地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

タスマニアの州都ホバートへ

オーバーランドトラックの終点となる、
レイクセントクレアを観光した私たちは
タスマニアの州都ホバートを目指しました。

ホバートはシドニーに次いで
オーストラリアで二番目に古い街です。
しかし本土にないためかそれほど発達せず、
現在でも人口はわずか22万人程です。

ホバートと言えば、オーストラリアで由緒ある
シドニー〜ホバート間ヨットレースの終点です。
クリスマスから年末にかけては
このレースを観戦する人たちで賑わいます。

と言ってもこれという観光地はないですね。
タスマニアの人に怒られるかもしれませんが、
サリバンズコーブにあるサラマンカプレイスのみです。

ジョージア王朝様式の倉庫は
1830年代に穀物や羊毛、鯨油、輸入品
などを貯蔵するために建てられました。
現在は改装されて、ギャラリーや劇場、カフェ、
バー、レストランなどに生まれ変わっています。

こういう建物はオーストラリアの各都市にあるので、
シドニーから来た私たちには興味はわきませんが、
ここで旅で疲れた体を潤すために
ビールで乾杯することにしました。

タスマニアにはJ. Boag & Son と
カスケードというビールがあります。
この二つはオーストラリア全土で飲めますが、
地元でないと飲めないビールもあります。

その日はキャンプをする日だったので、
市内のスーパーで食料品を買い込んで
ポートアーサーに移動することにしました。

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     ホバート市内 by wiki

旅行情報
オーストラリア観光局 日本語
http://www.australia.com/ja-jp/places/tas.html
タスマニア観光局 英語
http://www.discovertasmania.com.au

最高峰『コジオスコ山』を目指すルート

悪天候もあってオーストラリア最高峰に
登頂する機会は逃してしまいました。
登頂というほど難しいものでなく、
どちらかといえばハイキングコースですが
お天気の良い時に登りたいでね。

山頂まではふたつのルートがあります。
私たちが行ったシャーロットパスからと
スレッドボから行くルートです。
スレッドボから山頂に向かうときは、
チェアーリフトに乗って上まで行きます。
そこから往復14kmあるので、
もっと時間がかかるので注意してください。

もし片道移動の手段があれば、
シャーロットパスから登って
スレッドボに降りて来ることもできます。
この間の路線バスはないので、
移動手段を確認しておいてください。

他にもハイキングコースがあります。
日帰りコースがが多いので何日も滞在して
いろんなルートに挑戦してみたいですね。
夏は日も長くゆっくりと滞在できますが、
水や食料品の準備を忘れないでください。

私たちが行ったのも1月でした。
マウントクックのように険しくはないですが、
山の天候は変化しやすいので準備万端、
いつでも引き返す勇気も必要です。

グーグルビューが便利なのは知っていますが、
まさかこのルートまで見れるとは、、。
もし興味のある方は要チェックですね。
これで登った気分にもなれますよ。
でも実際に行くのと全く異なります。
機会があれば登山口でも是非行ってください。

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 コジオスコ山のトレイル by NSWNP


観光情報
マウントコジオスコ(オーストラリア最高峰)
マウントコジオスコ国立公園
オーストラリアのスキー場案内
http://www.snowholidays.com.au/ski_nsw.html


クレモンポイント

クレモンから入り江に突き出た半島部分、
シェルコーブとモスマンベイに挟まれた所が
クレモンポイントと言う街です。

島の先端は保護区になっており、
橋が出来るまではフェリーに乗って、
半日遊びに来る人もいたそうです。

この辺りには三階建ての大きな屋敷が多いです。
もともとは一戸建ての屋敷だったようですが、
大きな家を管理できなくなったのか、
分割してアパートにして売り出していました。

ここからはオペラハウスや市内が良く見れます。
とても環境の良い所ですが、
主な交通は手段はフェリーしかありません。
住んでいたガイドは苦労していたようです。
そのうち便利の良い所に皆引っ越ししました。

私もニュートラルベイのアパートから
この辺りまで良く散策しましたが、
シドニー湾沿いに遊歩道があります。
特にクレモンポイントから
タロンガ動物園のフェリー乗り場までは、
高級住宅街と入り江の景色がすばらしいです。

