地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

飛行機の延滞 パリにて

1989年 6月 4日 出発から
1989年 8月11日 帰国まで  68日間

日本に戻った私は忙しかったですね。
二つの添乗をこなしましたが、
ひとつ目の添乗の時にパリで、
到着便の遅れから一日延滞してしまいました。

空港に到着するまでわかりませんでしたが、
午前中出発便が深夜になるというのです。
一日空港で過ごすわけにも行かないので、
バスをチャーターすることにしました。

バスの手配はガイドさんに頼んで
現地会社からやって頂きました。
ガイドさんは別の仕事があるのでいません。
仕方ないので私がガイドをしました。

今回の市内観光で行かなかった
私の行きたい場所への市内観光です。
モンマルトルの丘、自由の女神、
カルチェラタンの散策なんて良いでしょう。
昼食の手配が出来ないので、
自由に取って頂きましたが、
その分航空会社に交渉してもらいました。

朝は交渉したり手配したりする時間もないので、
夕方に来た時にチェックで貰うことにしました。
そのチェックがあれば空港で買物もできますからね。
もちろん出発前の夕食は空港で自由です。

しかしエキストラが出た分
パリでのんびりできたので皆さんハッピーでした。
延泊になっていたら違ったのかもしれません。
あのカナダの二の舞になる所でしたね。
しかし今回はオーバーブッキングではなく
飛行機の延滞だったのであきらめがついたのかも。

結局日本には夕方到着の予定が翌日の朝になりました。
そのまま出勤された方もいらしたようです。

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 サクレクール寺院 by wikipedia



パリのキャバレーショー

ツアーで見に行くショーと言えば
パリのキャバレショーを忘れてはなりけません。
日本人は殆どオプショナルツアーで行きますが、
ここは『世界一華やかな花の都パリ』ですから、
それにあわせてキャバレーショーが有名です。

行ったことのない人も名前は知っているでしょう、
映画でも有名になったムーランルージュです。
その名の通り赤い風車が印象的です。
パリに集まる画家達が絵画の題材にしたり、
そこで働く踊り子と浮き名を流したこともあります。

今でも世界で一番人気のある観光地パリですから
もちろん世界中から旅行者が集まってきます。
夜になるとショーを観賞する観光ツアーバスが
あちらこちらから集まってきます。

レビュー構成はすばらしく、
最初から最後まで見入ってしまいました。
特にわずかな飾りだけで隠された
ダンサーの姿はとてもきれいなので、
殿方は鼻の下をのばしていましたね。

ダンサーはパリジェンヌだけではありません。
こちらも世界中から集まってきます。
特にオージーが多いのをご存知ですか?
パリで働けるなんて憧れますよね。

構成は時代とともに少しづつ変化していますが、
フィナレーはあのフレンチカンカンです。
カンカンの歴史と発達については
ウィキペディアを参照して下さい。
現在のようなフレンチカンカンが誕生したのは
1920年頃と言われています。

パリにはこれ以外にもキャバレーがあります。
私はリドのショーを見ましたが記憶には残っていません。
女性のヌードショーで有名なクレージーホース、
ヌーヴェルエヴなどがあるそうです。
パリに行ったら是非一度は見て下さいね。

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    ムーランルージュ by wikipedia

旅行情報
ムーランルージュ (日本語)
リド (日本語)
クレージーホース (英語)
ヌーヴェルエベ (英語)
フレンチカンカンについて

フラメンコショー

添乗していて嬉しかったのは
個人旅行していた時に行きそびれた所へ
ツアーで何回も行くことができたことです。
ロマンティック街道がそのひとつでしたが、
他にも個人では行き難い所が沢山ありました。

特に夜にしか見れない所ですね。
ひとり旅だと夜の行動が制限されます。
特に観賞するものは夜が遅いですからね。

以前から見たくてひとりでは行けない場所。
現地のツアーに参加してもひとりでは寂しくて、
結局心に残っていたのが、
マドリッドのフラメンコツアーでした。

小さい時から一度は本場のフラメンコを見たいと
心に刻んでいたわりにはひとりでは行き難く、
フラメンコショーなるものを見れませんでした。

スペイン人のフラメンコショー
こちらの劇場で見たことがありますが、
やはりスペインのバルで地元のダンサーによる
本格的なフラメンコが見たいですね。

と言ってもツアーで行くのは観光客用
決して地元の人は見に行くことはないでしょうが。
本格的なダンスショーを見た時は感動しました。
汗が飛び散っているのがみえましたよ。

