地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

歌舞伎町の居酒屋が好きなんです

東京に来たとき必ず行く場所が、
赤坂と東京でした。
どちらも私がホテル時代に働いたので、
思い出がいっぱい積もっています。

ましてや赤坂は東京で初めて住んでいたところ、
思い出何ていうものではなく、
私の青春が詰まっているところです。

でもお酒を飲むようになってからは、
やっぱり安い新宿へ繰り出すようになりました。
ましてや働き始めてからは、
ここが私の生活の基盤になりました。

「危ない」と言われている歌舞伎町も、
海外から比べたらとっても安全。
女性一人でも歩けました。
でも雰囲気もだいぶ変わってでしょうね。

ここで居酒屋に行くのが好きです。
シドニー時代のガイド仲間
「まっちゃんご夫妻」とお会いしました。

彼女は飲めないのですが、
ガイドではなかったけどシドニーにいたので、
昔の仲間たちをしっています。
日本での生活はわからないけど、
昔話ができる友達は嬉しいですよ。

居酒屋は特に美味しい料理がなくても、
手ごろな値段なので、種類も食べれます。
三人分の会計をしてもらっても、
「シドニーだったら一人分だね」
という値段で食べれるのです。

東京の友達もほとんどいなくなりました。
歌舞伎町で飲むのが私の楽しみだけど、
誰か一緒に飲んでくれる人いませんか?

Kabukicho-Shinjuku-Tokyo-Japan-歌舞伎町、新宿、東京、日本-2
     新宿歌舞伎町 by wiki




新宿西口おもいで横丁

そのあと新宿であったのは、
添乗員養成学校の同級生。
そんな学校はありませんでしたが、
添乗員エージェントが育成のために、
セミナーを行っていました。

もちろんたっぷりお金も取られましたが、
研修旅行は社員のための旅行では、
研修生よりスタッフの方が多いような、
その分も私たちが払っていたのでしょうね。

その時一番相性が合わなかった友達と
今でも友人ですから面白いですね。
その時仲の良かった友人とは疎遠になりました。

このお嬢様が意外と「おやじ」なんです。
いつも会うのは新宿西口の思い出横丁、
ここでビールと一緒に焼き鳥。
私は食べれないので他の物を。。

新宿で働いていた頃は20代、
ちょっとここへは足が遠かったけど、
女性同士で気楽に入れるのは、
私達がおばさんになったからかな?

実は彼女の知り合いがやっている店があります。
お母さんの友人だったそうで、
若くしてお母さんを亡くした彼女にとって、
ここのママさんはお母さん替わりのようです。
ママさんとは呼ばずに「お母さん」と呼んでいます。

だからおっさんやサラーリーマンが多くても、
平気で安心して飲めるというわけですね。
それに値段も安いですからね。
新宿に来たら、歌舞伎町の居酒屋かここ、
おしゃれない店に入る必要もありません。

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      新宿思い出横丁



新大久保のコリアンタウンへ

その数日後はシドニー時代の友人と
新宿プリンスで待ち合わせをしました。
ここは私が一時期働いていたところ、
毎日歌舞伎町へ繰り出していました。

今日は昼間なので飲み会はありませんが、
友達と食事をするために歌舞伎町を抜けて
新大久保まで行ってみることにしました。

私が働いていた頃も歌舞伎町の奥には、
韓国人経営のクラブや食堂がありました。
しかしコリアンタウンと呼ばれるほど
韓国商店街にはなっていませんでした。

それが韓流ドラマの影響もあるのか、
若い女性の人たちが「韓国」に興味を持ち、
それが韓国文化の受け入れに繋がったのでしょう。
コリアン通りを歩いているとまさに「韓国」
食材からファッションまで何でも揃っています。

ロサンゼルスのコリアンタウンも広大ですが、
店はショッピングセンターになっており、
アジア的な通りのごみごみした雰囲気はありません。

新大久保コリアンタウンは、
韓国と同じような雰囲気がありました。
ハンブル文字で書かれていても、
日本語が通じるので問題ありません。
韓国に行った時より安心感があります。

