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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

私は旅行者、それとも移民者?

私が泊まったゲストハウスは、
決してきれいとは言えません。
それは建物や家具などが古いので、
一目見ると「きれい」とは思えません。

それでもKさんがいつも掃除していて、
おふたりのおもてなしのお陰で、
まるで自分の家にいるような快適さでした。
そして何とも言ってもこの安さが魅力です。

私は一軒家の方に泊まったので、
台所も混まずに使うことができました。
ただどれが宿の物で、どれが個人の物か、
その区別がなかなかつきにくかったです。

朝は食堂の間にコーヒーが入ります。
私はそれが楽しみで何倍も飲んでいました。
最低コーヒーを2杯飲まないと目が覚めません。
一日で一番くつろげる時間です。

インターネットを食堂でやっていると、
いろんな人たちがやってきます。
食堂で食べる人もいましたが、
あっという間に自分の部屋に戻る人、
ただ通り過ぎるだけの人もいました。

女性は圧倒的に少ないのですが、
ひとり旅の女性はさらに少なくなり、
40歳以上の女性は殆どいません。
お陰で私は人気者でした???

ロサンゼルスに住んでいたので、
おじさんたちとも話題があるし、
旅行者の気持ちも分かります。
そして移民して苦労してきたので、
K子さんとも話が合いました。

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     ロサンゼルスの風景

バーンズドールアートパーク

私はハリウッド通り(北口)から入りました。
車で上がれますが駐車場は小さいです。
結構な坂でもありませんが、
ロサンゼルスは気温が上がるので、
その日の気温で注意してください。

私が行った日は月曜日だったのか、
ホーリーホックハウスは休館日でした。
入場料7ドル払えば自由に見れますが、
ツアーに参加することもできます。

お隣には市の美術館があり、
無料で入館することができますが、
その時は特別イベントでやはりお休みでした。
まあ美術館巡りは得意ではないので、
特に損した気分にもなりませんでした。

丘の上には当時植えられたのか、
大きなスギなどを見ることができます。
日陰でピクニックする家族姿や、
ヨガを楽しんでいる人もいました。

砂漠のような気候の街ですが、
リスが数匹がかけっこしていました。
長い間一般の目から閉ざされていたので、
ここに住み着いたのかもしれません。

丘の上からはグリフィス天文台や
ハイウッドのサインが良く見えました。
あちらは観光客がたくさんいるのに、
ここに来るのは地元の人ばかりです。

大都会で静かなオアシスを見つけるのは、
とっても難しいことですが、
喧騒のハリウッドからもすぐ近いのに、
ここでは静かな時間を過ごすことができます。

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  オリーブヒルの丘の上からの眺め


ホーリーホックハウス

バーンズドール邸として設計された
ホーリーホックハウス」は、
1919年~21年にかけて建設され、
アラインが住むための家だけではなく、
敷地内には美術館と劇場もある、
アートコンプレックスを作りました。

ライトは帝国ホテルの仕事で忙しかったので、
この建物の主な部分は設計しましたが、
建設中の監督や管理などはすべて、
息子やアシスタントに任せました。

1927年巨額な建設費と
嵩む維持管理費に嫌気がさしたのか、
彼女はこの建物を市に寄付しました。

カルフォルニアアートクラブの
本部として1942年まで使用されっていました。
その後USOがこの敷地を管理しながら、
いろんなイベントを開催していました。

1974年からロサンゼルス市は、
建物の修復工事を始めましたが、
1994年の地震で大打撃を受けました。
その後また修復工事を進めて、
2005年に一般公開されました。
だから私が住んでいた1980年代は、
この公園は占められていたのですね。

現在この建物はアメリカ連邦政府の
国定歴史建造物に指定されているだけでなく、
ロサンゼルスタイムズのアンケートで、
重要な邸宅のトップテンに入っています。
ナショナルパークサービスは、
ライトが設計した他の建物のと一緒に、
世界遺産指定に向けて動いています。

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  ホーリーホックハウス by wiki



オリーブヒルに登ってみたら

ロサンゼルスはガイドをしていたこともあり、
有名な観光場所は殆どみましたが、
ローカルな名所はあまり知りません。
こうやって遊びに来た時に
知らない場所へ行くのが楽しみでした。

食事の買い出しのついでに、
スーパーの横にある丘に登りました。
そこは住んでいた頃も何度となく通りましたが、
公園の丘に登ったことはありません。
オリーブの木が植えられたその公園が、
何のためにあるのかも知りませんでした。

その公園の正式名称は、
バーンズドールアートパークと言い、
ロサンゼルス市が管理する公園です。
シカゴのオイル資産家の娘だった、
アライン・バーンズドールが建設、
その後ロサンゼルス市に寄付したものです。

彼女の父は1850年代の
ペンシルバニアのオイルブームで財を成します。
その父が1917年に亡くなった時、
バーンズドールオイル会社の資産の半分、
当時のお金で以上を10億円以上を受け継ぎました。

彼女はシカゴで芝居の演出を手掛けていましたが、
1917年ロサンゼルスで演出することになりました。
その後イーストハリウッドにあるオリーブヒルに
自分の家を建てることにしました。

その家の設計をすることになったのが、
帝国ホテルの設計で知られる建築家
フランク・ロイド・ライトです。
カルフォルニア州では二番目の設計ですが、
彼の代表作のひとつとして知られています。

Barnsdallartpark[1]
    バーンズドールアートパーク

ロス暴動で有名になったコリアンタウン

コリアンタウンを有名にしたのは、
1992年起きたロサンゼルス暴動でした。
あれほどの大暴動が平和なアメリカで、
住んだことのある街で発生するとは
とても信じることができませんでした。

1991年3月黒人のロドニー・キングが
スピード違反でロス警察に逮捕されましたが、
その時殴る蹴るなどの暴行を受けました。
近隣住民が撮影したビデオが放映されると、
アメリカ中で黒人の怒りが膨らみました。

それから1年後の4月29日、
起訴された警官に無罪判決が言い渡されると、
黒人たちはその評決を不服として、
ロサンゼルス市街で暴動を起こし、
商店を襲って放火や略奪を繰り広げました。

特に韓国人が経営する店もターゲットになり、
店主がピストルを発砲して防衛する姿は、
同じアジア人としていたたまれなかったです。
その時は何故韓国人の店が狙われるのか、
その背景が良く理解できませんでした。

70年代以降韓国人が増えますが、
そのほとんどがベトナム戦争の帰還兵でした。
彼らはアメリカの永住権が欲しくて、
兵士として志願したり関連事業に就いていました。

彼らは競争が少なく家賃も安い、
コリアンタウンに隣接する黒人街で商売をして、
黒人よりも安く雇えるヒスパニック系を
従業員として使用していました。
黒人を軽視する韓国人のイメージが、
暴動のさいに鬱憤の矛先となり、
襲撃に結びついたと言われています。

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   コリアンタウン by tripadvisor



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