男性のダンスを見る機会は少ないですが、
背筋に剣が入っているような姿を見て
あの腕の中に包まれたいと憧れてしまいます。
踊り手の熱情で融けしてほしいと思いました。

しかし私が一番憧れたのは二人で踊るパソドブレでした。
音楽もリズムもテンポが良く聞きやすいですね。
物悲しい曲の多いフラメンコに比べると、
見ていて心も体も踊りだしそうになります。
フラメンコのショーで一緒に見せてくれる所もありました。

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     グラダナのフラメンコショー

ブランド品の本物、ニセ物

ルイヴィトンは基本的に世界同一値段。
パリで買っても安いわけではありません。
沢山買えば返還される税金分だけが安くなりました。

当時本物のルイヴィトンの製品は
直営店でしか買えないと言われていました。
しかしオペラ座通りの免税店でも売っていました。
お店には免税店と書いてありましたが、
日本人が経営しているギフトショップのことです。

直営店以外で売っているのは偽物でしょうか?
日本のアメ横でも売っているのを見かけましたが。
韓国で売っているような偽物ではないようです、
何処でこの製品は作られているのでしょうか。

これは添乗員時代にある人から聞いた話ですが、
これらの品物は偽物ではないけれど、
正規の流通品ではないと言うことです。

ルイヴィトンを何処で製造しているのでしょうか。
あのお店で作っているわけではありませんね。
これも下請けが製造しているわけですが、
ここが沢山つくって横流しをしているそうです。

ルイヴィトンとおなじ品物をつくっているけど、
正規の流通では流せない品物なので、
お値段の方も少し安くなっていると聞きました。

最近はインターネットで堂々と偽物を売っています。
偽物は法律では一応禁じられているのに、
販売しても法律で処罰されないのでしょうか?
ブランド品に興味のない私には関係ありませんが。

あの頃唯一ブランド品に拘ったのはペンでした。
モンブラン、クロス、それほど高級ではありませんが、
それらのブランドの中でも高い方を使用していました。

バッグよりペンなどに興味があるなんて、
まるで男性のような性格だと言われました。
今やペンを使わないネットでメールの時代、
そんなペンもお蔵に入って使う機会もありません。

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   パリ オペラ座通り by shopparis

フランスのブランド店にて

添乗する度に個性の強いガイドさんに会いましたが、
ガイドとしては長い経験を積んでいる方も多く、
それからのガイドとしての私の勉強にもなりました。

彼達の知識は豊富で頭の下がる思いでした。
歴史、美術、音楽などどれひとつをとっても、
アメリカ、カナダ、オーストラリアの比ではありません。
自分のガイドとしての勉強不足が恥ずかしくなりました。

添乗当時の私よりも若いガイドさんもいましたが、
殆どは今の私と同じ位の年齢でした。
その国にすでに20年以上も住んでいるような。
お陰で日本的感覚は殆どありませんでしたね。

時としてそれがお客様の鼻についたようです。
それはパリのブランドのお店でのお話です。
そのときは家族旅行の皆さんと一緒に
憧れのルイヴィトンのお店で買物していたときです。

店員は英語がわかるくせに相手にしてくれません。
商品に群がっている日本人が嫌いなのでしょうか。
商品の問い合わせをしようと店員に話しかけると、
買う気を見せないと親身に応対しませんでした。

その時に別の日本人グループが入ってきました。
日本人のガイドが一緒でしたが、
お馴染みなのかは知りませんが仏語で話します。
そうするとどうでしょうね、お客様の質問に答えています。

ちょっと私たちが先に質問しているのでしょう。
決して日本語でどなっているのではないのよ。
確かに私は仏語は苦手ですが、
お客様が欲しい物があるから来ているのに。

当時はブランド品が沢山売れていました。
ひとり一品しか買わなくても旅行者は多いですからね。
それだけ大量の売れ上げとなるわけです。
それでもハエのように商品に群がる日本人を、
冷ややかな目でみていたような気がします。

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       ルイヴィトンショップ

遅れて来たガイドさん

このお城に関する思い出がもうひとつあります。
別のツアーで行った時のことですが、
その日はミュンヘンから移動することになっていました。

この日ガイドさんがつくことになっていましたが、
何時になってもガイドさんがきませんでした。
バスのドライバーからは遅れるからと催促されましたが、
それでも予定より30分以上ロビーで待っていました。

