地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

中近東旅行を終えて、、

長い間『中東旅行記』におつきあいありがとうございました。
わずか3週間ちょっとの旅行でしたが、
なんと3ヶ月近くも足を引っ張ってしまいました。
まだまだ行く人の少ない中東ですが、
皆さんに興味持って貰えたら嬉しいです。

私が初めてアフリカ大陸に足を入れたが、
1988年の世界一周の時でした。
マルタからアルジェリアに渡り、モロッコへと抜けました。

その後アフリカ大陸を6週間旅行して、
エジプト旅行で3回目になります。
しかしサハラ以北をアフリカと言う人は少なく、
文化的にもやはり地中海文化の一部です。

私には夢があって、エジプトからモロッコまで
列車に揺られて地中海沿いに旅行することです。
当時はリビアにはガダフィ大佐がいました。
反米路線をとっていたために、
隣国から陸路で入国することはできませんでした。

イラク戦争後は、自分の身を案じてか、
欧米よりの政策をとりました。
しかし2011年のチュニジアのジャスミン革命の受け、
リビアの反政府部隊によって殺害されました。
残念ながらまだ内戦で政府が安定していないので、
ひとり旅するのは危険なようです。

エジプトからリビアそしてチュニジアへと、
国際バスはあるそうですが、
政府が安定するまでは行かない方が良いでしょう。
国境はひとり旅にはオープンしていないようです。

マルタからリビヤ行きのフェリーがでています。
ここからチュニジアに行ったこともありますので、
何とかリビヤに入国できれば、
チュニジアにはバスで移動出来ると思います。

以前はチュニジアアルジェリアモロッコと、
鉄道又はバスで移動することができました。
現在アルジェリアモロッコの国境が
紛争で陸路で通過することはできません。

地中海にはたくさんフェリーがあるので、
フランスやスペイン、イタリアを経由して、
他の国に行くと言う方法はあるようです。
地中海を一周するクルーズもでていますが、
いつか何の心配もなく陸路で一周出来る日がくれば、
もっと世界一周が面白くなりますね。


602501_358853404186789_372507012_n.jpg
マルタ〜リビヤを運行するフェリー by FB


観光情報
マルタ〜リビヤ間を結ぶフェリー会社
https://www.facebook.com/MmslMediterraneanMaritimeServicesLtd
ヨーロッパのフェリーサイト
http://www.ferrylines.com/en/home/




カルダモンコーヒーを飲みながら、、

いよいよエジプトも最後の日を迎えました。
楽しかった中東旅行ともお別れです。
その日は遺跡の観光もなく、博物館なども訪ねません。
私が気に入ったカイロのスークに出かけて、
お土産を買うことにしました。

ガラスでできた香水瓶、
パピルスをまねた便箋など、
他の国では見られないエジプトの文化です。
やっぱり異国情緒のあるものが良いですね。

ところが私は実用的なものが大好きなので、
誰に配っても喜ばれるものを買います。
上記の品は自分のお土産として、
みんなに買ったのはエジプトのコーヒーでした。

エジプトではギリシャやトルコと同じように、
粉状にしたコーヒー豆を砂糖と一緒に
小さなポットで煮立てます。
小さなデミカップで飲みますが、
粉が下に溜まるので上澄みだけを飲みます。

エジプトではカルダモンを加えて飲みます。
これは『スパイスの女王』と呼ばれます。
ユーカリオイル、樟脳、レモンオイルを
混ぜたような匂いに病みつきになりそうです。

その匂いに引きつられて行ったところが、
コーヒー豆を焙煎しているお店でした。
カルダミンを飲むときに加える人もいますが、
ここでは挽いた豆に加えてありました。

豆は好みで挽いてくれるので、
ドリップコーヒー用に荒引きにしたものと、
トルココーヒー用に挽いたものを買いました。
今回は中東を旅行したから
レバノンコーヒーと言うべきですね。

イスラエルで買ったデミタスカップは
今でも家の食器棚に置いてあります。
エジプトで買った豆で、レバノンコーヒーを入れ、
イスラエルで買ったカップで飲みました。
周辺国が一緒にコーヒーを飲みながら
話あえるぐらいに平和になると良いです。

Cafe-el-Fishawy-Cairo.png
カイロのカフェ by Travelreportage

観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』



ナイル川クルーズでロマンチックな気分に

今回の旅行でアレキサンドリアに行きませんでした。
地中海に面したこの街は気候もよく、
リゾートしても早くから人気がありました。
エジプトは遺跡も多く、考古学的な出土品も豊富なので、
昔から旅行に来る人は後を絶ちません。
アフリカも中東もまだと駄目という方も、
エジプトなら旅行しやすいかもしれませんね。

バックパッカーにはうざい国と言われています。
観光地に着くたびに勝手に荷物を降ろされたりして、
勝手にホテルまで案内されて料金請求、
自称ガイドの多い国では、
ハッキリと文句を言わないと、
外国人料金でたかられるときもあります。