シドニー湾は何処を歩いても絵になりますが、
ちょっと離れただけで静かな所です。
ただフェリーに乗るだけでなく、
散策も観光の一部に入れて下さい。

この保護区はシドニー湾の半島にある
数少ない公共の公園です。
子供のプレイグランドや
運動出来る設備もあるそうです。

ピクニック設備もありますので、
すばらしい景色の中でちょっと一休み。
観光を離れて過ごすには良い所ですよ。
もちろんちょっと歩けばカフェもあります。

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      クレモンポイント


クレモン

私が住んでいたのは正式にはクレモンでした。
ニュートラルベイとモスマンの間にあります。
この辺りまではノースシドニーの管轄ですが、
モスマンからはモスマンカウンシルの管轄でした。

クレモンはふたつの入り江に面しています。
北はウィルビーベイという静かな入り江に面して、
南はモスマンベイに面していました。

ミリタリーストリートには商店街がありますが、
一番目立つのが1935年に建設された
アートデコスタイルの映画館『Orpheum』です。
当時は劇場としても使われていたようですが、
改造して商店街になってしまったようです。

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Hayden Orpheum Picture Palace


1986年ビジネスマンが買い取り
昔の面影を残した映画館に作り直します。
当時市内の映画館以外では唯一
封切り映画を上映したそうです。

他の映画館では上映しない映画も見れました。
特にまだ人気が出る前の日本のアニメ
宮崎駿監督の映画を90年代に上映していました。
私がシドニーで唯一日本語で見た映画です。

幹線道路のミリタリーストリート沿いには
10階建てくらいのアパートも多いですが、
どちらの入り江に向うにも坂が多いので、
一戸建ての住宅が殆どです。

個性的な家の多いクレモンですが、
クランブルック通りに
カルフォルニアバンガロースタイルの家が多いです。

特にアレキサンダージョリーが
1919年に設計した『ベルベデール』は
この辺りでも一番有名な家のようです。
現在州政府の文化遺産に指定されています。

もし皆さんがシドニーに遊びに来られる時は
市内だけに泊まって観光客するよりも、
郊外の安いホテルに泊まって長期滞在して、
こんなステキな街を尋ねてみて下さい。
ここから市内までバスで10分で行けます。


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    ベルベデール by wiki

ニュートラルベイ

シドニーの街角シリーズ その24

当時私が住んでいたのはニュートラルベイシャンクション。
ここは市内から橋を渡ってすぐのところにあり、
タロンガ動物園に続く、ミニタリーストリート沿いにあります。
私が住んでいた頃から日本人が多く住んでいました。

当時は紀伊国屋(現在は市内にある)をはじめ、
日本のビデオや美容院に家具屋までありました。
日本食のレストランは今でも10軒以上あります。
まさに日本語で暮らせる街でしたね。

朝の通勤時間帯にはバスが待っているほど、
何本もこのバス停にバスが停まります。
エクスプレスに乗れば次が市内まで止まりません。
ハーバーブリッジにはバス専用レーンがあるので、
電車がなくても渋滞の心配もいりませんでした。

ニュートラルベイジャンクションは交通の要点ですが、
ニュートラルベイシドニー湾に面した街です。
首相官邸のあるキリビリから歩ける距離です。
近くには海軍の潜水艦の基地や
湾内クルーズ船『キャプテンクック』の係留地もあります。

もともと英国の植民地だった頃、
外国船が来て(英国以外)係留する所に選ばれました。
そこからニュートラル(何処にも所属しない)という
地名の由来になったそうです。

20世紀になると、お隣のクレモンとともに
芸術家や工芸家に人気がでました。
当時はまだ橋がなかったので、
シドニーに行くにはフェリーを使っていましたが、
市内の混雑から逃れたい人達が移り住んだそうです。

ニュートラルベイの住人で一番有名だったのが、
オーストラリアの児童絵本作家として知られる May Gibbs
彼女は英国生まれですが、小さい時に移民しました。

彼女が描く絵本の題材として
オーストラリア独特の植物や動物を使っています。
日本語にも訳された本もありますが、
森の精霊の冒険
『ファンタジー スナグルポットとカドルパイ』は有名ですね。

彼女が住んでいた家は博物館になっています。
宜しかったらシドニー滞在中に是非尋ねて下さい。
May Gibbs Nutcote
http://www.nutcote.org