ガイドさんなしでも何とかなる自信はありましたし、
出発に遅れて来るガイドさんの態度が許せませんでした。
お客様に了承を貰ってガイドなしで出発しました。

フュッセンまでの移動の間特に説明することもありません。
ドイツに滞在した時の思い出話で盛り上げていました。
かなりの時間が立ってから後ろからクラクションの音。
それも何回も鳴るのでバスを停めることになりました。

ガイドさんがタクシーで追いかけて来たようです。
お城に到着するすぐ手前で追いつきした。
お城の観光にガイドは必要ありませんでしたが、
形ばかりの仕事をしてお城でお別れ、
彼女はミュンヘンに戻って行きました。

ツアーはそのままオーストリアに抜けましたが、
このルートは添乗時代に一番感動した景色です。
カナダの大自然の中でガイドをしていた私が、
心からきれいだと思える景色はそれほどありません。

その景色とは一般の住宅街の家並みでした。
ゼラニウムの花がどの窓にも一面に咲き乱れ、
天国をこの世で見ているような優しさに溢れ、
その中にすべてが包み込まれる光景でした。

その街を通り抜ける間、私は言葉がでませんでした。
感動で胸が詰まってしまい言葉をなくしました。
それは皆さんにも伝わったらしく、
静寂なバスの中から車窓に見入りました。
何故かはわかりませんが、涙が溢れてきました。

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  ノイシュバンシュタイン城 by wikipedia


関連情報
ノイシュバンシュタイン城観光案内
http://www.neuschwanstein.de/englisch/palace/index.htm

ロマンティック街道

ロマンテック街道はヴュルツブルグから
フュッセンまでの366kmを差します。
街道と言っても一本の路になっているわけではなく、
観光名所を地図で一本の直線上に繋いで
観光街道としてルートに名称を付けているそうです。

この辺りはフランケン地方と言われ、
ドイツでも一番ワインの美味しい産地です。
最近は日本にも輸入されていますが、
独特の形をした瓶が特徴です。

ここでルートで一番の観光名所と言えば
このお城を見逃して通り過ぎることはできません。
ディズニーランド城のモデルと言われていますが、
フュッセンにあるノイシュヴァンシュタイン城です。

ヨーロッパに数あるお城の中で、
テレビや写真で見て憧れたお城はここひとつ。
何が私をそれほどまでに魅了したのかわかりませんが、
山の中にひっそりとあるのが良かったのでしょうか。

ドイツで働いている時期には行く機会を逃しました。
列車では不便で簡単に行ける所ではありません。
と言ってもツアーで来る人はとても多く、
日本人にはドイツで一番人気がありました。

城内の観光は時間毎に区切られています。
日本人のツアーはだいたい時間が決まっていました。
見学するコースにそって日本語のテープが流れます。
そのためにツアーを集中させていたようです。

しかしそのテープの日本語の説明が聞き取り難いのです。
何回も使用されているのですり減っているのでしょうか。
湖で自殺した王様の亡霊が乗り移っているような、
暗い気持ちにさせられるテープの声でした。

あれから何年も過ぎていますが、
あの説明はデジタルに変えられたでしょうか。
時間があればこの辺りを車でドライブしたいし、
見れなかった別の城も見てみたいですね。

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     ローテンブルグ by flickr


旅行情報
ドイツ観光局 ロマンティック街道
ロマンティック街道バス



Tour de France 優勝者
カデル・エヴァンスの優勝凱旋パレード
Wprld Traveler in Alaska



思い出に残るツアー

添乗員をしていた間に思い出に残るツアーと言えば
お客様と知り合えた楽しかったツアーもありますが、
一番思い出の場所に行けたことですね。
私が個人では旅行する機会がなく
以前から旅行したいと憧れていた所でした。

ドイツの古城街道とロマンティック街道の旅です。
当時私の後輩、一恵さんがドイツに戻り
J社のフランクフルト支店で働いていました。
このコースは彼女が手配、担当をしていました。

フランクフルトに一泊した翌日に
ハイデルベルグに移動しました。
ここのお城と大学を見学して昼食。
その後古城街道をバスで走行します。

私にとってはまだ未踏の地でした。
ドライバーさんが持っているガイドブックを読みながら、
彼の説明を通訳しながら案内をして移動しました。
しかし途中のお城は全部通り抜けでしたね。
バスの移動だけでも時間がかかります。

当時古城街道はマンハイムからネッカー川沿いに
ニュールンベルグまでの300kmでしたが、
1994年チェコのプラハまで延長されました。
その距離や1200km数日は必要ですね。

