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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

トロントに住み始めたころ

ロサンゼルスで全額盗まれた私は、
姉に送金してもらっている間に
ヨーロッパへ旅行することにしました。
当時は送金に数週間必要でしたからね。

ヨーロッパからNYに到着した時、
ロサンゼルスで盗難にあったので、
とっても怖くて空港でびびっていました。
市内行のバスに日本人を見つけた時は、
神さまにも見えたものです。
そして親切にしてもらいました。

この方の次のフライト先がトロント
私はバスで行く予定でしたが、
彼が「お金を貸してあげるから」と
飛行機にするように言われました。

クレジットカードがあったので、
それはお断りしましたが、
同じフライトでトロントに入りました。
その方は乗り継ぎでバンクーバーへ、
私は足に力を入れて入国審査へ、
それから私のカナダ生活が始まりました。

トロントではホテルを3日分予約していました。
到着2日目に住む所が見つかり、
到着3日目に仕事が見つかり、
到着4日目は新居へ引っ越してして、
一週間後には仕事を始めていました。

お金がなかったから必死でした。
お寿司屋さんで働きましたが、
毎日のチップで暮らすことができました。

皆さんが親切に教えてくれたので、
カナダ政府から援助を貰いながら、
無料で英語学校に通うことができました。
何て親切な国だと思いました。

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移民したころ世界で一番高かったCNタワー


カナダに永住した時

トロントは、私が初めてカナダで住んだ街です。
最初の海外生活はドイツでしたが、
会社に採用されて派遣されたので、
ビザの手続きから航空券の手配まで、
すべて会社で準備してくれました。

他に採用された人たちと一緒に行き、
修学旅行ののりで成田から出発しました。
海外生活に憧れていたので、
全く言葉の通じない国でも楽しかったです。
仕事は和食のレストラン、仲間は日本人、
日本で生活しているのと同じでした。

カナダは自分で移住を決めて、
大使館で申請して受理されましたが、
移民手続きから航空券の手配まで、
すべて自分でやったものです。

誰にも聞けないので心細かったけど、
永住権を手にしたときは、
達成した満足感がありました。
しかし実際は到着してからこそ、
大変なドラマの始まりだったのです。

最初に到着してロサンゼルスのホテルで、
盗難にあい全財産を取られたときには、
人生の中で一番のショックでした。
それは私が3年間ホテルで働いた時、
一生懸命貯めたお金と同じ金額。
これからカナダに行ってからの軍資金でした。

しかし日本に戻ることはできません。
取り合えずトロントに到着して、
永住権を正式に手に入れてから、
どうするか考えることにしました。
トロントに送金してもらうまで、
二か月ほどカードで暮らしていましたが、
それが私を鍛えてくれたと思っています。

永住権は入国してから
日本で海外の永住権を申請できますが、
実際に正式に永住権が許可されるのは、
その国に入国して、手続きをしてからです。

カナダ大使館から「永住権許可」の書類をもらって、
カナダに期間内に入国しなければなりません。
入国審査で「移住」というと別室に連れていかれ、
それらの書類にサインをしてくれます。
そして正式に「永住手続」となります。

実際はそれから保険や保険番号など、
いろいろと手続きをしなければなりませんが、
国によって事情が違うので面白いですよ。

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     トロント大学 by wiki




ハワイに移民したい

カナダとオーストラリアは技術移民でしたが、
アメリカだけはそれでは入れてくれませんでした。
しかし私がロスにカナダから越冬しに来ていた頃
『グリーンカードが抽選でもらえる』という噂が
ロス滞在の日本人の間で持ちきりになりました。

当時永住権を持たず働いていた人達が
旅行業界やレストランには多かったですね。
みんな観光ビザや学生ビザで訪米して、
ビザが切れてもそのまま滞在していました。

5年以上不法滞在していることが証明できれば
『恩赦』で永住権が貰えることになりましたが、
『恩赦が適用されない人達』のために、
永住権を抽選でくれるというものでした。

同じ弁護士を通してたくさんの人が申請しましたが、
狭き門で抽選に当たる人は少なかったです。
私も2年待ちましたが何の連絡もなかったので、
オーストラリアの永住権を申請して、
シドニーに移民することになりました。