最近そんなエジプトで人気が出ているのが
ナイル川クルーズと聞きました。
リバークルーズはヨーロッパでも人気があり、
ドナウやライン川クルーズだけではなく、
新しいルートも増えてきているようです。

最近クルーズの人気は増えていますが、
オーシャンクルーズと異なって、すぐそばが陸地、
何かあってもすぐに陸に上がれる強みがあります。

ナイル川にもたくさんのクルーズ船があります。
カイロからアスワンまでのクルーズは
日程的にも費用もかかりますが、
アスワン~ルクソール間なら2泊3日ぐらいから
料金も手ごろなツアーがあるようです。
オフシーズンなら交渉で半額ぐらいになります。

バスではわずか4時間ぐらいで行ける距離ですが、
船に乗ってナイル川を航海するのも良いですね。
クルーズは食事も付いているので、
意外と割安になるかも知れませんよ。

何日もクルーズできない方は、
白いファルーカ(帆船)は如何でしょうか?
アスワンやルクーソールでは
1時間ぐらいのクルーズからあります。

私もルクソールでサンセットクルーズに参加しました。
ちょっと一人では寂しい気もしますが、
心地よい風に吹かれて楽しむクルーズは
ロマンチックとリッチな気分にさせてくれます。
これだってナイル川クルーズだよ。

758px-Falucca_on_Nile.jpg
  ナイル川のファルーカ by wiki

観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』

外国客を狙った『ルクソール事件』

ルクソールは一日だけの滞在だったので、
ナイル川西岸は観光しませんでした。
正直時間がなかったことが唯一の理由ですが、
1922年に発見されたツタンカーメンの墓があった
王家の谷』は見る価値があるようです。
古代エジプトの新王国時代の王の墓が集まっています。

しかしツタンカーメンの墓からの出土品は
カイロにある考古博物館で見ることができます、
時間があれば墓をみるのも良いですが、
出土品の方が見ごたえはありますね。

周辺には王のお妃の墓『王妃の谷』や
新王国で唯一女性のファラオ『ハトシェプト』が
造営した葬祭殿があります。
夫トトメス2世が亡くなると
側室との子で後継者トトメス3世が幼少だったので、
王妃として権威を振舞ったようです。

私が旅行したのは7月でしたが、
その年の11月、ここで『ルクソール事件』が発生しました。
イスラム原理主義過激派『イスラム集団』が
外国人観光客を無差別で殺害したテロ事件です。

エジプトではその数年前から、
この過激派によるテロ事件が発生していました。
同年9月には考古学博物館前でバスが襲撃されています。
滞在中何の事件にも巻き込まれなかったのは、
本当に有難いことし言い表せません。

この事件で日本人旅行者を含む多くの方が亡くなり、
負傷された方もいて、大きく報道さえました。
自分が旅行したばかりの国だったのもありますが、
同じ旅行業界に働いている者としてショックでした。

私が勤めたいたJ社では緊急会議まで開かれました。
たとえ遠い離れた国オーストラリアと言えども、
旅行をしている方の日本の家族にとっては
『同じ外国』として扱われるようです。
こんな時『日本以外は危険な国』になります。

これは後から聞いた話ですが、
添乗員の知人がアブシンベルに滞在していたそうです。
亡くなった添乗員さんと同じ会社のツアーでした。
翌日ルスソールに移動して『王家の谷』が観光に含まれていました。
一日違いで危険な目にはあいませんでしたが、
日本到着まで皆さん緊張されていたそうです。

800px-Ägypten_Tal_der_Könige
      王家の谷 by wiki


観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』


エジプトの古代オベリスク『クレオパトラの針』

ルクソール神殿で有名なのがオベリスクです。
もともと入り口に対でありましたが、
そのうちのひとつが1833年
エジプトからフランスに贈り物として送られました。

1836年ルイフィリップ王によって
コンコルド広場に建立されました。
彼はブルボン家の支流オルレアン家の出身です。
パリ革命でルイ16世が処刑になったあと、
父も共和国転覆の汚名を着せられ処刑になりました。
各国を亡命した後、7月革命により、
『フランス人の王』として王位に就きました。

ロンドン、ニューヨークにある対のオリベスクとともに
通称『クレオパトラの針』と呼ばれています。
クレオパトラ7世とはまったく関係なく、
彼女が生まれる以前につくられています。

200m以上もあるオリベスクを
エジプトから移動させるのも大変なようです。
1819年にナイル海戦の勝利を讃え
友好の記念として英国に
オベリスクを贈呈することになりました。

しかしその資金を調達できなかった英国は、
その申し出を断った経緯があります。
1877年ウィルソン卿が資金提供を申し出て。
アレキサンドリアにあったオベリスクが
英国に移送されることになりました。
テームズ川のビクトリア堤防の上に設置されました。

ニューヨークの公園管理部門を指揮していた
ステビンズはそのことを新聞の記事で知り、
ニューヨークにもオベリスクをと資金集めをしました。
何とかエジプト政府から『贈呈』の念書をとりつけ、
1880年にニューヨークに設置されました。