ツアーはローテンブルグで一泊しました。
この街もドイツに居た時から憧れていました。
ドイツでも中世の面影を残す都市と知られています。
古城街道とロマンテック街道が交差する都市で
まさにドイツ観光の中心地にありました。

昔はお城もあったようですが廃墟となっています。
しかし街全体にすばらしい建物が多く、
何処を写真にとっても、下手な人がとっても、
どんなに安いカメラでとっても絵になりました。
ドイツで一番写真に撮られている街かも知れません。

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     ハイデルベルグ by wikipedia



観光情報
ハイデルベルグの観光 日本語
ハイデルベルグ観光局 英語
http://www.heidelberg-marketing.de/content/index_eng.html

ヨーロッパのドライバーさん

ドイツ、スイス、オーストリアなどの
バスで観光しながら移動するツアーでは、
殆ど現地ガイドさんはつきませんでした。
そこで頼りになるのが現地のドライバーです。

比較的英語を話せドライバーが多いですが、
ドイツなまりのひどい英語を話す人も多かったです。
しかし現地の細かい所を知らない添乗員にとって
どんなドライバーだろうと頼りにするしかありません。
添乗員が現地で選べるわけではありませんね。

私の場合細かな現地はしらなくても
ドイツに暮らした経験が役立ちました。
現地の人に直接ドイツ語で聞くこともできました。
細かなことは話せなくてもかなり助かりました。
まともに勉強しなかったドイツ語が
10年後に役に立つとは思っていませんでした。

ひどいドライバーもいると聞きました。
スルーのドライバーの時は数日一緒です。
添乗員に言いよって来るドライバーがいるそうです。
私はドイツ人にはっきりもの言うので
そんな経験をすることもありませんでしたが。

ツアーに慣れているせいかチップにうるさいです。
スルーのドライバーガイドの時でしたが、
そのときは半日の仕事もなくあとはフリーでした。
それでも一日分のチップを請求してきました。
会社で規定されている通りのチップを渡しているのに。

長い移動中にある街でトイレ休憩で停まりました。
何処にあるかわからないのでドライバーの指示で、
街のお土産屋さん兼フードショップを利用しました。
お客様はお土産もあるので喜んでいらっしゃいましたが、
お店を出る前にコミッションを店の人から渡されました。

私はそんなつもりでここに停まったのではありません。
長い移動で疲れるのでストレッチも必要です。
二つの袋があってひとつはドライバーに渡すように
彼達は何処がくれるのか良く知っているのですね。

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     スイスの山小屋 by flickr

ヨーロッパのガイドさん その2

これはイギリス、ロンドンでのお話です。
空港にガイドではなくアシストの人がやってきました。
この人達が何のためにくるのかわかりませんでした。
と言うのは日本語は話せない現地の人だからです。

ホテル、バスなどすべて現地の旅行会社が手配します。
現地にではすべてに手配会社のバウチャーが必要です。
そのバウチャーを届けるためだけに空港に来ました。
空港でバスの確認位はしてくれたようですが、
それ以外は全く何の手伝いもしませんでした。

バスに同乗しても挨拶なければ説明もありません。
お客様にあの人は何しに来たのですかと
聞かれても答えるのに喉がつまりました。

空港から市内までの移動の際に
通貨のことなど説明して欲しいことはいっぱいありました。
当時はユーローがなく各国別の通貨でしたから。
国が変わる度に説明も必要になります。
同じヨーロッパでも風習もことなりますからね。

バウチャーだけならホテル受け取りでも構いません。
手配変更とかあってもその人では役に立ちません。
お陰でガイドの居ない所では現地の会社に連絡して、
簡単なツアーのブリーフィングを受けました。

そんな何もしないアシストにもチップを払うのですか?
当時のお金で15ドル(3000円)位はらっていました。
私がもらっていたのが日給で8000円くらいでした。

シドニーでは早朝の空港でミートして
観光が終わってホテルのチェックインまで手伝います。
すべて終わるのに8時間位かかりますが、
それでやっと20ドル位もらっていました。

今のヨーロッパの相場はわかりませんが、
シドニーでは今はガイドのチップはありません。
ヨーロッパでは必ず渡さないと怒られました。
ガイドからレポートが上がって来て添乗員が怒られます。
本当にヨーロッパのガイドさんは強いですね。

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     ヒースロー空港 by flickr

ヨーロッパのガイドさん

三か国でガイドをした経験はありましたが、
ヨーロッパのガイドさんは全くことなりました。
厳しい国家試験を受けて確立しているのか、
ガイドさんの給料はかなり高かったようです。