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    ニュートラルベイ by wiki

クロウズネスト

シドニーの街角シリーズ その23

日本人の観光客はあまり行かないけど、
地元に住む日本人が多く集まる場所があります。
ワーホリや学生さん達は海辺に近い
ボンダイジャンクションで集まっていましたが、
永住者や駐在員は北の方が多く、
ニュートラルベイ、クロウズネスト
その代表的な所だったかもしれません。

レストランはラーメン屋から高級な店まで、
さらにはカラオケボックス、クラブなど
いろんなタイプの日本人が集まる店がありました。
現在でも比較的お店は多いですけれど、
以前のような高級なお店とクラブは閉まりましたね。
駐在員の数が減って来たのが原因でしょうか。

クロウズネストはオフィス街、住宅街も近く、
日本人コミュニティーにとっては便利な所です。
周りの小さな街からもたくさん集まってきます。
さすがに中国人コミュニティーのように、
何でも日本語では住みませんけれど、
交通の便も良く、最初に住むには良いですね。

和食だけでなくイタリアンからタイ料理まで
世界各国の食事を楽しめる所でもあります。
最近オーストラリアの経済も厳しいので、
一時期の賑わいは遠のいてしまいましたが、
それでもレストランはいつも賑わっています。

クロウズネストという名前の由来は
ウールソンクラフトが建てたコテージの名前でした。
隣接しているセントレオナルドの駅が
ノースラインで最初に建てられた駅と言えば、
当時はこちらの方がノースシドニーより
発展していたと言うのがわかりますね。

友達が家を買ったのは今から20年前
安く見積もっても3~4倍に上がっています。
私もあの頃買っておけば良かったかな?
後から後悔するのはいつも簡単ですね。

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   クロウズネストの住宅街 by wiki

セントレオナルド

シドニー郊外にも衛星都市がいくつかあります。
ビジネス、ショッピング、住宅街と
全てを網羅している所は意外と少ないです。
ノースではチャッツウッドが一番大きいです。

チャッツウッドとノースシドニーの中間にあり、
この10年でビジネス街として大きくなったのが、
セントレオナルドと言う街です。

現在のノースシドニーカウンシル全体が
セントレオナルドと呼ばれた時代がありましたが、
この街は現在ノースシドニーカウンシルですが、
レーンコーブとウェイルビーのカウンシルに
一部分は含まれているそうです。

私が来た頃は小さなオフィスが目立ちましたが、
法律が改正になり駅周辺の再開発が始まりました。
駅を少し移転して、その上にマンションを建設、
さらにレストランやお店も作られました。

2001年に完成したフォーラムは、
オーストラリアでは珍しい開発でした。
その後駅の上を開発する方法は
別の主な駅でも採用されています。

パシフィックハイウェイの道路上にあり、
もともと交通の要点でもありましたが、
隣には大きな病院や学校もあります。
またABCの放送局も以前はこの近くにあり、
今でもテレビ塔だけ見ることができます。

日本人は以前からノースに多く住んでいます。
日本人の経営するレストラン、お店も多く、
日本語で通じる幼稚園もあります。
お陰で駐在員数人のような会社は、
この周辺にオフィスを構えていました。

ガイドの仲間でも住んでいる人がいますが、
年を取って車が運転できなくなったら、
ここの便利さが有り難いわよと言われています。
確かに年を取れば取る程、
不便な所には暮らせないかもしれません。


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   駅の上にできたフォーラム by wiki

ウールストンクラフト

シドニーの街角シリーズ その21

ウールストンクラフトはノースシドニーからふたつ目、
ここもこじんまりとした駅です。
列車によってはお隣のウェーバートンとともに
通過されますので注意して下さい。

さてここ街の由来はこの土地に住みついた
Edward Wollstonecraftから取られています。
彼は英国から一緒に移民して来た
Alexander Berry とビジネスパートナーを組み、
200人の囚人達の面倒をみるかわりに、
ここに政府から土地を与えられたのです。

駅から10分程湾に向って歩くと
Berry Islandリザーブがあります。
昔は島でしたが、現在は陸と繋がっています。
ここにも原生林が残っており自然が楽しめます。

さてエドワードが植民地に移民した理由が、
いとこにあたる小説フランケンシュタインの原作者
Mary Wollstonecraftの名声から逃れるためだそうです。

彼女は1813年にPercy Shelleyと知り合いますが、
彼はすでに結婚していて子供までいました。
彼女はそんな彼と駆け落ちし、子供を生みます。
不倫と未婚の母とは当時としては話題になりますよね。