アメリカでオベリスクと言えば、
ワシントン記念塔が有名ですが、
これは1884年にアメリカで建設されたものです。
エジプト古代オベリスクとは
歴史的な価値観はことなるかもしれません。

現在エジプト古代オベリスク
世界に30本だけ残っているそうです。
バチカンのサンピエトロ広場にもあります。
世界旅行をするときにこんな事実をしっていたら、
旅先で会う古代オベリスクに興味がわきます。

Place_de_la_concorde.jpg
パリコンコルド広場のオベリスク by wiki

ちょっと余談ですが、、、
シドニーのハイドパークにもオベリスクがあります。
それも英国より前に建立されています。
その秘話は続きからどうぞ


ルクソール神殿@カルナック神殿複合体

翌日はバスでルクソールに向かいました。
時間にして3時間足らずですが、
列車でも行くことができます。

ルクソールはエジプト新王国の時代、
太陽神アメンラーの都市テーベでした。
華麗さだけでなく、知、芸術、宗教、
政治の中心として栄えていたそうです。

ルクソールの市内はナイル川東側に位置しています。
ここで有名なのがカルナック神殿(複合体)です。
1平方キロメートルにも及ぶ大きな神殿ですが、
現在一般に公開されているのは、
中心となるアメン大神殿のみだそうです。

アメン大神殿はこの神殿のなかで一番大きなものです。
テーベ三柱神(アメン、ムト、コンス)の中で
最高神のアメンのため作られました。

まずスフィンクスの参道を通ります。
神殿に入るまでにいくつもの塔門がありますが、
16列に配置された134本の巨大な円柱を
抜けていくときは圧巻に襲われます。

神殿の周りにも大小の神殿がありますが、
スフィンクスの参道でつながった
ルクソール神殿が一番見ごたえがあります。
この神殿は長い間瓦礫で埋め尽くされていたそうですが、
1884年からフランスの考古学者
教授によってマスペロ教授によって発掘開始されました。

発掘している人たちにとって、
瓦礫に中から別の世界を見出すのは、
金鉱師や宝石採掘師が
地下から探し出すのに似ています。
直接お金にはならなくても、
それは価値のつかない重要な遺産です。

全体的にはアメン大神殿を小さくしたように見えました。
説明も読まないで行くと、
その境も良くわからないのですが、、。
ラムセス2世の像を見ていると、
アブシンベルの神殿を思い出しました。

lxs.jpg
    ルクソール神殿 by wiki

観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』



アフリカへのゲートウェイ

アブシンベル神殿からの帰り道、
スーダンとの国境は開いてません』
という道路標識を見つけました。
行きは暗くて気づかなかったのでしょうね。

アブシンベル神殿のそばにあったナセル湖は、
アスワンハイダムによってできた人造湖です。
このナセル湖の南側にはスーダンが広がっていますが、
残念ながら車で国境を越えることはできません。

世界一周でアフリカ南下する旅行者は、
南アフリカを目指しますが、
エジプトから入国する旅行者は、
ナセル湖をフェリーで渡ってスーダンに入ります・

2011年に南スーダンが独立するまでは、
アフリカで一番大きな国でした。
第二次世界大戦までは英国が支配していました。
1924年ごろから北部で独立戦争が始まったので、
英国は南北を分断して統治することしました。

これが現在までのスーダン紛争につながっています。
2005年南北包括合意によって
スーダンに自治政府が誕生、その後独立します。
しかしそう簡単におさまらず、
現在でも国境付近では紛争が続いており、
南スーダンではクーデターが発生しています。

ソマリアでも同じような問題が発生しています。
これは宗教問題とか、民族問題だけではありません。
中東紛争とどこか似ているような気がしませんか?
第二次世界大戦まで統治していた国の無責任さです。

アフリカは私が学校を卒業してから、
独立した国もたくさんあります。
過去10年に国名が変わった国もあります。

日本は戦後GHQに統治された期間を除き
独立運動とかあまり無関係な国ですが、
世界では今でもいろんな動きがあります。
最近は『テロ』と言う言葉で
簡単にまとめてしまっていますが、
アフリカはまだしばらく模索の時代が続くでしょう。

この標識を見たときにそんな思いがしました。
いつかスーダンに平和が訪れたとき、
この陸路のゲートは外国人にも開放され、
これが本当のアフリカへのゲートウェイになります。
列車、バス、フェリーを利用して、
エジプトから安全に南下できる日が来ることを願います。

558px-RamessesOfferingToPtah_crop.jpg
 アブシンベル神殿の内部 by wiki


観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』


エジプト一押し『アブシンベル神殿』

アブシンベル神殿は大小二つの神殿があります。
太陽神ラーを祭神とした大神殿の正面には、
20mもあるラムセス2世の像が4体鎮座しています。
一体は頭が崩れて地面に転がっていますが、
移転した際に補修することなく、
移転する前と同じように置いたそうです。