肉が食べれないので食事は苦手ですが、
肉なしビビンバとチヂミが大好きです。
日本で食べると韓国ほど辛くないので、
それも私のお気に入りです。

ただしシドニーやロサンゼルスのように
小鉢が無料でないのが残念です。
キムチこころゆくまで食べたいよ~。
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     新大久保コリアンタウン



柔道整復師にマッサージしてもらったら

メグさんに会うと近くのコーヒーショップへ。
もちろん私の好きなサイフォンコーヒーを飲みます。
2人ともコーヒー好きなので話があいます。
シドニーの感想を聞きながら過ごしました。

今回の旅行の楽しみのひとつが、
柔道整復師である和さんのマッサージ。
「東京に来たら是非来てください」と
彼の時間があくまで時間つぶしをしました。

メグさんは以前事故にあい、
その後遺症でたまにマッサージを受けるとか。
家でやってくれないの?と聞くと
忙しくて家ではやってくれないそうです。

この日はメグさんも治療を受けましたが、
他のスタッフが担当することなり、
院長の和さんは私の治療をやってくれました。

「どこか痛い所とかありますか?」と
整体師の先生と同じ質問ですが、
特に痛い所はありませんが、
和さんが治療を始めると
「この辺りがこっていますよ」と
筋や筋肉をほぐし始めてくれました。

シドニーの中国人のマッサージと言えば、
痛いばかりで「気持ちが良くありません」
和さんがやってくれると、ふわふわとして
まるで雲につつまれているようでした。

最初は整復師について質問していたけど、
そのうち眠ってしまったようです。
気持ちが良くてよだれが垂れていなかったでしょうか?
治療後はまるで温泉につかったようで、
一晩中体がホクホクして気持ちよかったです。

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      メグさんと和さん




「北池袋」を歩いてみた

北池袋の改札での待ち合わせまで、
ちょっと時間があったので、
近所を歩いてスーパーに入りました。
日本のスーパーは小さいけど、
何でも欲しくなるものがあります。

お弁当や惣菜コーナーはたまりませんね。
その場で買って食べれるように、
テーブルや椅子も用意してあります。
私が東京に住んでいた頃には見かけませんでした。
下町だから用意してあるのでしょうか?
トイレも誰でも利用できるようです。

私の海外の友人の中には、
日本大好きな人が多いです。
物価が高いイメージは昔のこと、
足で歩けば安い所がいっぱいあると、
旅行通には知られるようになりました。

特に観光にお金はかけるシルビアは、
宿はユースかバッパーにカプセルホテル。
食事は駅のたちぐいか弁当と決めています。
定食屋に入っても言葉が通じないから、
安くて簡単に食べれるところが好きです。
それにバラエティーが多いのが良いそうです。

私はメニューも読めるので、
いろんなお店に入れますが、
凄いまずい店が少ないのが嬉しいです。
それと私が住んでいた頃と
あまり変わらない物価に驚きます。

シドニーに来たらびっくりされるでしょう。
ラーメン1杯1300円から1500円。
マクドナルドでも1500円払わないと
お腹いっぱいには食べれませんよ。



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      北池袋の商店街


メグさんに会いに「北池袋」へ

姉に空港まで送ってもらいました。
そして東京へ行きますが、
泊まるのは次女の姉がいる埼玉です。
今回は東京での滞在は短いです。
その間にシドニーで知り合った友人や、
昔からの友人に会うのが楽しみです。

一番の楽しみは先日シドニーで会ったばかりの、
メグさんと和さんに会うことでした。
お二人が旅をするのにブログを通して、
情報をお知らせしたのがきっかけでした。

和さんは柔道整復師、
都内や埼玉にクリニックを持っています。
そのひとつがある北池袋にありました。
駅の改札口で待ち合わせをしました。

池袋は何度が行ったことがありますが、
北池袋にくるのは初めてでした。
友達がいたので、東武東上線にとって、
中板橋は何度も行ったことがありますが、、。

池袋からそれほど離れていないというのに、
この下町さは何というのでしょうか?
これでも都内かというほど、
まだ開発されていないのが嬉しかったです。

私がすでに30年以上前に
蒲田や荻窪に住んでいた時と同じほど、
何となく昭和の臭いがしていました。
もちろん新築のアパートもありますが、
改札口を出てすぐに待ち合わせできるほど、
この駅を利用する人は少ないのでしょうか。