彼らがレマン湖の畔にあるバイロン卿を尋ねた時に、
1人1作小説を書いてみようと言われたそうです。
その時に得た着想で書き上げたのがその本でした。
パーシーの妻が亡くなったので正式に結婚したそうです。
母は女権論者のMary Wollstonecraft
父は政治評論家William Godwinと言うのですから、
彼女自身もただ者ではありませんが。

彼はこの植民地でビジネスマンとして成功します。
彼が後日建設したコテージの名前『Crows Nest』は、
同じノースシドニーの街の名前になっています。

Wollstonecraft
    ウールストンクラフト by Flickr

ウェバートン

シドニーの街角シリーズ その20

シドニーの対岸にあるのがノースシドニーです。
オーストラリアに永住して以来、
ずっとこのカウンシル内に住んでいました。
オフィスはその頃からありましたが、
過去20年ですっかり変貌してしまいました。

しかしこのカウンシル内でも
あまり昔と変わらない街がふたつあります。
ノースシドニーとセントネオナルド駅の間にある、
ウェーバートンとウールストンクラフトです。
隣の駅なのにこんなに差があるのか、
初めて来た人には信じられないと思います。

お店が二軒ぐらいしかないような、
小さなコミュニティーしかありません。
最近はレストランもできたようですが、
すぐ後ろにはノースシドニーのオフィス街もあれば、
シドニー市内を眺望することもできます。

駅から15分程歩いて行くと
Balls Head Reserveという公園があります。
先住民アボリジニにとっては重要な場所でした。
集会を開き、儀式などが催しされたそうです。
そのために貴重は遺跡が乗っています。
岩には彼らが刻んだ彫刻も見られるようです。

中心地に近く立地条件も良いので、
商業目的で開発も進められましたが、
住民達の強い反対の声にあい、
一度も開発されることがありませんでした。
そのために昔ながらの姿をとどめています。

公園内には遊歩道やピクニック設備があり、
シドニー湾本来の植物を見たり、
クカバラ、マグパイなどの鳥類、
トカゲなどのは虫類や昆虫も
ここで見直に観察することができます。

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    ウェバートンの駅 by wiki

ラベンダーベイ

シドニーの街角シリーズ その19


ノースシドニーを中心にキリビリ、
ミルソンズポイント、マクマホンポイントと
街角シリーズでご紹介しましたが、
そこの住民でさえ見落としてしまいそうな、
小さな街が入り江のそばにあります。

ノースシドニーのオフィス街から見ると
ノースシドニーの駅の向うに広がっていますが、
シドニー湾まで急勾配の坂になっているので、
住宅街があることさえ見落としてしまいそうです。

オフィス街からわずか5分程歩いた所に
静かな住宅街が広がるのがラベンダーベイです。
ノースシドニーの駅の上にあるビルのお陰で
オフィス街とは遮断されています。
そのために静かな空間が広がっているのでしょうか。

ハーバーブルッジの袂からマクマホンポイントまで
海岸線沿いに歩く遊歩道があります。
木々がこんもりと茂っていて
都会にいることさえ忘れてしまいそうです。

大都会に住みながら自然を楽しむことができる。
オーストラリアの代表的な画家、作家として有名な
ノーマンリンズーが住んでいた時があります。

昔から芸術家に好まれていたようで、
ここには王立NSW芸術教会があります。
ラベンダーベイギャラリーでは活動する
芸術会員の作品が常時展示されています。

彼の生涯は1993年に公開された英豪合作、
”泉のセイレーン”で紹介されています。
ブルーマウンテンにある彼の家で撮影されました。
当時売れっ子だったオーストラリアのモデル
エル・マックファーソンのデビュー映画です。
彼女のヌードが話題になりましたね。

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  夜のラベンダーベイワーフ by wikipedia

ミルソンズポイント

シドニーの街角シリーズ その18

駅の名前はミルソンズポイントでした。
ハーバーブリッジの袂にあると言うよりは、
見た目には橋の上にある駅にも見えます。
最近は健康維持のために電車を使わずに
市内まで通勤する人も多いですね。

