地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

渡り鳥のような、旅ガラスのような、

どうして私が渡り鳥になったか?
旅ガラスのような暮らしをしているのか?
昨日までのブログで紹介しました。
このブログを始めた翌年2010年に
初めてアラスカで仕事をしました。

アラスカの暮らしは気に入りましたが、
その翌年はシドニーで過ごしました。
アラスカとシドニー間の距離は遠く、
そう簡単には戻ることはできませんでした。

航空券もかなりの費用がかかります。
アラスカの4か月分の給料では、
税金を引かれ、諸経費を払ってしまうと、
手元には殆ど残りませんでした。
往復の航空券代と他の旅行費用でで、
貰った給料は飛んでしまいました。

「アラスカに旅行に来た」と思えば、
何とか安い給料でも救われました。
お金では買えない体験もできたし、
ひとシーズン過ごせたというのは
観光客ではできないことです。

どんなにアラスカが気に入っても、
厳冬の時期、暮らす気持ちはありません。
冬の間だけ他の街で暮らすこともできますが、
やっぱりシドニーが好きなのでしょうね。

この街には友人もたくさんいるし、
仕事も何とかそれなりにありました。
ここには現実の世界しか待っていませんが、
一番過ごしやすい街といえますね。

マンネリ化でも半分ここで暮らしながら
アメリカに働きに行ったり、旅行したり、
私にはぴったりなのかもしれません。
若いときのように毎年移動するのは辛いけど、
数年おきならやっぱり移動したいですね。

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    デナリ国立公園の野生動物

カジノのディーラーを目指してみたけど

初めて暮らすラスベガス
訪問するのも20年ぶりでした。
友達もいないし、仕事もありません。
昔のように一から始めました。

少しだけ違っていたのは、
初めて来た時より英語がもっと話せること。
国の事情を良く知っていること。
インターネットのお陰で、
ホテル、バスや航空券などの予約が
簡単にできる時代になっていました。

初めてカナダに住んで頃を思い出しました。
まず住む所を見つけなければなりません。
それが決まると今度は仕事探しです。
どちらも決まると、落ち着きました。

もちろん最初にやった仕事はウェイトレス。
まだ景気が良く、タイミングもよかったので、
大きなカジノですぐに仕事が見つかりました。

一年目はその街のことを知ること。
アメリカに完全に移住するためには、
それなりの覚悟も要りますからね。
もう若くないので、一度移住してしたら、
そう簡単には後に戻れないのです。

二年目は本格的な仕事探しでした。
ラスベガスはカジノの街ですから、
ディーラーになるのが夢でした。
養成学校に行き資格をとって、
3流のカジノに就職することもできました。

ところがタイミングが一番悪い時期でした。
ハウジングブームで景気の良かったアメリカに
不景気の兆しが出始めていました。
景気が悪くなるとカジノの客も減って、
ディーラーを解雇するところも出始めました。

私がいたカジノは前年にオーナーが変わり、
壊して新しいカジノを建てる計画がありました。
パートタイムで仕事をしていれば、
新しいカジノでの保障もあったのですが、
それまでくい繋げる余裕はありませんでした。

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    ラスベガスの看板 by wiki



ガイドの仕事がなくなると、、、

オーストラリアに戻ってから10年間は、
ガイドの仕事がとても忙しかったです。
すでにバブルは破壊し始めていましたが、
オーストラリアが旅行ブームになり、
しばらくは景気の良い時代が続きました。

ガイドをしてお金を貯めては海外旅行。
たまに永住権をキープするために、
アメリカやカナダに戻って滞在しました。

一応シドニーが私の拠点になりましたが、
「今何処にいるの?」と家族からも言われるほど、
結局はいつも動き回っていました。
新し国を一か国でも増やすこと。
100か国旅行するのが目的でした。

日本の不景気がだんだん深刻になると、
海外旅行は「短い、近い、安い」が主流になり、
オーストラリアに来る人も減りましたね。

ピーク時にはこのシドニーだけでも
500人近い日本語ガイドがいたというのに、
いつの間にか50人ぐらいになってしまいました。
そして私がいた会社もガイド部門をクローズ、
皆それぞれに散らばって行きました。