海外旅行をしていて大都会に行っても、
新しビルが集まるどころには興味ありません。
住民の生活の匂いがする場所が好きです。

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     北池袋駅 by wiki

初めての天草五橋

天草1号橋を渡ると
早速車を停めて食堂に入りました。
ここで軽い食事と弁当の買い出し、
さらにトイレ休憩も兼ねています。

そしてお隣に行き魚の餌を買いました。
この店は釣り竿から魚の餌まで、
何でも揃っているお店でした。
壁の黒板には今何処でどんな魚が釣れると
詳しい情報が書いてありました。

それに合わせて魚の餌や針なども、
お店の人が教えてくれるようです。
一部には地元で取れる魚も売っており、
もし「ぼうず」だったら帰りに、
ここで魚が買えるという仕組みですね。

天草と言えば熊本より長崎に近く、
「隠れキリシタン 天草四郎」で有名です。
島原の乱の際のリーダーでしたが、
実際は名前しか知りませんでした。

天草五橋沿いに彼に纏わる史跡があります。
特に上天草市にあるメモリアルホールでは、
天草四郎に関する資料を見ることができます。
と言っても今日は魚釣り、観光はできません。

この辺りまでくると同じ熊本でも、
山沿いの実家周辺とは空気が違います。
海沿いは暖かくて和やかな気分です。
でもそれも橋が完成したで、
それまではとっても不便だったはずです。

残念ながら魚はあまり連れませんでしたが、
義兄と初めてゆっくりと話したこと、
そして天草に来ることができたこと、
私にとって思い出の一日になりました。


天草五橋(イメージ)
      天草五橋 by wiki

熊本の思い出 天草五橋
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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幼いころの思い出「長女姉と義兄」

私が幼いころにある記憶のひとつが、
「これからパーマやさんに行くから、
一緒についてくるね?」と姉が尋ねました。
その日は姉のお嫁入りの日でした。
でもその日まで私は何一つ知りません。

姉と一緒に私も髪をきってもらい、
ちょっとだけ口紅もつけてもらいました。
「姉ちゃん、何処か行くと?」
「よかたい、遠くへは行かんけん」

私はその日従兄と一緒に、
三々九度の杯にお酒を注ぎました。
「姉ちゃんば、泣かせんといてね」と
言ったそうですが、記憶にはありません。

隣のひとみちゃんがタバコ栽培をしていました。
お茶畑をやる前はタバコ栽培をやっていたので、
ここに苗をもらいに行くときに、
私も一緒に行ったことがあります。
仁孝おじさんが運転する耕運機の
荷台に乗ってとっても楽しかったです。

その義兄と私たちは二従兄だそうです。
実家の周りにいとこ、ふた従兄も合わせると
軽く200人ぐらいはいましたね。

その義兄と天草に魚釣りに行きました。
天草五橋は私がいたころに完成していましたが、
父が車を運転しないこと、
そして当時は有料だったこともあり、
一度も行ったことがありませんでした。

姉の家から天草五橋のある三角まで
最低でも1時間半はかかります。
そこからさらに五橋を渡るのですから、
同じ熊本でもかなり時間がかかります。

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     飯田山 by wiki

熊本の思い出 飯田山
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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いつから邪魔者扱いですか?