今でこそ丘の上でそびえていますが、
もともとは岩に彫られた神殿でした。
建設後長い間砂に埋もれていましたが、
スイスの東洋学者ブルクハルトによって
1813年小壁の一部が発見され、
ブルクハルトの知人であったイタリア人探検家
ベルツォ-ニよって出入り口が発掘されました。

発見したときは、きっと感動的だったでしょうね。
まさに探検への入り口、過去への入り口ですから。
何千年も埋もれたいた神秘への入り口です。
神殿の入り口を抜けるときは、
まさにその思いがじ~んと溢れてきました。

私が行ったころフラッシュさえたかなければ、
内部の撮影が許可されていました。
壁に彫られた絵が明かりで照らし出されていると、
まるで黄金に輝くように見えました。
それはまるで幻想的で
自分が裁くのど真ん中にいることを忘れてしまいます。

交通機関を利用すれば簡単に来れますが、
地理的にも時間的にも遥かかなたまでやってきた
満足感でいっぱいになりました。
もしカイロだけで帰っていたら、
エジプトに来た意味がなかったですね。

10時ごろになると、私たちは帰り支度です。
そのころになると別の観光客がきます。
飛行機でカイロからやってきた日本人の観光客が
観光バスでどんどん降りてきました。

まだ午前の涼しいうちに観光をして、
街のレストランで昼食後を済ませたら、
日帰りでカイロへ戻ったり、
アスワンやルクソールまで飛ぶようです。

時間がないパッケージでツアーでは、
飛行機で飛んでくるしかありません。
しかしあのコンボイを経験すると、
アブシンベルの有り難味が倍に感じます。

800px-Großer_Tempel_(Abu_Simbel)_02
   アブシンベル神殿 by wiki



観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』

コンボイになってアブシンベルへ

エジプトでの滞在はわずか1週間もありませんが、
カイロから800kmも離れたアスワンまで
わざわざ来たのは、アブシンベル神殿をみるためです。
途中で会った旅行者からは何人にも
エジプトで一番良かったと推薦されました。

この神殿は、1960年アスワンハイダムを
建設するときに水没のおそれがあり、
ユネスコによって国際的な救済活動が行われました。

アブシンベル神殿は砂岩でできた岩窟神殿でした。
1964年から68年にかけての移動の際には
正確に4っつに分割されて、
コンクリート製のドームを基盤とする形で
ナイル川の丘に移築されました。

この大規模な移設工事にきっかけになり
自然や遺跡を保護する必要性を感じ、
ユネスコは世界遺産を創設することになりました。
 
アスワンからアブシンベルまでは280km
片道3時間以上かかる距離です。
バスツアーは朝早くホテルを出発します。
それは日中暑くなることもあり、
朝のうちに観光をすませて戻ってくるためです。

観光客を乗せたバスや車は、
アスワンの指定の場所に集まり、
一団となってアブシンベルを目指します。
コンボイになって行くのは、
ゲリラから観光客を守るためだそうです。
首尾には兵隊の警備がつきました。

その姿を空からみたら異様でしょうね。
何十台と言う車が一列に並んで
闇の中を黙々とアブシンベルに向かっています。
まるで奇襲をかける野戦部隊のようです。

アブシンベルに到着すると、
運転手は休憩、安いツアーにガイドはいません。
駐車場で自由解散になりました。
入場料を払って各自で自由に見学です。
一度に到着するので窓口も混雑します。
他の人たちがトイレに行っている間に、
さっさと入場見学することにしました。

800px-Railway_Station_Street,_Aswan,_Egypt,_Oct_2004_B
   アスワン市街 by wiki


観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』


カイロから寝台列車でアスワンへ

ピラミッドを見たその日に
夜行列車でアスワンまで移動しました。
エジプトの列車は地中海沿いと、
アレキサンドリアからアスワンまで
ナイル川沿いに縦断にのびています。

観光客も多く利用するようで、
カイロやギザからアスワンまでは、
昼夜を問わず数本運行されています。
寝台列車や夜行列車もあるので、
時間がない旅行者には便利です。

私は旅の疲れを取るために、
寝台列車を利用しました。
列車に乗って、寝て起きれば目的地。
駅からなら宿に行くのも目安になります。

現在寝台列車エジプト国鉄に代わり、
『Watania』が運営しています。
ギザからは2本、カイロからは1本
ルクソール経由でアスワンまで運行しています。

列車は寝台車が13車両連結で
それぞれに10のキャビンがあります。
各キャビンは2段の寝台になり、
洗面台がついていますが、
トイレは各車両にあるそうです。

二人で利用すると片道60ドルですが、
シングルで利用すると80ドルになります。
ルクソール~アスワン間の利用は
片道14ドルになります。
予約はホームページからできます。

到着して駅に降りたら、
日本人の男性が二人乗っていました。
二人とも別々に旅をしているようですが、
旅は道ずれ、ホテル探しを一緒にしました。

駅にはホテルの呼び込みが来ています。
これがうるさいほど声かけてきます。
一緒に歩きながら男性たちを鴨にしています。
私が無視するように二人に言ったら、
おじさんが怒ってきました。