これはフランスのパリでのお話ですが、
観光のピークシーズンにガイドが不足すると、
午前中に空港に到着しても観光は午後から、
学生ツアーは後回しにされる傾向にありました。

私がガイドの時は空港までミートに行きましたが、
ここヨーロッパでは全く違いました。
空港アシストが市内までのトランスファーを担当して、
ガイドさんとは市内のホテルでミートしました。
すべてはガイドの手配状況で変更になります。

ホテルのチェックンの手伝いをありません。
観光が終わったらチップをもらって、はい!さようなら。
それは添乗員の仕事の基本ですが、
ここまで仕事の分担がハッキリしていると
私が習ったガイドの基本と全くことなります。

プロの添乗員ならまだ良いですが、
英語の苦手な営業の人が添乗していたらどうなるのやら。
そんなときはその分給料をもらってヘルプされるのやら。
現地でガイドをしたことがないのでわかりませんが、
取りあえず添乗員が下手にでていましたね。

イタリアなど国家試験の厳しい所は
日本人のガイドは通訳と言う形になります。
国家資格をもった現地のガイドが乗込んできました。
国家資格をもっていないとガイドができません。

現地のガイドさんは何もしませんでした。
バスの中でドライバーと話をしているだけ。
一番前に座ってニコニコしています。
多分日本人ガイドより給料も高いかもしれません。

国家試験は現地の言語で受験するそうです。
語学だけではなくともかく歴史から宗教まで
一から勉強するのは大変なことです。
日本人で国家試験に合格するのは難しいでしょうね。

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   ローマのコロッセウム by wikipedia


あなたは毎日80km走れますか。
Pole to pole run( 北極から南極まで)
World Traveler in Alaska

卒業旅行の学生さん

各都市で移動の後に観光がついていました。
翌日がフリーと言うパターンが多く、
自由行動を楽しめるようになっていました。

ヨーロッパはどの街も美術館、博物館の宝庫です、
建物を含めて見る物にことは欠きません。
街の銅像や橋に至るまで歴史が刻まれています。

ショッピングは意外や男性も楽しんでいました。
特に就職してからのスーツやアクセサリーを買う
おしゃれな男の子達が増えていましたね。

普段はブランド品に興味のない私です。
一般のツアーだと買物も指定のお店ばかりでした。
学生さんに付き添って買物するのは
ブランド品を知る良い機会になりました。
ひとりでこんなお店に行く勇気はありませんから。

私も働いていたとは言え旅行にはお金をかけません。
学生さんと一緒に安くて美味しい食事を探すのが、
その街での楽しみになっていました。
男性も多かったので地元のお酒を飲んだり、
一緒に踊りに行ったこともあります。

中には勉強一筋で学生時代を過ごした人もいました、
本当に世間に無知と言うのでしょうか、
学校や学生仲間以外の世間を知りません。
就職先も国家公務員と堅い職業です。

就職前に世間勉強をする必要もあります。
日本ではないから少しはハメも外せるでしょう。
仕事柄危険なことはお薦めしませんが、
旅行中に皆で楽しめたら思い出にもなるでしょう。

初めて海外旅行に参加した人も多くて、
私の体験を興味深く聞いて下さいました。
日本と言う社会だけを見て生きるのではなく、
世界に視野を向けて欲しいと思いました。

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    マドリッドのデパートby flickr



No more Hiroshima, No more Fukushima
核爆弾、原発、ウラン採掘廃絶を唱えて
World Traveler in Alaska

バブル時代の卒業旅行

ツアーの参加者が殆ど現役の大学生でした。
中には大学院の人もいたような気がします。
就職は殆ど決まっていましたが、
卒業が確定するのは旅行後でしたね。

国立、私立、一流、二流を問わずに
卒業、就職という同じ環境にいる学生さんが、
旅行と言う同じ目的で集まっています。

楽しかった学生生活とは言え、
テストなど苦しかった時もあるでしょう。
卒業を目前に控えて始めての開放感。
社会の荒波に飲み込まれる前に
最後の羽を伸ばせる機会でした。

滞在自由型の卒業旅行は往復の航空券と
最初と最後の宿泊代が含まれるコースでした。
周遊型は一般のパッケージ旅行と同じです。
観光、宿泊、たまに食事もつきました。

ヨーロッパでも一国や一都市滞在型もありましたが、
人気があったのは断然周遊型でした。
まだまだ海外旅行が旅費が高く
簡単には行けないヨーロッパでしたから、
行くからには全部見てみたいと思いたくなります。