姉二人が東京に戻ってしまうと、
私はお客さんではなく半分邪魔者。
お世話になっている姉のでは、
畑の仕事が待っていました。

義兄は「最近イノシシが出る」と言って、
食べられないように垣根を作ったり、
姉は姉でいろいろと用事がありました。

とっても田舎町なので、
動ける足がないと行動できません。
姉が何処かにいくついでに、
乗せて言ってもらうだけです。

私が学生の頃は路線バスもありましたが、
人口過疎化とともに廃線になりました。
それでも街の学校に通う生徒もいるので、
一日数本だけタクシー会社が
特別にバスを運行しているそうです。

利用するのは学生とお年寄りだけ、
私は地元の中学校に通いましたが、
4つの小学校が集まっていた中学校も、
子供の減少ととともに廃校になり、
今は街の中学校に通うそうです。

姉とまた父の見舞いに行きましたが、
「まだおったつか?」と言われました。
来るまでは「いつ、くっとか?」と
姉や義姉に毎回尋ねていたそうですが、、、。

顔をみると安心したのでしょうか?
だんだん邪魔者扱いですかね。
もうすぐ「帰っとばいた。
また来るまで、元気でおんなっせ」
それが最後の別れになるのは分かっていても、
また会えることを約束するだけでした。

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   宮本武蔵の墓 by wiki

熊本の思い出 宮本武蔵の墓
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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実家で宴会ですが、、、


翌日は父の見舞いに行った後、
実家で集まることになりました。
姉たちといるとお酒は飲めませんが、
この時ばかりは気兼ねなく飲めます。

兄には子供が三人いますが、
長女は全く飲めません。
次女は少し飲みますが、
その日は運転手なので飲めません。
2人とも旦那と子供たちを連れてきました。

当時兄には10人の孫がいました。
1歳から13歳までいるので、
それはとっても賑やかでした。

兄もお酒が大好きですが酔います。
義姉は量は普通でも酔うことはありません。
娘の旦那たちも甥っ子も、
それに甥っ子の嫁さんもお酒大好きです。
私と義兄もお酒が好きなので、
この日だけは遠慮することなく飲みました。

と言ってもお酌が嫌いなんです。
ウェイトレスとして働いていたので、
お酌はまるで仕事をしているみたいでしょ。

それと返杯するのが嫌いなんです。
他人の飲んだ杯でお酒は飲めません。
小さいときはもっと潔癖症で、
母親以外の人が切ってくれたリンゴさえ
手にとって食べられませんでした。

自分の好きなお酒を自分のペースで
好きなように飲むのが私流
気兼ねせずに楽しく飲みたいですね。

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三池グリーンランド by wiki

熊本の思い出 三池グリーンランド
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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4人姉妹の共通点

義兄は食事が終わったら、
さっさと眠ってしまいました。
以前やっていたお茶畑は辞めましたが、
農家の人は朝も夜も早いです。

子供のように9時ごろには寝れません。
10時から11時にならないと、
体が眠たいと言ってくれません。

義兄が寝たのでこたつには4人姉妹。
お互いに話をするわけでもなく、
皆で黙って夢中になっているものがありました。
それは「数独」ことSudokuです。

私に数独を紹介したのは三女の姉ですが、
いつもオンラインでやっています。
姉の家にはWi-Fiも飛んでいないので、
数独パズルで楽しんでいます。

姉が東京から買ってきたパズルは10冊。
長女と次女はそれを大きな紙に書き直して、
これなら数字も分かりやすいし、
当てはまる数字を書き込めからと、、。

三女は懸賞に応募するのが好きなようで、
懸賞付きの数独のみやっていました。
さらに複雑なので好きなようで、
数独がいくつも重なった
一番難しいのに挑戦していましたね。

私はそこまではまだ無理ですが、
最近はハードな問題も解けるようになりました。
以前のように数字を書き込む必要もなく、
前後から数字を簡単に推理できます。

久しぶりに会ったというのに、
数独を楽しんでいる姉妹なんて、
ちょっと変わり者かもしれませんね。

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      通潤橋 by wiki

熊本の思い出 通潤橋
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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長女姉の家で

病院の見舞いが終わると、
街のスーパーで買い物をして、
姉の家に行きました。
義兄は3人兄弟の長男、
お隣に弟さんが住んでいました。

両親ともすでも亡くなっています。
娘三人も結婚して家を出ているので、
2人だけで暮らしていました。
そんな姉の家に突然女性が3人も
それも妻の妹たちが来るのですから、
久しぶりに賑やかになったかもしれません。

