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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

ミニバンでホテルに戻る日

オフィスにあったリフト付きミニバンは、
突然病気になったお客さんを、
コミュニティヘルスセンターまで送迎したり、
歩けないお客さんをツアー会社まで送迎したりと、
いつも休みなく働いていたような気がします。

他のリゾートホテルのバスで来るお客さんを
ハイウェイまで迎えに行くこともありました。
タルキートナはハイウェイから15マイル、
ここまで来たら1時間近いロスになります。
また迷子になった荷物を駅やホテルまで、
受け取りに行ったこともありました。

毎日仕事の終わり掃除をします。
車内でのたばこは禁止してありましたが、
飲んだり食ったりしたごみくずを
そのままにしておくスタッフもいました。
毎日掃除していたら、ゴミがないはずなのに、
ほこりや泥もたくさんありました。

いつもはオフィスの横に停めておきますが、
週に一度ホテルに持って帰っていました。
メカニックが車をチェックするためにです。
ホテルには常時3人のメカニックがいて、
大きな故障も殆ど修理していました。

私はシャトルバスに乗らないで、
このバンを運転帰るのが好きでした。
シャトルバスを見おった後に、
夕焼けの見ながら帰るのです。

たまにきれいな花や景色に出会うと、
車を停めて写真を撮ったりしました。
自由時間のないリゾートホテルの勤務、
車を運転しているときだけは、
ちょっとだけ融通が利いたのです。

水上飛行機が発着する
フィッシュレイクの夕焼けは
タルキートナで一番きれいでした。

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     タルキートナにある民家



リフト付きミニバン

タルキートナのオフィスには、
特別製のミニバンが一台ありました。
車いすでも乗れるように10人乗りを
リフト付きに改造してありました。

私が働くリゾートホテルには、
リスト付きの大型バスが2台と、
このミニバンが1台ありました。
シーズンがオープンする前に、
リフトの取り扱い方の講習がありました。

大型バスは運転しませんが、
ドライバーを手伝うために、
私たちもバスのリフトを練習しました。

ミニバンはちょっと難しくて、
エンジンをオンにしないと動かないとか、
必ずハザートランプを付けておくとか、
細かいルールがいくつもありました。
車いすを固定させるためのハーネス、
固くて自分の手が痛くなりました。

車いすのお客さんの移動の際は、
このリスト付きバスを手配しました。
普段は車いすを利用しないお客さんも
途中で怪我をして使うこともありました。
そのためにホテルとオフィスには、
車いすもそれぞれ用意してありました。

突然「車いす」が必要になると、
このミニバンの出番でした。
車いすを含む小グループの際に、
このバンを使って移動することもありました。

このバンはアラスカに数台しかない、
特注オーダーで作られていました。
15人乗りのミニバンより小型なので、
私の一番のお気に入りでした。

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      アラスカの高山植物


バスで通勤する時も「勤務中」

私はこのタルキートナ勤務が大好きでした。
特に専用列車が走る日は全員出勤、
だんだんその日の任務が固定され、
私はこのオフィスの遅番になりました。。

普通は13時から21時の勤務ですが
列車の日は12時からの勤務になります。
往復シャトルバスで通勤するので、
ホテルを出るのは1時間前です。
戻って来るのは最後のシャトルでした。

バスの中で寝ているだけで勤務中。
最低2時間の残業がつきましたが、
専用列車の日はさらに増えました。
どうぜ遠くから働きに来ているので、
少しでも多く稼いで帰らないとね?

早番は4時までの勤務です。
5時にはスーパーバイザーも帰宅、
そこからは私だけの時間が始まります。
4時間話し相手もいなくてと思われますが、
ひとりでいる方が気楽ですよね。

電話と無線は持っているので問題なし、
「食事に行っています」のサインをつけて、
タルキートナの街に出ることもありました。
もちろんお酒なんかは飲まないけれど、
夕食の時間30分、休憩が認められていました。
でもいつ電話がかかって来るかは分かりません。
そのために、無線と携帯を持ち歩いていました。

シェリーのハンバーガー屋さんに行くと、
いつも無料で何かしら奢ってくれました。
私たちが宣伝するお陰でお客が来ると、
ドライバーとオフィスのスタッフには、
払おうとしても受け取ってくれませんでした。
もちろんお礼のチップははずみますが、、。

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 アラスカの野生動物 カンジキウサギ

タルキートナにあるオフィス

私たちは週に1度か2度、
タルキートナオフィス勤務がありました。
タルキートナの街の入り口、
シャトルバスが停まる駐車場の前に、
そのオフィスはありました。

基本的にはホテルのお客さんのお世話。
列車から降りて街で自由行動する人や、
シャトルバスに乗降するお客さんのお世話、
列車に乗るお客さんたちの世話がありました。

オプショナルツアーの予約は、
基本的にホテルのツアーデスクですが、
オフィスに直接来て申し込む方を
断る必要はありませんよね。
クレジットカード支払いのみでしたが、
もちろんツアーの予約も受け付けました。

普段はドライバーたちの溜まり場、
リゾートスタッフが遊びに来たり、
サプライヤーがのぞきに来たりと、
いつも暇な時が多かったですね。

それでもスーパーバイザーひとりと
スタッフが常に二人いました。
それにバスのディスパッチをするスタッフ。
ドライバーが集まってきたら、
誰のためのオフィスか分かりませんね。

スーパーバイザーのベスと、
鉄道スタッフとも言われるデービッドは、
タルキートナに住むスタッフでした。
彼らはこのオフィス専属で働いていました。

最初は夫婦かと思っていました。
「カップルなの?」と聞かずに
ほっとしたこともありました。

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   タルキートナ by Tripadvisor

タルキートナの歴史

デナリ登山の玄関口タルキートナは、
冬になると静まりりますが、
夏は登山者や観光客で賑わう街です。

スシトナ川、チュリトナ川と
タルキートナ川が合流する所なので、
先住民族「Dena‘ina族」にとって、
漁をしたり、交易をする場所でした。

1896年ごろゴールドラッシュが始まると、
川の流域に点在する採掘師や鉱山師たちに
物資を運ぶための中継地点になりました。

1915年シーワードから
フェアバンクスまで鉄道工事が始まると、
ここは重要な拠点となりました。
この鉄道のお陰でアンカレッジという
アラスカ最大の街が作られました。

鉄道工事の中継点になったタルキートナは、
最大人口が1000人にも達して、
いろいろなビジネスも始まりました。
そして正式に街として認められました。

ゴールドラッシュが過ぎると
人口はかなり減ったそうですが、
採掘師、猟師、工事関係者などを含めて、
街として何とか維持してきました。

観光の街になったタルキートナも、
定住しているのはわずか800人足らず、
夏の間は季節従業員が増えます。

でもこの間「ホームステッド」と呼ばれる、
開拓団の人たちが、入植してきました。
これは1862年に制定された
ホームステッド法」があったからです。

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    アラスカの民家は広大な敷地

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