ミルソンズポイントの地名はは最初の住んだ
ジェームスミルソンの名前からとられています。
彼の家族はこの辺りで商売をして儲けたお金で、
橋の建設が始まる1920年代まで、
ローアーノースショアーの土地を買い続けました。

ブルーズポイントタワーが建設されてから、
この辺りには高層マンションが建設されました。
今では市内の一部ととともに
一番人口が密集している所かもしれません。

ここで忘れては行けない建物があります。
それは大きな笑顔で迎え入れてくれる
市民の遊園地ルナパークシドニーです。

この遊園地は1935年に建設されましたが、
1979年ゴーストトレインが火事になり
死者が出た後に閉鎖されました。
その後何度も開園と閉鎖を繰り返します。

一度は住宅街への再開発も浮上しましたが、
現在政府の条例により建物は保護されいます。
また一部の乗り物は国の歴史的遺産に指定されています。

そのお隣にあるオリンピックプールは
海水の公営野外プールとして知られています。
ハーバーブリッジを見上げながら
泳いでいると気持ちが良いですよ。

市内から簡単にフェリーで来れるので、
ちょっとした散策にお薦めですね。
帰りはハーバーブリッジを歩いては如何ですか?
歩くのが嫌な人には電車やバスもあります。

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     ミルソンズポイント駅周辺

キリビリ

シドニーの街角シリーズ その17

住んでいたのはキリビリと言う街です。
先住民の言葉『Kiarabilli』からとられており
『魚を釣るのに良い場所』という意味があるそうです。

シドニー湾を挟んでオペラハウスの対岸にあり、
ノースシドニーのオフィス街からも近いです。
一般の住宅街は大きな豪邸は殆どなく、
以前紹介したブルーズポイントのように、
労働者階級の家だったテラスハウスが殆どです。

しかしハーバーブリッジによって市内と結ばれてから、
オフィス街が増えるに連れて高層住宅も増え、
眺めの良い所だとアパートの値段でも
現在は1億円を超える所も増えています。

狭いアパートや住宅が多いので
お子さんのいる家族世帯は少ないですが、
若者が多くなりおしゃれなレストランも増えました。

大晦日の花火を見るには最高の場所で、
首相や総督がシドニーの官邸があります。
首相官邸がKirribilli House
総督官邸をAlmiraty Houseと呼んでいます。

普段は首都キャンベラで公務を勤める
連邦政府の首相や総督がシドニーに来た時に利用します。
英国王室の方が来られた時に
宿泊所として利用されることもありますし、
政府の迎賓館として利用されることもあります。

シドニー湾から見ると官邸も見れますが、
入り口は一般住宅街のとなりにあり普通です。
特に普段は警備されている様子もなく、
これが首相官邸か?と迷う程でした。
前首相のジョンハワード氏とは
朝の散歩中にお会いしたこともありました。

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    キリビリハウス by wikipedia


関連情報
アドミラルティーハウス (総督官邸)
http://en.wikipedia.org/wiki/Admiralty_House,_Sydney
キリビリハウス (首相官邸)
http://en.wikipedia.org/wiki/Kirribilli_House

ノースブリッジ

シドニーの街角シリーズ その16

私の30年来の友としてこのブログに出て来る
amiさんはドイツ時代からの友達です。
シドニーにワーホリで来てからも、
そろそろ、そんな年来になろうとしていますが、
ドイツ時代のことを知る友人がここにいるとは、
まさかのお釈迦様でも夢に思わなかったでしょうね。

さてそのamiさんが住んでいるのがノースブリッジ
交通の便は車がないとあまり良いとは言えませんが、
日本食の東京マートがあるショッピングセンターがあり、
シドニーに住む日本人なら一度は行ったことがあります。

日本食が日本人以外にも人気があがりだし、
韓国や中国人のマーケットでも買えるようになると、
ここまで来る機会もかなり少なくなりましたが、
この店の売り出しの時にくると
昔の同僚など知人にばったり会うことがありました。

センター内には日本人のドクターもおり、
昔何度かお世話になったことがありますが、
皆からの評判はそれほど良くありませんでした。
最近は日本人のドクターも少し増えましたが、
アポイントを取るのに時間がかかったりします。