いつも女ばかりの家族でしたが、
娘たちは義兄と血のつながりがあります。
血のつながりのない義妹というのは、
どんなふうに写るのでしょうか?
まあ家の中のことをするのは姉、
だから私たちも気兼ねせずに泊まれるのかも。

実家と言いながらも兄は何もしません。
口だけで威張っているだけです。
義姉はとっても良い人ですが、
さらに甥の世代になってくると、
だんだん行き辛くりますよね。

私ひとりだったら兄の建前もあるので、
実家に泊まったかもしれませんが、
姉たちがここに泊まるというので、
私も気兼ねなく泊まることができました。

気を使ってくれる義兄に感謝しながら、
「飲むか?」と聞かれた私ですが、
他の姉たちが飲まないので遠慮しておきます。
お酒は飲まなくても生きて過ごせます。
これが実家だったら毎日酒盛りですが、、。

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    八勢の眼鏡橋 by wiki

熊本の思い出 八勢の眼鏡橋
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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父の看護できますか?

父が入院している間は、
食事からシャワーまで
病院のスタッフが面倒みてくれます。
まだ食事は自分でできましたが、
シャワーもひとりでは入れませんでした。

姉たちと見舞いに行っているとき
ちょうど義姉も来ていました。
父が食事が終わると、
入れ歯を洗ってくれるように頼みました。
ご飯が詰まっていると気持ち悪いのでしょうね。

長女や次女の姉、それと義姉は、
すぎに手をのぼしましたが、
三女の姉と私は無理でした。

長女の姉は義兄の両親の面倒を、
義姉は自分の両親の面倒を見ていました。
次女の姉は介護の仕事をしているので、
ためらいもなく世話ができるようです。

三女の姉は義兄の親と暮らしていますが、
ありがたいことに介護まで行っていません。
家族と暮らしていない私には
介護の経験は全くありませんからね。

起きれないのでトイレに行けません。
そのために父としては辛いでしょうが、
紙おむつを利用していました。
このおむつを替えるのは看護師さんです。
これは慣れていないと無理のようです。

子供には看護師や先生は憧れの職業ですが、
私には絶対にできない仕事だと
改めて考えさせられました。

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      鼎春園 by wiki

熊本の思い出 鼎春園
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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病院食は「まずかもんね」

父は豪傑ではありませんが、
戦争にも行った大正生まれですから、
それなりに我慢強いですね。
わがままは殆ど言わない人ですが、
「病院食」はまずいようです。

ご飯が少ないとか、納豆が小さいとか、
自分の食べたいものを家族に頼んでは
それなりに差し入れさせていました。

お風呂大好き人間です。
ところがシャワーは必ず
看護さんの介添え付きだそうです。
そのために二日に一度だけ、
それもぬるいと文句を言っていました。

時には裸にされてしばらく放置。
熊本の秋はかなり冷え込みます。
寒いと嘆いていましたね。

それに寝たきりなので、
背中が痛くなるそうです。
まだ頭と口は達者でも、
体はだんだん衰弱していました。

私達の顔をみると、
「わりゃきたか?」
「いつまでおっとか?」
と姉たちに聞いていました。

それから私の顔をみると
「やっと戻ってきたつや?」
「飛行代ば、渡してあるけんね」
と姉に託した私の航空券代を
絶対に忘れないように
気にかけてくれました。

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     吉無田水源 by wiki

熊本の思い出 吉無田水源
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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父の見舞い

私たちは姉兄がいる5番目の末っ子です。
兄を真ん中に三人の姉がいます。
長女が実家近くに住んでいますが、
次女が埼玉、三女が東京にいます。

もちろん長男の兄は実家ですね。
今は甥が跡を継いでいますが、
まだまだ兄が実権を握っているようです。
甥には現在4人の子供がいます。
父が生きていた頃は親子4代、
現在では田舎でも珍しい大家族です。