こちらも負けてはいられません。
台の上に乗って日本語で怒鳴り返したら、
周りの民衆がなだめに入りました。
女性が大きな声を出すことは少ないのか、
一人だったらそんな勇気もないですけどね。


shapeimage_1.jpg
  エジプトの寝台車 by Watania


観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net
エジプトの寝台列車 Watania
http://www.wataniasleepingtrains.com/Watania/Home.html
エジプト国鉄
https://enr.gov.eg/ticketing/public/login.jsf










ピラミッドに思いをはせれば、、

私がピラミッドに抱いてた憧れが
大きすぎたのかもしれませんが、
現実のピラミッドをみると夢が壊されます。
それはカイロがあまりにも都会で、
ピラミッドのすぐ近くまで住宅街があること。

ピラミッドはきれいな四角推だと思っていました。
大きな石を積み上げてありますが、
表面には石灰岩の化粧板が施されていたそうです。
ところが遺跡を保護する観念がないころ、
剥がされてカイロ市街地の舗装に使われたそうです。

お陰で現在では階段のようになっています。
しかし長い年月で石は汚れたり、
雨風で侵食してかなりいびつになっていました。
お陰で近くから見るときれいではありません。

しかしこんな大きな石をどうやって運んだの?
クレーンもないのにどうやって積み上げたのか?
その偉大なる謎は、今でも解明されていません。
確かにピラミッドが持つ不思議な力は、
世界中からの旅行者を魅了しています。

現在は上まで登るのは禁止されているそうです。
ピラミッドの破損がひどいのと、
観光客のいたずら書き等を防ぐためだと思います。
しかしひとつひとつの石が大きいために、
そんなに簡単に登れるわけではありません。

ピラミッドの正式な入り口はかなり上にありますが、
観光客が入場するのは地面に近い所からです。
ピラミッドあらしをした泥棒があけた穴を、
そのまま入場口として利用しています。

旅行で知り合った人たちからの助言で
『中は狭くて、暗くて、蒸し熱い』を聞いてから、
入場する意思は薄れていました。
ここまできて思われるかもしれませんが、
ピラミッドは外から見るのが一番です。

5000年前にタイムスリップをして、
ピラミッドを見てみたいと思います。
そのころはカイロから来るのも一日がかり、
ピラミッドを見て感無量になったことでしょう。
それとも市民は近づけなかったかもしれません。

800px-EgyptianPyramidsandSphinx2006.jpg
 ピラミッドとスフィンクス by wiki

観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net

『月の砂漠をはるばると、、』ギザのピラミッドへ

エジプトと言えば『ピラミッド
子供の頃からみたいリストのひとつでした。
『世界の七不思議』のひとつと呼ばれていますが、
これは古代ローマにおける注目すべき建造物だそうです。
フィロンの書いた『世界の7つの景観』の中で選ばれた
古代地中海沿岸にあった7つの巨大建造物をさすそうです。
その中で現在でも残っているのは『ピラミッド』のみ。

『世界の七不思議』は時代ともに変化していますが、
2007年に一般公募で選ばれた『新世界の7不思議』に
ピラミッド』が選ばれていないのが不思議です。
『タージマハル『『万里の長城』や
『コルコバードのキリスト像』が選ばれていますが、
何処も人口の多い国にある建造物です。
一般投票では負けるのも当たりまえかもしれません。
しかし歴史の重さが違いますよね。

砂漠の中にぽつんと立つ『ピラミッド』の写真を見て、
きっとカイロから遠い所にあると思っていました。
ところが実際は住宅街のすぐ側にありました。
子供頃から描いていた夢が崩れて行きます。

カイロからバスで1時間位で到着します。
わずか20kmほどしかありませんが、
この間ずっと住宅街が続いていました。
ピラミッドのすぐ隣まで観光バスが来て、
『月の砂漠』に歌われたイメージはありません。

夢が壊されてちょっとガッカリです。
遠い中東まで来たからには、
砂漠に聳えるピラミッドが見たかったですね。
スフィンクスで遊ぶ子供達がいたり、
自動車の騒音が聞こえたりすると、
ピラミッドに託した夢も現実に引き戻されます。

ベドウィン達がラクダに乗らないかと誘いますが、
実際は歩いて行ける距離です。
ただし日中は暑いので、朝早くか夕方がベストですが、
彼らを写真に納めても、絵にはなりませんでした。

800px-All_Gizah_Pyramids.jpg
   ギザのピラミッド by wiki


観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net





エジプトの香水瓶とハイビスカスティー

中東の市場はヨーロッパと異なり建物の中です。
生鮮食料品、日用品から電化製品まで、
高級そうななジュエリーショップもあります。
何でも揃っているので、見ているだけで楽しいです。

観光地カイロにあるのでギフトソップも多いですが、
一番目立ったのは香水の瓶を売っている店です。
香水と言えばフランスのイメージでしたが、
そのルーツとなる香水はエジプトが有名だそうです。

私は香水などの臭いにかなりアレルギーで
ジャスミンなどのほのかな香りしか受け付けません。
そのために自分ではつけることもなければ、
香水をプレゼントにすることも殆どありません。
香水売り場近づくことさえ出来ないのです。