この街はシドニー湾とミドルハーバーの間にあり、
ウォーターフロントは高級な家が建ち並びます。
1892年に大きな吊り橋が造られて
単に北にある橋(ノースブリッジ)と呼ばれていたそうです。
その後砂岩の立派な橋に変わりましたが、
この橋から地名がノースブリッジとなったようです。

前回紹介したキャメレーの近くに
シドニー最初の石切り場がありました。
当時の住宅や建物は石を切り出して建設していました。
植民地時代不便さにも関わらず
そのお陰でこの周辺に人が住み始めたそうで、
そのために橋を建設することになったそうです。

以前は日本人唯一のコミュニティーでしたが、
ニュートラルベイやシティーのなかにも、
日本人経営のお店ができると、
こちらまで足を向ける人も少なくなっていますね。

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 街の由来になった橋 by wiki

関連情報
ノースブリッジ by wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Northbridge,_New_South_Wales
ノースブリッジプラザ

キャメレー

シドニーの街角シリーズ その15

ノースで三番目に住んだ街がCammerayです。
シドニー市内からもわずか5km程ですが、
ノースシドニーのオフィス街なら歩いて行けます。
街の由来はアボリジニの種族のammeraygalからです。

街と言っても小さな商店街あるだけですが、
和食レストランが以前から多い
ニュートラルベイやクローズネスに近く、
日本食を売っているノースブリッジにも近いので、
住む所としてはわりと便利は良い所です。

ラグビーチーム『ベアーズ』のクラブがあり、
ファンの人達はいつもこのクラブに通っています。
私もメンバーになりクラブの設備を利用していました。
クラブ内にはレストラン、バーだけではなく、
ジムやプールなども安く利用できました。

たまにメンバーのためのイベントがあり、
無料の映画やビンゴなども楽しめました。
私が良く通ったのはクラブで行われるコンサートです。

ガイド仲間と数回見に行ったのが
当時人気のあったチッペンデールです。
これはメールダンサーのレビュウーです。
体を鍛えたハンサムなダンサーが踊ってくれます。
一度はステージに呼ばれて一緒に踊りました。
アメリカやヨーロッパでも公演したようで、
何故かオーストラリアのメールダンサーは人気がありました。

このためにこの街に住んだわけでもありませんが、
当時覚えたてのゴルフを楽しんでいました。
車で5分の所に9ホールのゴルフ場があり、
時間があると仲間達と通っていました。
何せドライブレンジに行くより
グリーンフィーの方が安かった時代です。
入り江も近くに数カ所あり環境も抜群です。

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    North Sydney Leagues Club


関連情報
North Sydney Leagues Club

マクマホンポイント(ブルーズポイント)

シドニーの街角シリーズ その14

ノースシドニーからシドニー湾に向けて
一本延びている道路がブルーズポイントロードです。
その先端のリザーブ内に私が住んでいた
ブルーズポイントタワーがありました。
当時はオーストラリアで一番高い住居でした。

この名前の由来はBilly Blueから来ています。
窃盗の罪で英国から送られたきた囚人でしたが
ジャマイカ出身の黒人系の人だったようです。

シドニーに送られてからはボートマンとして働き、
シドニー湾を往来するフェリーを運営していました。
白人の植民地ではカラードということもあり、
植民地時代にはかなり知名度があったそうです。

私が住んでいたのはブルーズポイント
そしてその道路もブルーズポイントロードなのに
私が住んでいる街はマクマホンポイントでした。
タクシーや住所を伝えるとき頭が混乱しました。

正式にはこの地区の半島一帯をマクマホンポイント
南の先端だけがブルーズポイントのようです。
シドニー湾内にはXXポイントと呼ばれる所が
XXベイ(湾)の間にたくさんあります。

この辺りは橋が架かるまでフェリーの発着場でした。
今でこそここからフェリーに乗る人は少ないですが、
電車や馬車でノースシドニーまでやって来た人は
ここからフェリーに乗らないと市内に行けませんでした。

当時は人だけではなく車を運ぶフェリーもあって
大事な交通手段だったようです。
また電車の引き込み線もこの近くにあり、
交通のターミナルとして賑わっていたようです。