私はまだガイドをしながらウェイトレスもして、
旅行するだけの余裕もありましたが、
そろそろ次の目的を探す時、
アメリカへの移住を考えてみました。

途中にもハワイやニューヨークで暮らしましたが、
戻ればまだガイドの仕事が待っていました。
でも私の好きな仕事ができないのなら、
他の国でガイドするために移住するか?
永住権はあるのですから、移住は簡単でした。

そしてアメリカに移住することにしました。
しかしオーストラリアよりも時給も安く、
医療保険など全くない国ですから、
ちゃんとした仕事が見つかるまでは無理ですね。

ターゲットに選んだのはラスベガス。
どんな街か、仕事はあるのか?
探すためにひと夏行くことにしました。

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   セントラルコーストの夕暮れ



永住権を保持するのも大変です。

南米への航空券も予約して
あと1っか月で出発という時に、
母からの手紙が到着しました。
大きな封筒の手紙の中には別の封筒があり、
差出人はロサンゼルスの弁護士でした。

中を開けてみると、、、
グリーンカード当選の通知でした。
3年以上待ったアメリカの永住権が、
オーストラリアに移民してから降りたのです。
それから一か月は面接のための書類集め、
そしてすべての必要な手続きを
旅行前に揃えなければなりません。

南米の旅行が終わりカナダに行きましたが、
仕事をしている時間はありませんでした。
日本行の航空券を予約したら、
後のはのんびりと旅行することにしました。

日本のアメリカ大使館での面接が終わると、
そのままアメリカにとんぼ返りしました。
アメリカに入国しないと永住権はおりません。
こうなると旅行というより追い立てられています。
しかし私の夢だった「グリーンカード
こうして手に入れることができました。

私が一緒に住んでいた友人も、
ガイドをしていた時の友人たちも、
かなりの率でグリーンカードを取りました。

最初の応募で2回にわたり
合計10万人が当選したそうです。
再抽選でさらに5万人が当選したそうです。
私達はどうやらそこで選ばれたようです。

グリーンカードは郵送されるので、
友達の家に送ってもらうことになりました。
そして私はそのままシドニーに戻り、
オーストラリア暮らしを楽しみました。

こうやってカナダの永住権をとってから
10年のうちに3つの永住権を取りましたが、
これをキープするのも大変なんですよ。
結局私の旅は一生続くことになりました。

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    ロイヤルナショナルパーク



シドニーに定住したはずですが、、、

日本に来て一年が過ぎようとしていました。
ロサンゼルス行の航空券があるので、
しばらく北米に帰ってみることにしました。
バンフの会社には来ることを伝えましたが、
結局何処でも仕事をせずに遊んでいました。

日本で添乗員をしているので、
今回のカナダ訪問は旅行でも良いのです。
この旅行中に友人に電話を入れると、
何とオーストラリアの永住権が認可されました。

面接があるので2か月でとんぼ返り。
大使館で最後の面接を受けると、
正式に永住権が降りました。
これでカナダの冬を過ごせる国ができました。
それもカナダの冬に夏の国でした。

日本の夏は添乗員が多忙な時期。
稼げるだけ稼ぐつもりでした。
シドニーに戻ってもしばらくは遊べません。
落ち着くまでは一生懸命働くつもりでした。
そのためにもお金はあった方が良いですね。

最初は現地に仕事を探しました。
ホテルの仕事もすぐに見つかりましたが、
ガイドの声があちらこちらかかかり、
結局ガイドになることにしました。
今までのガイド会社ではなく大手の会社で、
専属ガイドとして働くことにしました。

それまでも充分働いてきたつもりですが、
シドニーでガイドを始めてから数年は、
人生の中で一番働いた時期かもしれません。
休みをくれと言っても休みが貰えない程、
仕事はいくらでも好きなだけありました。

ヨーロッパの夏より暖かいシドニーの冬。
こんなに暮らしやすい街はありません。
でもじっとしているとムズムズします。
移民してから半年、毎日働き続けたので、
自分へのご褒美で三か月の休暇を取りました。

初めての南米旅行を計画しました。
もちろんひとりで好きなところに行きます。
主な観光地だけを旅行する、
一か月だけの短い旅行でした。

そのあと今度はカナダに戻って、
しばらく滞在するつもりでいました。
カナダの永住権をキープするには、
数か月滞在しなければなりませんでした。
もし仕事が見つかれば働くかもしれません。

Blue-Mountains-private-tour-10[1]
   ブルーマウンテン by flicker




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