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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

暑中お見舞い申し上げます


暑中お見舞い申し上げます。

この度の西日本を中心とする7月豪雨では、
200名近い方々の死亡が確認されました。
亡くなられた方々の冥福をお祈りいたします。

まだ避難されている方々や、
電気や水道が復旧していない所もあると思います。
この三連休、猛暑の中、
後片付けで大変な方も多いと思いますが、
熱中症で倒れられないように願っております。


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冬にも咲くオーストラリアのボトルブラッシュ


夢を求めて

旅行中は生き生きしている私ですが、
シドニーに戻ってくるとうんざりします。
そこには生活がありますが、
あまり生き甲斐がないのかもしれません。

シドニーは世界中の人が憧れる所。
物価はかなり高くなってしまいましたが、
治安も良く、温暖な気候と風景も良く
住むには何の文句の付け所もありません。
友達もいて、仕事もあれば、
何の文句を言える立場ではないですね。

私は小さいころから「夢」がありました。
その夢は「大きくなったら、、、」と
常に何かに憧れ追い求めていました。

黒白のテレビが1台しかなかった我が家、
それでも海外の番組を見ると、
「えっ、こんなことがあるの?!」
驚きと感動に満ちた世界がありました。

図書館で本を読破した私です。
でも文学物はあまり好きではなく、
冒険物が一番好きでしたね。
そこに私の知らない世界が広がったのです。

「海外に暮らす、世界中を旅行する」が
現実の社会から抜け出す目的になりました。
白黒テレビがカラーテレビになると、
私の夢はますます膨らみました。

海外に出るには、実家を出ること。
まずはお金を貯めなければなりません。
高卒の初任給が65000円の私にとって、
海外旅行もまだ手が届かない時代でした。
ワーホリ制度もないころですから、
海外に出る手段を見つけなければなりません。

一流のホテルに勤めていましたが、
そこから海外派遣の可能性もないので、
海外に出る手段を探し続けました。
そして手に入れたのがドイツの仕事。
その時初めて海外への扉が開きました。

JA8113[1]
 JALのジャンボ機@1973年 by wiki





100カ国への道のり

私が初めて訪問したに外国はドイツでした。
日系ホテルがオープンすることになり、
レストランで働くことになりました。
いくら和食のレストランと言いながらも、
ドイツも話せずに渡航したのですから、
必死になって勉強したものでした。

ドイツ滞在中に20カ国程旅行して、
旅行の虜につかれてしまいました。
ちょっと休みがあると、2等列車で旅にでました。

一度日本に戻ってみたものの、
外国の自由さに憧れていた私は、
永住と言う手段を模索していました。

それからの私の人生と言えば、
カナダ、アメリカ、オーストラリアに住み、
この間を移転して働きながら旅行。
シドニーに永住してからは、
猛烈に働いて、長期旅行のパターンでした。

現在は日本を出発して一年以上
世界一周をしている方が多いです。
ワーホリで行ける国が増えたので、
外国の敷居もどんどん低くなりました。

知人の中には半分リタイヤして、
海外旅行をねぐらにしている人達もいます。
インターネットが発達した今日、
ネットで仕事できる手段を選んで、
仕事しながら旅行しているわけですね。

まあ私はそれほど頭が良くないので、
永住権をいくつも収得として、
現地で働きながら稼ぐ方法を選びました。
この国に飽きても、あっちの国で暮らせます。

そしてずっと数えてきたのが
私が訪問した国の数でした。
前回のブルネイが99カ国目でした。
中にはニューカレドニアのような
海外領土もひとつとして含まれまれていますが、
100カ国行くことが『私の夢』でした。

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初めて住んだ外国の街 デュッセルドルフ by wiki


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