住宅街にするかオフィス街にするか
橋が架かった後に不要になった土地の
最開発利用ではかなりもめたようです。

住民の反対を押し切って政府が認可した建物が
私が住んでいたブルーズポイントタワーです。
お陰で現在でもシドニーで一番見苦しい建物と呼ばれます。

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     Blues Point Rdの住宅街

ノースシドニー

シドニーの街角シリーズ その13

シドニーCBDとの北側に位置するのが
ハーバーブリッジで繋がれたノースシドニーです。
私が永住して初めて住んだ街でもあります。

シドニーCBDが金融の中心地になってから
ノースシドニーにもオフィスが立ち並びました。
特に90年代以降目覚ましい発展をした街です。

ワーホリで来た80年代には橋を渡るだけで、
都落ちするような寂しさがありました。
しかしノースに住人には橋を渡ってまで
市内の混雑した所で働きたくないという
気持ちがかなり強かったようです。

お陰でノースシドニー、セントレオナルド、
さらにはチャッツウッドとオフィス街ができてきます。
このノースシドニー市の経済力は
首都のあるキャンベラ市のよりも強く、
NSWではシドニーCBDに続く密集地帯です。

ハーバーブリッジでシドニー市と繋がるまでは
シドニー湾に入る船関連の仕事をする人が多く、
テラスハウスと呼ばれる労働者階級の家並みがありました。
ノースは坂が多いので歩くのに大変ですが、
坂道に並ぶテラスハウスの住宅街は美しいです。

そのノースシドニーも私が住んでいた頃は
まだ古い建物がオフィス街のすぐ側にありました。
交通にはとても便利な所でしたが、
スーパーなど買物する所が殆どなく、
住宅街としてはかなり不便を感じました。

今やスーパー、カフェ、レストランもたくさんあり、
オフィス街に歩いて行ける住宅街は人気があります。
仕事が終わっても軽く食事や飲にも行けますからね。
それでもこの街の住人でここでは働かずに
ハーバーブリッジを毎日歩いて
シドニーCBDまで通勤している人もかなりいます。

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     ノースシドニーのオフィス街

シドニーCBD

シドニーの街角シリーズ その12

シドニーと言えば新潟県ぐらいの広さがあります。
人口は現在450万人以上住んでいますので、
オーストラリアでは最大の一番大きな都市です。

東京都には区、市、がありますが、
シドニー市内には40近い行政都市があり、
600以上のサバーブに分かれています。
その中心地に当たるのがSYDNEY CBDです。
英国風にCityと呼んでいる人もいるようです。

英国からの最初の移民団が住み着いた
オーストラリア発祥の地でもありますが、
19世紀はメルボルンの方が発達していたので、
銀行の本社などメルボルンに置かれていました。 

1970~80年代にかけて人口増加にともない、
シドニーに金融の中心地が移動してきました。
それはオーストラリア証券取引所が設立される前に、
移動させようと言う動きだったのかもしれません。

Sydneyと呼ばれるCBD地区は本当に狭く
電車やバスを利用しなくても歩いて行動できます。
北はオペラハウスやロックスのあるシドニー湾から
南はセントラルステーションまで約30分
西はダーリングハーバー東はハイドパークまで
20分もあれば横断できるでしょう。

植民地時代からの歴史的に保存されている建物と
オーストラリア屈指のモダンなビルとが
共存してこの街を魅力的に作り上げています。

シドニーには絶対短期で来ないで下さい。
街を散策しながら住人になったつもりで滞在して欲しい。
一ヶ月とは言わなくてせめて一週間はのんびりしてほしい。
世界中のエスニック料理を食べ歩き、
パブでビールやワインを楽しみながら、
この街のすばらしさを堪能して下さい。

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       シドニーオフィス街



関連情報
シドニー by wikipedia

ダーリングハーバー

シドニーの街角シリーズ その11

シドニーに三年ぶりに戻って来て一番変わっていたのは
ダーリングハーバーかもしれません。
ワーホリで来た6年前は何もありませんでした。
と言うかまだ貨物操作場の建物が残っていました。
週末に行われるマーケットのみ、
人がここにやってくる唯一の理由だったようです。

タウンホールからわずか10分の位置にありましたが、
ここまで歩くだけでも怖かったですね。
当時は中心地の空洞化が進んでおり、
週末は人が歩かないもぬけの殻でした。

週末にしか開催されないマーケットには
生鮮食料品を中心においてありましたが、
今のようにフレッシュではなく、
さらにアジア野菜やエグソティックなフルーツなんて
当時の生活ではみることもできませんでした。