シドニーに移民して半年後、
南米旅行に出かけることになりましたが、
その前に抽選当選の通知が来て
急遽グリーンカードを申請することになりました。

永住権は穫ってから北米とシドニーを
往復する生活を少し繰り返しましたが、     
最後の数年はアメリカから遠ざかっていました。
しかしせっかく穫った永住権ですからね、
このまま放棄するよりは更新したいです。

ガイドしていても正社員ではないので、
好きな期間ホリデーを取ることが出来ました。
シドニーの観光客は減少していたので、
もしアメリカの方が条件が良ければ
そちらに移ることも視野に入れて、
ハワイに住んで見ることにしたのです。

シドニーのアパートはシェアーだったので、
出るのにそれほど問題ありません。
大きな荷物だけ友人宅に預かってもらい、
12月の初旬にシドニーを出発しました。

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    ワイキキビーチ by wiki

永住権をキープするには。

永住権を得るにはいろんな方法があります。
国籍または永住権を持っている人と結婚するのが
一番早くて簡単な方法かと思いますが、
私の場合は一番難しい方法でとりました。

資本さえあれば投資ビザや事業主ビザなど
お金でビザを買うこともできますが、
お金もないスポンサーもない私にとって
その国で必要としている技術があることが
永住権を申請するときの条件でした。

私にそんな技術があったかしら?
今や見ることもなくなったシルバーサービス
実は私はホテルでウェイトレスをしていました。
名前が知れたホテルで働いていたので、
いろんな技術を身につけることができました。

ホテルの知名度もあったせいか
永住権を穫ることができましたが、
その永住権をキープする必要があります。
一種のビザですから一定期間過ぎたら
ビザを更新しなければなりません。

基本的にその国に住んでいれば
更新も簡単にすることができますが、
私のように放浪していると、
ある一定期間住んでいなければ
更新をすることができないこともあります。
永住権をたくさん持っているのも良いけれど
お陰で私の人生放浪する身になってしまいました。

2000年は私がグリーンカードを穫ってから、
ちょうど10年目にあたり、更新の年でした。
更新するためには定住の住所が必要です。
そのためにアメリカに移動することにしました。

それまでロス、ニューヨークと住みましたが、
冬に向って行くので暖かい所が良いですね。
と言ってもあまり馴染みのない所は嫌なので、
仕事も簡単に見つかりやすくて暖かい所!
『ハワイ』に移民することにしました。

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最初に移民した街『トロント』by wiki


永住権がいくつもあると、、、

アメリカグリーンカードも面接次第です。
面接で落とされることはないと思いますが、
落とされた所でカナダ永住権があるので、
観光なら簡単に入国することはできました。

さらに健康診断も一年前に受けたばかりです。
オーストラリア申請で合格していたので、
これで不合格になるとは思っていませんでした。

オーストラリアはガイドの仕事が忙しかったので、
当分はシドニーをベースに暮らすつもりでした。
そうなると毎年カナダに戻って来ることもできません。
さらにアメリカ永住権を収得したら
どのようにしてキープするのかが問題になりました。

それぞれの永住権をキープするためには
ある程度その国に住む必要がありました。
ひとつの体を三等分にすることもできないけど、
三か国を往復するのは精神的にもかなりの負担です。
ましてや新しい国を旅行する余裕がなくなります。

二つの国ぐらいなら何とかキープできますが、
かといって何処かを諦めるのも辛い立場です。
そこでカナダの国籍を取ることにしました。

海外に長く居住しているとこの問題で悩みますね。
日本政府が二重国籍を認めていない限り、
海外の国籍を収得するかどうか考える人が多いです。
外国人と結婚して日本に戻るつもりのない人は
海外の国籍を収得される方も多いようですが。

でもやっぱり捨てられないと悩む人も多いです。
私の場合結婚していないので意識はありません。
10年以上海外に住んで日本に戻るつもりもありません。
さらに国籍を維持しないと困るような資産もないし、
この際カナダ国籍を収得することにしました。

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    フォースクリークから見た市内

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