姉たちが東京から到着すると、
町のある父の病院に行く前に、
一度姉の家に立ち寄りました。
荷物を置いてゆっくりすると、
午後から父の病院訪問です。

病院には訪問時間があります。
家族なら時間外でも時として許されますが、
こんな大勢では無理ですよね。
実はこの時が私も初めての訪問。
父がどうしているか
「ちょっとだけ」心配していました。

私には父が病気や入院しているなんて
全く想像がつかないからです。
ベッドに寝ている父は
やはり元気そうでした。

その日も病院食がまずいというので
「お酒と刺身」を姉がこっそりと
包みから出していました。

「入院にぁー、しょうごつなかばってん」
胃からの出血がひどいので、
「仕方なし」に入院している
と言った様子でした。

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    御船町恐竜博物館 by wiki


熊本の思い出 御船町恐竜博物館
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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東京の姉たちも熊本へ

到着場所は熊本交通センター
と案内には出ていましたが、
実際には交通センターの近くの
道路沿いに停まりました。

姉とは交通センターでの待ち合わせ、
私は携帯電話がないので
公衆電話を探して連絡しました。

姉には遅く来るように頼んでいましたが、
やはり九州人は時間より早く来ます。
京都からのバスと言って探していたようです。
でも何処にも到着の案内がないので、
間違っていないか心配していました。

何とか姉と落ち合うことができました。
その日は旅の疲れもあるので、
父に会うのは遠慮しました。
姉と一緒に昼食を取った後は、
姉の家に行って寛ぎました。

実家は兄夫婦だけでなく、
甥とその子供たちも住んでいます。
今回は姉たちも来るというので、
一番上の姉の家に泊まることにしました。

長女の姉には娘が3人いますが、
皆独立して姉と義兄の二人暮らし。
田舎の家なので部屋はあります。
ここなら誰にも気兼ねしないで、
ゆっくり過ごすことができます。

翌日次女と三女の姉が来るので、
熊本空港まで迎えに行きました。
いつもは迎えに来てもらう立場の私が、
日本で誰かを待っているなんて、
ちょっとおかしな気分でした。

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   熊本交通センター by skymark


熊本の思い出 熊本交通センター
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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京都から夜行バスで

先生の治療が終わると
ちえさんに奈良駅まで送ってもらい、
そこから京都駅に向かいました。

その日は夜行バスに乗る予定でしたが、
京都、梅田、神戸から出ていました。
京都には何人か友達がいますが、
時間までワーホリの時に知り合った
優香さんが付き合ってくれました。

一緒に夕食を食べながら、
近況などを報告しあいます。
添乗時代は海外にも行っていたけど、
最近は派遣で事務の仕事のようです。
以前ほどは海外に憧れなくても、
息がつまると出かけたくなるとか、、。

京都駅出発の夜行バスは、
バス会社が催行しているものではなく、
旅行会社が、バスをチャーターして、
夜行バスを運行しているようです。

そのために乗車場所が良くわからくて、
連絡先に電話して何と分かりました。
出発時間の30分ぐらい前になると、
係員がやってきてチェックイン、
バスは15分ぐらい前にやっときました。

一番安いバスだったので4人掛け、
男性は車の前半、女性は後半と
途中カーテンで仕切られていました。
途中梅田と神戸から乗る人もいて、
お陰で熊本までかなり時間がかかりました。

トイレがついていなので、
数時間おきにサービスエリアで休憩
そのたびに降りて体を伸ばしました。

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       京都駅 by wiki

奈良の整体師「朱鯨亭」

私が治療用の布団に寝ると、
先生が「曲がってる曲がってる」と、
嬉しそうに背骨を触っていました。

そう極端に曲がっているわけではないですが、
長年の暮らしで背骨だけでなく、
全体的な体の骨が曲がっているそうです。
南半球に住んでいるから、
北半球の人と反対に曲がっているそうです。