しかしエジプトの香水瓶は見ていてとてもきれいでした。
香水を入れるのでとても小さいのですね、
高さが10〜15cm位の物が多かったです。

赤、青色のガラスで作られた瓶は、
それだけでも部屋の飾りになりそうです。
小さい物ならペンダントにも出来るかもしれませんね。

オアシス観光に行った観光客が
砂漠の砂をお土産に持ち帰るそうですが、
これを香水の瓶に入れてプレゼントしても良いかな。
ただし壊れやすいので運ぶのも大変ですが、、。
もちろん近くにはたくさん香水屋さんもありました。

私はそれよりハイビスカスティーが気に入りました。
市場で花を乾燥させた物が何処でも売られています。
クレオパトラが美貌と若さを保つために飲んだとか?
飲む酸っぱいので最初は苦手だった私ですが、
そのピンクの色に魅了されてしまいました。

暑い夏にレモンやミントを浮かべて如何ですか?
これなら壊れる心配もありませんけどね。
今じゃどちらも楽天で簡単に手に入るようです。

pbml00.jpg
  香水ボトル by Nileshop.com

観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net



フレッシュミントアイスティー

考古博物館の出土品で満足した私ですが、
それではお腹は満たしてくれません。
疲れた足を休めるためにも食べ物屋さんを探します。

レストランやカフェはたくさんありますが、
困った時には市場へ出かけましょう。
中東の市場は地元の人が買物するだけなく、
観光客もお土産を探しに来ます。
お陰でしゃれたカフェもたくさんありますよ。

私が入ったのはおじさん達がたむろしている所ではなく。
観光客や若者が多いカフェでした。
もちろん水パイプはここでも出来ますが、
ひとりで気楽に入れる所は以外と少ないです。

旅行も慣れて来ると気楽に入れます。
観光客が集まる所では英語のメニューがあったり、
英語を話せる人も少なくありません。
同じ地中海のアラブ圏でも、
モロッコからアルジェリアにかけては仏語圏です。

地元のピザを注文しました。
そして飲み物はなんとアイスティーです。
衛生面で心配な方は水も飲まなければ、
氷さえ危険だと思われるかもしれません。
しかしこれだけ暑いとアイスxxxと書かれ物に
すぐに目が行注文してしまいます。
そう言う私はアイスクリームだけは苦手ですが、、。

キンキンに冷えたアイスティーが来ると、
それだけで周りが涼しく感じます。
アメリカのように余計な砂糖は入っていません。
そしてテーブルの上にはミントがおいてありした。

新鮮なミントの葉を入れて、チャイを飲むようです。
これだけでミントティーになりますね。
ペパーミントとは異なり料理にも利用されます。
最初はちょっと苦手かもしれませんが、
ミントのグリーンがフレッシュな気分にしてくれました。

b238b31d80e69aff_mint-tea.jpg
フレッシュミントティー by wiki



観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net



考古博物館@カイロ

最後の訪問国のために時間がありません。
カイロだけでも観光に数日必要でしょうが、
主な観光地だけを見ることにしました。
中東を二週間も廻っていると、
そろそろ遺跡、モスクにはあきていました。

近くの旅行代理店で
アスワン行きの列車の予約をすると、
そのまま考古博物館に行きました。
小さい時から美術館より博物館、
考古学など本を読むだけで興奮しました。

ピラミッドの国『エジプト』です。
いくら泥棒に盗まれたと言っても、
出土品は展示し切れないようにあります。
『日本だったらこれひとつで人が集まる』
と思われるようなすごい出土品が、
陳列棚にただ並べてあるだけでした。

『ツターンカーメンの黄金のマスク』のように、
世界的に有名な物はちゃんと展示されていますが、
すぐ隣りにも別の展示物があり、
ゆっくりと見れる雰囲気ではありません。

それにしても昔の王族は贅沢ですね。
ミイラが入った棺は何重にもなっていますが、
それぞれに彫刻が施され金も塗られていました。
何千年前の棺をみても眩しいくらいです。

いくら考古学が好きだったと言っても、
満腹だと美味しい料理も食べれないのと一緒で,
足の疲れもあってだんだんあきてきました。
ミイラだけで百体以上あるかもしれませんよ。
すべての展示物を見るのは大変なことです。

さすがにこの考古博物館も老朽化してきたようで、
2015年にはギザに新しい博物館がオープンします。
そちらは大きなコンプレックスになるようなので、
考古学が好きな人はギザに泊まる方が良いですね。

800px-The_Egyptian_Museum.jpg
  カイロ考古学博物館 by wiki

観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net
カイロ考古学博物館
http://www.gem.gov.eg




エジプトの首都『カイロ』

イスラエルとエジプトの出入国審査が終わると、
そのままカイロ行きのバスに乗りました。
当時は途中パスポートの検査もなく、
休憩だけを挟んでカイロまで行きました。

良く眠っていたのでスエズ運河を
どうやって越えたのか覚えていません。
もし目が覚めていたら写真を撮りたかったのですが。
何だか川を渡ったとき賑やかだったのを覚えています。
しかしそれはカイロに入る前に渡った
ナイル川だったのかも知れませんね。