就職してからすぐに休みももらえません。
ましてや長期の休みが取れるのはこのときぐらい、
そのために周遊型に人気が集まりました。

実際にどんな国に行ったか覚えていませんが、
イギリス、フランス、スペイン、ドイツ、
スイス、イタリア、オーストリア、ギリシャを
回ったような記憶が残っています。
一カ国2~3日のハードスケジュールです。

夏にも学生ツアーがありましたが、
この時は会社を辞めたOLが多かったです。
ボーナスをもらったあとに自分へのご褒美、
思いっきり楽しめる時代でもありました。

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    ルーブル美術館 by wikipedia

卒業旅行ブーム時代

新年そして平成の一本目の仕事は
当時人気のあった学生のための卒業旅行でした。
当時の就職活動は10月頃に始まりましたが、
バブルに入っていたので青田刈りと呼ばれるように、
企業から早めに内定をもらう人が多かった時代です。

短期で海外旅行を楽しむ人もいましたが、
就職してからは長期旅行は無理なので、
2週間以上の旅行を楽しむ人が多かったですね。
ひとりや仲間と一緒に自由旅行をする人もいれば、
ツアーに参加する人もかなりいました。

リクルート、DSTなど自社の就職雑誌に広告を載せ、
提携したクレジット会社で学生ローンを組めば、
旅費がなくても就職してからの返金可能でした。
安定した会社に就職が決まっていれば安心ですね。
出世払いではありませんが先に楽しむタイプです。

丸井などのクレジット専用デパートが出現して
分割払いで買うことに抵抗のない世代でした。
貯めてから旅行するのではありません。
楽しいことを先に済ませてから後で払う。
若者の感覚に変化が生まれ始めていました。

冬のツアー客が少ないこのシーズン。
どこも学生ツアーに力を入れていました。
私は地球倶楽部のツアーで行くことになりました。
シーズンオフと言うこともありましたが、
三週間のツアーで20万円代、
現地の宿泊代と観光代だけでも元がとれますね。

バブルと言う経済発展の後押しもありますが、
就職は簡単でアルバイトもすぐに見つかる時代です。
会社を辞めてもその先の不安がありませんでした。

アルバイトをしながらでも簡単に
海外旅行を楽しめる時代になっていたので、
卒業旅行がブームになっていたのでしょう。
就活氷河期と言われる今からは想像できません。

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    ロンドン ピカデリー広場 by flickr

昭和が終わるとき

その日は添乗から戻ってのんびりしていました。
二人ともお休みだったでしたが、
私は近くのコインランドリーに洗濯に行きました。
添乗から戻るとこれが一番先にすることです。

来ていたおばさんから『大変なことになったね』
と言われましたが私には分かりませんでした。
テレビを見なかったのと聞かれたのですが、
友達がまだ寝ていたので見ていませんでした。

お正月が開けるのをまつかのように、
天皇陛下が崩御されました。
前年辺りから病気はことは報道されていました。

アパートに戻って友達を起こして
テレビをつけてみると何処も特別番組。
それから二日間は特番ばかりでした。

戦前と戦後では天皇の立場は変わりましたが、
天皇について学校で習うことはありません。
今まで知らなかったことばかりでした。

始めは知らないことばかりで興味を注がれましたが、
同じことばかり見ていると飽きてきますね。
どのチャンネルをみても同じような番組です。
日本全体が自粛モードに入りました。
会社やデパートも閉まる所もありました。

天皇家はすべてが神道に従って行われます。
お葬式も仏教によるのとはかなり異なるようですが、
ましてや天皇家となれば一般の人とは違いますね。
聞くもの見る物がすべて雲の上の存在でしょうか。

ご記帳と言うのが行われましたが、
こういうのがあるのも私は知りませんでした。
書かれたそのご記帳は何処に保存するのでしょうか。

昭和が終わり平成という年号に変わりましたが、
自分の生まれた昭和が終わると言うのは
実感としてはまだ分かりませんでした。

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       白い菊の花に託して



Australia's Got Talent
今年の優勝者は Jack Vidgen
World Traveler in Alaska

エアーズロックで新年を

年末年始のツアーはなんとオーストラリアでした。
オーストラリアで新年が迎えるなんて
翌年はきっと良いことがあると思っていました。
翌年早々には永住権でも降りるかしら?

