、
信者でない私には内容が分かりません。
まあ英語だったので意味は分かりますが、
充分に理解することは難しいですね。

お寺に言ってお坊さんのお話を
日本語で聞いても理解しにくいのですから、
例え英語と言ってもモスリムの話は
異次元の話をされているようなものです。

それが終わったら台所に並べられた、
皆さんの手作りの料理が楽しみでした。
この時もまず男性の年長者から、
それが終わると女性や子供が取ります。

アラーニの手料理も初めてですが、
各国の料理が並んで美味しかったです。
前菜からデザートまで、
結構種類も多かったですね。

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ビクトリアイスラミックセンター by FB


追記
私が尋ねたビクトリアにあるこのモスクこと
ビクトリアイスラミックセンターが
今年火事で焼失されました。

トランプアメリカ大統領が
イスラム圏からの渡航者入国禁止を
発令し発表したその1時間後だそうです。

多分イスラム教に反対する人が
火をつけたのではないかと言われていますが、
まだ犯人は逮捕されていないそうです。

でも再建の動きは始まっています。
アラーには夏の間他の町で働いていますが、
彼女が戻る秋頃には、
再建されていることを願っています。

ポットラックの食事を持って

その日はアラーニが朝から料理していました。
彼女の祖国インドネシア料理です。
魚、肉、野菜といろいろありましたが、
豚肉料理だけはありませんでした。

今日はモスリムの行事があるようで、
モスクに行くので一緒に行こうと誘われました。
そこで皆が持ち寄った料理を
礼拝の後に一緒に食べるそうです。

シドニーにもたくさんのモスリムの方がいます。
違いは分かりませんが宗派もあるようです。
さすがにモスクから礼拝への呼びかけ
アザーンは聞こえてきませんが、
信者は熱心に礼拝されているようです。

アラーニはアラスカにいるときは、
礼拝を自分の部屋ではしていたかもしれませんが、
職場ですることはありませんでした。
ましてやヒジャブもつけていません。

しかしモスクに行くときだけは、
モスリムの正装とでも言うのでしょうか、
白いヒジャブ(頭につけるスカーフのようなもの)、
白い薄いコートのようなものを持っていました。

私に「スカーフがあるか?」と聞いたので、
「アラスカで使っていたショールがあるよ。」
それは真っ赤で模様の入ったカラフルなものでしたが、
信者でもない私は頭さえ隠していれば、
特に問題はなかったようです。

マイクも二人の娘さんも行きません。
私はもちろん興味本位ですが、
モスクに入れるなんて滅多にないし、
体験としては絶対に価値があります。

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  ビクトリアの名所 byVictoria.TX



ビクトリアのダウンタウンに行ってみたけど、、、

アラーニの家に滞在している間、
一度だけダウンタウンに遊びに行きました。
ビクトリアには古い町並みがあり、
英国風の面影もあります。

しかし街の中心地を一歩出れば、
南部独特のバイユーがあり、
低い木造建ての住宅と、
うっそうと茂った木や草があります。

アラスカはすでに紅葉して、
秋というより冬の気配でしたが、
この辺りではやっと夏の終わり、
日中は汗をかくほど蒸し暑かったです。

ビクトリアにはテキサス動物園がありますが、
ここではアラーニの家でのんびりしては、
おしゃべりばかりして過ごしました。

二人ともお酒は飲まないけど、
かなりのヘビースモーカー、、。
娘さんたちに嫌がられながら、
家の中でも平気で吸っていました。

タバコを吸わない私がいたので、
ちょっとは遠慮してくれたようですが、
特にくだくだと友達の家で過ごすのも、
長期旅行をしているときは必要です。

彼女は家で料理をしませんでしたね。
何をつくっていいのか分からないでしょうが、
いる間は朝食を除き毎日外食か、
持ち帰りで料理を注文していました。
確かに人種が違う人を家に呼ぶと、
何を出していいのか気を使います。
ベジタリアンでは特に困ったでしょうね。

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 ビクトリア市内の名所 by victoria.TX

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