川を渡ってすぐに商店街の所でバスが停まりました。
ターミナルでも行くのかなと思っていたので、
何だか期待はずれと言うか、
地図の仲で何処にいるのか見当がつきません。

朝の5時頃ではお店も開いていませんからね。
バスの仲でしばらく寝ることにしました。
追い出されずに休めさせてくれたのが嬉しかったです。
やっと人が動き始めた頃になって、
私も外にでてホテルを探すことにしました。

地位代的なエルサレムに比べると
大都会ですがやや薄汚れたような気がします。
中東の旅行もすでに三週間目
免疫がついていたのでだひとりで歩けました。

部屋を決める時は部屋を見せてもらいます。
英語が通じなければ片言のフランス語です。
安全と言う保障はないかも知れませんが、
清潔そうなシーツのベッドと
鍵が壊れていなければ良しとします。

一応パスポートや大きなお金はフロントに預けます。
封筒に入れて中身が見えないようにしておきます。
と言っても盗まれればそれまでですが、
そこまで心配していたら、ひとり旅はできません。

商店街が開く頃に外にでると賑やかです。
『タクシーを利用しないか』という声が
ひっきりなしに聞こえて来ます。
インドと同じように『うざい国』と言われていますが、
商売熱心と言えば聞こえた良いですね。


774px-View_from_Cairo_Tower_31march2007.jpg
     カイロ市内 by wiki




観光情報
エジプト観光局
http://www.egypt.or.jp
カイロの日本人宿『ベニス細川家ホテル』
http://www.venicehosokawaya.net

私の訪問国 98カ国目
エジプト



エルサレムからカイロへのバス情報

現在MAZADAツアー直行バスを運行しています。
エルサレムからテルアビ経由になります。
週に2本しかないので注意して下さい。
所要時間は約13時間程かかります。
口コミを見るとあまり評判も良くないですが、
個人で行くと時間もかなりかかるようです。

まずエルサレムからエイラートにいくことになります。
現在この間には一日4本のバスがあるようです。
約5時間で到着することができます。
詳しい案内はEggedバスをご覧下さい。

イスラエル国内のバススケジュールがわかります。
エイラートはアカバ湾に面した
イスラエル屈指のリゾートでもあります。
当時からロシア人などの観光客が多かったです。
ここを歩いていたらニース辺りと間違いそうです。

本当はこんなリゾートでゆっくりしたいですね。
いくら貧乏旅行でもリゾートに来ると、
ちょっとリッチな気分になれます。
しかしエジプトと平和協定まで
スエズ運河が利用出来なかった
イスラエルにとって重要な貿易港でした。

エイラートの市内にあるバスターミナルから、
15番のバスに乗って国境へ行けます。
イスラエルを出国するときも、
エジプトに入国する時も税金が必要です。

エジプト側に入り入国審査を済ませると、
ターバの街まで2時間程かかります。
このばすは一日1本(15時)しかないようです。
そのターバからカイロまでは
さらにバスにのって7時間程かかります。

シナイ半島の状勢は時に応じて変化しています。
最近はここからカイロ行きの直行バスにのれず、
南にあるシャルム経由でないと行けないとか?
まあ中東の旅行は『何が起きても良い』の
ゆとりがないと旅できないかもしれません。

800px-North_Beach_Eilat.jpg
    エイラート by wiki



観光情報
Mazadaツアーホームページ
http://www.mazadatours.com/Home/mazada-bus-line
イスラエル国内のバス
http://www.egged.co.il/eng/main.asp?lngCategoryID=2771



エルサレムからカイロへ 

中東最後の訪問国はエジプトです。
エルサレムにあるバスターミナルで
カイロ行きの直行バスを買いました。
多少は高くても、心配いりませんからね。

と言っても海沿いに行くバスではありません。
ガサ地区を通ってエジプトに抜ければ、
短い時間でカイロに行けると思うのですが、
残念ながら外国人は利用できません。

当時は平和協定が締結しており、
イスラエルとパレスチナ自治政府の関係が
比較的穏やかな時期だったにも関わらず、
わざわざ紅海の方に廻らないと行けませんでした。

アカバ湾にあるエイラートまで行き、
そこからシナイ半島を抜けて
カイロまで延々と砂漠を抜ける旅でした。
この間に国境は延々と続いていますが、
出入国できる所はそこしかありません。

このバスはエイラート行きのバスと兼用です。
このバスにも兵士が4人程乗って来ました。
警備のために同乗してきたのか、
移動するために乗ってきたのかわかりませんが、
もちろん制服姿にマシンガンを携帯していました。

死海を抜けてアカバ湾に至る道は、
ヨルダンで死海に行った時と同じ光景です。
ベージュの砂漠のみ、色され無くなってしまったようです。

乗客は白人(ユダヤ人)か観光客なので、
グレイハウンドで旅行しているように見えました。
聞こえて来ることばも英語が混ざっているので、
あのヘブライ文字の道路標識さえなければ、
ロスからラスベガスに続く道と同じです。