シドニー、エアーズロック、ケアンズのコースです。
エアーズロックは二回目、ここで二泊しますが、
大晦日をここで迎えることになりました。

年末年始のコースは注意しなければなりません。
料金も高いためにお金持ちの方が多く、
お医者さんや教師など先生と呼ばれる方が多いのです。

一般の人から先生と呼ばれる職業の方は
”こうして下さい’と言われるのを嫌われます。
いつもは指示する立場にあるからでしょうか?
添乗員は『お願いします』という言葉を使いました。

ラッキーにも鼻にかけるような方は少なく、
OLの方も何人かいらっしゃいましたが、
和気あいあいと楽しむことができました。

ツアーのハイライトは大晦日ですね。
夕食後プールサイドでパーティーがありました。
もちろん水着のパーティーではなく、
年越しカウントダウンのパーティーです。

皆さん最初は尻込みをされていましたが、
二度とないチャンスですよとお誘いました。
オーストラリアにまた来ることはあっても、
ウルルで新年を迎えることなないかもしれません。

シドニーのような花火はありませんでしたが、
いろんな国の人達と一緒に
新年を迎えれたのは楽しかったようです。

季節柄雨期のために湿気があり、
観光シーズンとしてはお薦めの時期ではありませんが、
緑が多く別の姿を見ることができました。
ましてやエアーズロックから眺める
初日の出は格別だったようですね。

皆さん一生に一度は南半球で
お正月を迎えてみませんか?
オーストラリアではシドニーだけではなく、
各都市でイベントが開催されますよ。


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  ウルルリゾートのホテル by hotel.com




観光情報
ウルルリゾート
http://www.voyages.com.au/
ノーザンテロトリー観光局 日本語
http://ja.travelnt.com/


一年後のロンドンオリンピックに向けて
イアンソープの最近の話題
World Traveler in Alaska

パンは手でちぎって下さい。

年配の方が多いツアーで困るのが
マナーを誤解されている方も多いことです。
冬の寒い時期なのでいつもコートを着ていました。
トレンチコートで別に問題はないのですが、
ホテルの食事中もずっと着ていらっしゃるのです。

この方達は70代すぎのご兄弟でしたが、
私が一人で座っていると私のテーブルに座ってきます。
朝食ぐらいひとりでゆっくり食べたいのですが。
お客様と同席だとやっぱり仕事をしているようです。

固いパンをナイフとフォークで切ろうとされます。
あまりにも固いのでころころ転げていきます。
切れないのでそのうちフォークで突き刺していましたね。
突き刺したフォークごとパンを食べようとされます。
さすがにこの時点でちょっと助言をしました、
パンだけは手でちぎっても構いませんよと。

レストランでスープがつくのが苦手でしたね。
スープを飲むのに蕎麦を食べるような音です。
二人のスープの音がうるさくて周りの人がじろり。
さすがに注意するのも嫌になりましたが、
みそ汁を飲むように皿を持ち上げた時は、
『私は他人です』みたいな顔になりました。

なるべくこのお二人とは離れた席に座るようにしていました。
グループの人数の関係かお二人の隣の席がいつも空いています。
お二人参加の方も誰も隣には座りたくなかったようです。

私がひとりで座ろうとすると”ここが空いていますよ”と
教えて下さるのは嬉しいのですが遠慮させて下さい。
添乗員の席が別に取れない場所では仕方ありませんが。

夕食時はなるべく仕事をするフリをして
皆さんの食事が終わるまで立っていました。
たまにお茶でも飲んで時間をつぶしながら、
その後ひとりでのんびり食べるのが嬉しかったです。

ベジタリアンの私は皆さんと一緒の食事ができません、
お陰で別の料理を出してもらうこともありました。
まさかひとりだけパスタなんて食べれませんからね。
魚料理も毎日同じものは食べる気になれません。

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      ホテル内のレストラン

バスの手配ミス

当時はEチケットではありません。
もちろん本物の航空券でした。
PCでプリントされたぶ厚い航空券でした。

周遊には同じ航空会社を使うので乗り換えも多いです。
シカゴをハブにしていたので、そこからナイアガラ行きも、
その後にNYやワシントンからラスベガスに行くのも、
シカゴを経由して行ったのには疲れました。

西から東へ横断すると時差もあるので
殆ど一日費やしてしまいます。
シカゴ経由で到着時はすでを真っ暗になっていました。
バッファロー空港からナイアガラに行くのに
トランスファー用のバスが来ていなかったのは困りました。

こちらはアメリカ側ですが、
手配はカナダ側にある旅行会社でした。
バスもカナダ側から迎えにくるはずでした。

バス会社に電話してももう誰もいません。
バスの緊急連絡先など渡されていませんので、
手配会社に電話しても手配したの一点張りです。
こちらはバスが必要なだけなのですが。