200年祭事業の一環として再開発が行われ、
すべて新しい建物が造られていました。
私が戻って来た頃にはまだホテルは少なかったですが、
コンベンションセンターやエクビジョンセンターを中心に
ショッピンセンターとレストラン街がありました。

さらにシドニー水族館、国立海洋博物館のように
ツーリストや家族連れが楽しめる所もありました。
週末になるといろんなイベントが催され、
当時は市民の憩いの場、デートの場所になっていました。
ツアーでもここにあるレストランを利用しました。

あれから20年近く過ぎて一時期人気が衰退しましたが、
つねに新しいアトラクションを建設しています。
セガワールドのように人気がなくなった物は廃止されます。
特に周辺に高層アパートが建設されて以来、
地元の人達も良く利用するようになりました。

さらにこの周辺の再開発が進んでいます。
旅行者を受け入れるために動物園ができたり、
湾内のクルーズ船もここから出港しています。
市内の中心地にあり、全てのアトラクションにも近いです。
これからもダーリングハーバーは変わり続けるでしょう。

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        ダーリングハーバー


Rocks

シドニーの街角シリーズ その10

市内をイギリス風にシティーと呼んでいましたが、
現在はCBD(Central Business District)と呼んでいます。
さて距離を述べる場合、中央郵便局が基点になりますが、
そこからわずか1km市内の北西部に当たるのが
シドニーの発祥地と言われるロックスです。

1788年フィリプ船長を船団にして
イギリスからの移民がこのシドニーに到着します。
真水がシドニー湾に注いでいた辺りに錨を降ろし、
植民地として動き始めたわけです。

ここには以前からシドニーでも古い建物が多く
ワーホリで来た頃は近づくのもちょっと怖いくらいでした。
永住で戻って来てその変化に驚いたのが
このロックスとダーリングハーバーでしたね。

1970年代には再開発公団により
建物を全部取り壊して高層マンションを作る案がありましたが、
市民の反対運動が成功して建物の保存が決まりました。

しかしどのように保存するか、
その資金をどのようにするか問題は山積みでした。
200年際を境にこの辺りの最開発はすすみ、
私は戻って来た時は旅行者のための
楽しい街へと変化していました。

ここの一番の見所は古い建物が多いことです。
レストラン、カフェ、ギフトショップなど
昔の建物を改造された所が多いです。

特に週末に開催されるロックスマーケットは
旅行者だけでなく地元の人にも人気があります。
ジュエリー、クラフトショップなどが多いですね。

また昔の倉庫を改造したレストラン街は
オペラハウスを眺めながら食事を楽しむことができます。
ツアーのランチやディナーにも利用されていますが、
地元の人達も良く記念日などに利用しています。

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      ロックスのレストラン街



旅行情報
ロックス公式ウェブサイト
http://www.therocks.com/
シドニー観光情報
http://www.sydney.com/




パディングトン

グリムス:地球温暖化

シドニーの街角その9


オックスフォード通りを更に東に進むと
おしゃれなブティック街やカフェが並んでいます。
今では死後にさえなってしまったヤッピー族が
一番最初にすみ始めた街でした。

ここにはビクトリアバラックと呼ばれる
オーストラリア陸軍の基地がありますが、
1848年に建てられた大変由緒ある基地です。

19世紀の後半、市が広がって行く中、
労働者階級と中産階級の接点として
テラスハウスと呼ばれる家並が周辺には造られました。

1960年代の後半になるとボヘミンア調が漂い、
ギャラリーやカフェが出来始めます。
そして若い人達がこの辺りの不動産を買い出してから、
この街はおしゃれな街に変化し続けました。

テラスハウスは現在取り壊すことはできません。
オリジナルのデザインを残して
内部の改造は認められていますが。
お陰でこの街を歩くと大変落ち着きます。


毎週末にはパディンクトンマーケットが開かれますが、
これが市内で初めての本格的なフリーマーケットです。
ジュエリーなどクラフト製品が多いのですが、
私がワーホリで来ていた頃、
沢山日本人の人達もマーケットに出店していました。

パディンクトンタウンホールは現在市庁舎ではありませんが、
劇が上演されたり、ファンクションが行われたり、
市民の大切な行事に使われています。
近くにはセンティニアルパークもありますので、
シドニーに来られたら、散策にお出かけ下さい。


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      パディクトンにあるパブ

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