ガサ地区とエジプトの国境が現在閉鎖されています。
お陰でガサ地区の人達は生活物資に困窮しています。
たくさんの抜け道が掘られているようですが、
人道上の見地から制限付でも開けて欲しいですね。

lt.jpg
     エイラートに続く道


観光情報
Mazadaツアーホームページ
http://www.mazadatours.com/Home/mazada-bus-line
イスラエル国内のバス
http://www.egged.co.il/eng/main.asp?lngCategoryID=2771

ヘブライ文字とヘブライ語

『מְדִינַת יִשְׂרָאֵל‎ 』
この文字を見て何だか分かりますか?
もちろんイスラエルの旅行記を書いているので、
ヘブライ文字』かなと想像つくと思いますが、
ヘブライ語』で『イスラエル』と書かれています。
でもどう発音するのかはわかりません。

漢字を使用する国を旅行していると
言葉が違っても違和感が全くありません。
意味が何とか解釈出来るからだと思います。
『ハングル文字』の韓国に行くと、
同じような文化なのに異国に来たことを実感します。

世界中を旅行していると変った文字に出会います。
タイからインドにかけての諸国の文字は、
まるで筆記を崩したような意味不明の文字です。
外国の方から見たら『ひらがな』も
この領域に入るかもしれませんね。
 
これは『ブラーフミー文字』が祖になっているそうです。
世界中で使用されている『アラビア数字』
1234567890もここから生まれたそうです。
アラビア文字の数字と異なるので、
一応覚えて行くと便利ですよ。

しかしアラビア文字も『ブラーフミー文字』も
アラム文字から派生したそうです。
イスラエルで使用されているヘブライ文字
実はアラム文字から派生した文字です。
ユダヤ教の資料はヘブライ文字を使った
アラム語で記載されているそうです。

ユダヤ人はヘブライ語を話していましたが、
世界に離散しているうちに話されなくなったそうです。
離散ユダヤ人は『アラビア語、ラディーノ語、
イーディッシュ語』を日常語として使用していました。
しかしヘブライ語自体は書物などに残っていました。

ロシアから移民したエリエゼル・ベン・イェフダーは
ヘブライ語を日常語として使用したそうです。
彼の努力により復活したヘブライ語は公用語に選ばれました。
しかし現代のヘブライ語には外国語がそのまま
ヘブライ語の単語として利用されているようです。
世界で唯一『復活した言葉』がヘブライ語です。

800px-Aleppo_Codex_Joshua_1_1.jpg
        ヘブライ文字 by wiki

ちょっと余談ですが、
日本の歴史でシュミレーションしてみましょう。
続きからご覧下さい。


イスラエルのキブツに参加してみませんか?

イスラエルと言えば『キブツ』ですが、
皆さん『キブツ』をご存知でしょうか?
今ならインターネットで情報も簡単に手に入りますが、
私が旅を始めた頃は『地球の歩き方』が出たばかりでした。
世界中を放浪するヒッピー風は多かったけど、
旅を目的にしている人はまだ少なかったですね。

そんな放浪する人の強い見方だったのが『キブツ』です。
しかし実際に参加した人は少なく、
イスラエルに行けば『キブツ』があるよと
噂に流れているだけで、中東を目指す人は少なかったです。
せいぜいトルコまでは何とか行っても、
中東紛争の国まで足を運ぶ勇気はありませんでした。

私は放浪の旅ではなかったので、
キブツ』に参加するチャンスをのがしましたが、
イスラエルの集産主義的共同組合だそうです。
ようはひとつの『キブツ』のグループで生産したものは、
その『キブツ』のメンバーで分けあうと言うものですね。

キブツで働いている限り食べ物と住居には困りません。
そのためにヨーロッパが冬の間、避寒代わりに、
『キブツ』に参加して、冬をここで過ごした後、
まらヨーロッパに戻って行く放浪者も多かったです。

現在でも『キブツ』でボランティアをすることができます。
一日7〜8時間 週6日間、労働を提供すれば、
3度の食事と住居を提供してもらえます。
労働は単純で、いろんな内容があるようです。
世界中からの若者が集まって来るので、
世界一周の旅や、ワーホリの後に参加してみは如何ですか。

日本ではイスラエルの専門店『マサトラベル』が
ボランティアの手続をしてくれます。
18〜35歳の若者が対象ですが、
滞在しながら周辺国(シリア、レバノンはむりだけど)に
旅行するのも楽しいかもしれません。

イスラエルのキブツ協会のサイトには
より詳しい説明が記載されています。
私がもう一度ワーホリを体験できる年齢なら
このキブツにも参加してみたいです。

Kiryat_Anavim_barn.jpg
 イスラエル最初のキブツ by wiki




関連情報


イスラエルキブツ協会

http://www.kibbutzvolunteers.org.il/



このカテゴリーに該当する記事はありません。