現地のガイドはこの地点ではつきませんでした。
添乗員だけでトランスファーをすることになっていました。
無駄を省いて経費を抑えていたのですが、
そう言う時に限って手配ミスがあるのですね。

それから空港でかなり待ちましたね。
夕食の時間にも間に合わないので
ホテルに電話して変更しなければなりません。
何時到着になるかわからないので、
時間変更するのに時間を指定できません。

空港を出発する時に電話を入れましたが、
携帯電話が普及していない時代で苦労しました。
当時の携帯はまだアタッシュケースのような入れ物で
バッテリーが馬鹿みたいに大きい時代でした。

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    レインボーブリッジ by wikipedia

格安ツアーはOPで儲けます

最初の到着都市はサンフランシスコでした。
朝の到着ですが日本時間では真夜中。
目を開けたくても体が眠たがっています。
そんな中でガイドさんの声は雑音でした。

自分がガイドをしていた頃は眠るお客様に
ややむっとしながら案内したものですが、
逆の立場になると気持ちが良く分かります。
ガイドさん本当にごめんなさいね、
でも体が言うことを聞いてくれないのです。

引きまわされる囚人のように
市内観光と言う義務を果たして
ホテルにチェックンできるのは2時過ぎです。
それでも部屋が用意できていない時もあります。

そのために市内観光と夕食の間にOPツアー、
このお客様がホテルに戻られるまでロビーで待機。
お陰でシャワーなども浴びる暇もなく
今度は夕食のお世話をしなければなりません。

さらにお客様は夜の観光に出かけられます。
タフですよね、信じられませんでした。
同じお客様が両方参加されることも少ないですが、
到着した日に二つもOPツアーがあるとは。

最低の人数に達しないとツアーが催行されないので、
ガイドと添乗員でお薦めしなければなりません。
体がしんどくてと言う方も多かったです。
年配の方が多いから仕方ないのですよね。

お客様に同情しているとツアーは売れません。
口八丁でうまくお薦めするのが添乗員の仕事。
本音と建前をうまく使い分けないと。

ガイドさんの仕事が掛かっています。
売り上げのコミッションもあるはずです。
お陰で一生懸命にお薦めしているのですが、
最低人数まで売れない時もありました。

OPツアーが多いわねと文句を言われそうですが、
格安ツアーは旅行会社の儲けが少ないです。
手配している現地の会社にとって
これが売れないと収益が少なくなります。
格安ツアーに参加したら諦めて下さい。

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     フィッシャーマンズワーフ

グループチェックインカウンターにて

チェックインは添乗員が一括してやります。
ツアー専用カウンターを空港にオープンします。
お客様が来られる度に挨拶をして荷物を預かります。
パスポートや必要な書類を確認します。

荷物の名札さえ添乗員がつけるものと
勘違いされているお客様も多かったです。
もちろん航空会社のタッグは私がつけますが。
自宅まで郵送されているのですから、
それぐらいは自分でつけて頂けないでしょうか。

空港まで荷物を送るシステムもありました。
送られた荷物を旅行会社が預かっていると
勘違いされているお客様もいらっしゃいました。
ご自身のお荷物は各自で受け取って下さいね。

出国カードを申し込んでいないお客様で
添乗員に頼まれる方も多かったですね。
書類の記載は有料で受け付けていたので
自分で記入されるように頼みました。
海外の入国カードならいざ知らず
出国カードは日本語で記入すれば良いことです。

一番困るのがツアーバッジをつけないお客様です。
一度見ただけで皆さんの顔が覚えられるほど
私の記憶力が良いはずはありません。
ましてや混雑した空港で見分けはつきません。

同じ会社のツアーでも行き先はたくさんあります。
アメリカ行きのツアーでもコースが分かれていました。
私のツアーのお客様がどうか判断できるのは、
その色分けされたバッジだけが頼りでした。

それでも私が目立つようにとカラフルな服を来ていました。
今の添乗員さんとは違い赤や黄色のジャケットです。
冬でしたのでピンクのコートを来ていました。
これなら混雑した空港でも私と分かるでしょう。
ツアーのお客様を見落としては添乗員失格ですから。

これは過去のチェックンシステムです。
最近は個人チェックイン制を採用している
航空会社がどんどん増えていますので、
現地の空港到着まで添乗員と会わないケースもあります。
タッグやバッジは必ずご協力下さい。


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       旅行会社ツアーデスク

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