先生に「脚の長さが違う」と言われました。
別にびっこで歩いていませんが、
かすかに両脚の長さが違うそうです。

先生の治療はくすぐられているみたいに、
少し触られるぐらいで痛くもありません。
気持ちが良いとそのまま眠くなりそうで、
知らないうちに眠っていたかもしれません。

治療が終わると、先生から
「体の骨を元に戻しておいたから」
と言われましたが、信じられませんでした。
足を持って引っ張るとかなどの
大げさな治療が全くありませんでした。

脱臼した後にシドニーで受けた
マッサージの方が、もっと痛くて、
これでも治療かと思ったほどです。

治療を受けてどうだったのか、
ハッキリとした違いは感じませんでしたが、
「先生から治しておいたよ」と言われると、
何だか正常に戻った気がしました。

これで数年は私の体は大丈夫かしら?
あれからすでに6年が過ぎようとしています。
今度戻ったらまたお願いしようかな?
「また私の背骨曲がりましたか?」
と尋ねてみたい気もします。


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     朱鯨亭のホームページ


今回整体していただいた朱鯨亭
のホームページです。
http://shugeitei.com
読むだけでお役に立ちますが、
治療が必要な方は予約が必要です。
ホームページからお願いします。



南半球に住んでいる人に会いたい

ちえさんが「こんにちは」と声かけても、
何の返事もありませんでしたが、
彼女はここで整体を習っているので、
そのままつかつかと上がって行きました。
先生はまだ治療の途中だったようです。

しばらくして先生が来られました。
髪の毛も顎髭も白くて長く、
作務衣を着た姿は仙人のようでした。

先生の治療はやや薄暗い畳の間でした。
私の名前と誕生日から
先生は一つの判断をされるようです。

それから一応問診がありました。
特に痛いというところはありませんが、
10年以上前にやった脱臼から、
左の肩がまだ少し硬いのと、
右の膝が長時間働いていると
たまに痛くなる時もありました。

先生の持論によると背骨が曲がるのは、
地球の磁気のせい言うのがあります。
南半球に住んでいる人の背骨は、
北半球の住んで言う人と違った方向に、
曲がっていないかを確かめたかったそうです。

大抵南半球に住んでいるのは外国人ですが、
先生の治療を受けに来る人もいなければ、
オーストラリアに人生の半分以上も
住んでいる日本人も知らなかったようです。

ちえさんが整体を学ぶようになって、
私が20年以上も南半球に住んでいるので、
先生の兼ねてからの持論、
「南半球の人は反対に骨が曲がる」の
モルモットとして選ばれたようです。

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朱鯨亭」の別所先生 by Sole to Soul

朱鯨亭の別所先生へのインタビューを
Sole to Soulで読むことができます。
別所先生へのインタビュー



ちえさんに連れられて

ちえさんと昼食を一緒に食べると、
あいりん地区のホテルに戻り荷物を受け取り、
そのまま奈良までドライブしました。
と言っても彼女と観光するのではなく、
彼女が習っているという整体を受けに、
奈良まで行くことになりました。

私自身は「整体」を受けなけばならないほど、
問題があるとは思っていませんが、
その先生には長年の持論があって、
どうしても南半球に長く住んでいる人の
体が見たいと思っていらしたそうです。

私が「大阪に遊びに行く」と電話したら、
「お願いがあるんですけど、、、」と言われて、
先生の整体治療を受けて欲しいと頼まれました。

予約したくてもなかなか予約できないほど、
地元では有名な整体の先生らしいですが、
「私の訪問に合わせて時間を空けておく」
というので初めての整体することになりました。

私にとって「整体」とは
強い力で骨を矯正するイメージでした。
そのために「痛くないなら」という
条件付きで引き受けました。
ポキポキ骨がなるまで体を曲げられ
痛い目にあってモルモットは嫌です。

ちえさん曰く、この先生の整体は、
「これが整体なの?」というぐらい、
ちっとも痛くないからという話でした。
ドキドキしながら到着したのは、
奈良の大仏時からもほど遠くない、
築年数50年は過ぎているような家でした。

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    連れて行かれた先『朱鯨亭

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