地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

A380でシドニーへ

ロサンゼルス空港は混雑しています。
出国審査はないので簡単そうですが、
あのテロ事件以来検査が厳しくなり、
今は最低4時間前が常識になりつつあります。

80年代私がガイドをしていた頃は、
高速道路の渋滞は当たり前でしたが、
2時間前に空港に到着すれば、
余裕でチェックインすることができました。

私はカンタス航空で飛びましたが、
その時によってターミナルが変わります。
以前はアメリカ航空のターミナルから
出発した時期もありましたが、
A380を使用するようになってからか、
国際線ターミナル出発が多いですね。

現在カンタス航空にとって、
アメリカ路線はドル箱になっています。
エミレーツ航空と提携して以来、
殆どのヨーロッパ路線はドバイまで、
そこからはエミレーツが運航しています。

A380は2階建ての飛行機ですから、
たくさんの人を乗せることができます。
安い航空券を買っても乗れるのは嬉しいです。
シドニーやメルボルン行の路線は、
殆どがこの機材を使用しています。

新しい飛行機は気持ちが良いですね。
スクリーンも自分で選べる時代、
音楽や映画やゲームだって、
好きな時に好きなプログラムを選べます。

それでも自分の携帯やタブレットを出して、
好きな音楽や映画を見ている人も多いです。
そのための電源だってありますからね。
シドニーまで15時間の長いフライトだって、
退屈している暇はありませんよ。

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    カンタス航空A380 by wiki




カンタス航空のロゴマーク『フライングカンガルー』

カンタス航空は1920年に設立されました。
オーストラリア政府の援助を受けて、
航空郵便サービスを運行していました。
1934年カンタス航空
インペリアル航空と合併して、
『カンタスエンパイアエアウェイズ』となり、
ブリスベン〜シンガポール間を運行開始しました。

その後インド経由でロンドンまで運行され、
通称『カンガルールート』と呼ばれました。
カンガルーがカンタス航空のシンボルに
ロゴマークとして機体に描かれました。

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      カンタス航空のロゴ

最初のロゴマークは1セント硬貨に
描かれているカンガルーからデザインされました。
『フライングカンガルー』が
カンタス航空のニックネームです。
1947年からはカンガルーに翼が描かれました。

飛行機がジェット時代に入ると
世界一周を運行するほど路線を拡大しました。
『赤と白』をカンタスのイメージカラーにし、
ロゴマークも赤いカンガルーに一新しました。

1984年機体が赤い尾翼に変更されると、
カンガルーの翼が取れ白い色になりました。
2007年大きな変化はありませんが、
カンガルーのデザインが逞しくなりました。

去年はロゴマークが採用されて70周年
これを記念してレトロジェットが就航しました。
機体を昔のデザインで塗装しています。
カンガルーも懐かしい翼付きのもの、

機材は最新鋭のB737−800、
海外路線にはジャンボに変わり
この機材が投入されています。
75機目のB737−800が
『レトロ塗装』で運行しています。

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 レトロ塗装のカンタス航空機 by wiki

台湾に就航した『オーストラリアアジア航空』

カンタス航空100%出資の子会社
『オーストラリア航空』が設立される前、
もうひとつ子会社がありました。
オーストラリアアジア航空』です。

日本が中国と国交回復したのは1972年。
中華民国政府と断交すると、
中国政府の意向により、中国に乗り入れする
航空会社の台湾乗り入れが禁止されました。

そのために設立されたのが『日本アジア航空』
台湾と日本間だけを運行していました。
中国に配慮するために
子会社を作る航空会社がほとんどでした。

オーストラリアアジア航空』も
『日本アジア航空』と同じ目的で設立されました。
1990年ですから日本より後ですが、
オーストラリアが中国と密に接近したのは、
日本のバブル景気が終わりに近づいてから。

80年代はまだ海外からの支援を受けるほど、
中国の工業生産は発展していませんでしたが、
経済力が増し、生産が増えてくると、
地下資源を中国に購入してもらうために
政府間の繋がりが強くなりました。

カンタス航空が北京に運行開始すると
台湾への運行が憚れます。
そこで設立されたのが
オーストラリアアジア航空』です。
機体の色はカンタス航空と同じでしたが、
シンボルが『カンガルー』の代わりに
『リボン』がデザインされました。

1996年カンタス航空が民営化されると、
カンタス航空が台湾にも就航することになり、
オーストラリアアジア航空』は
カンタス航空に併合されましたが、
その後台湾への運行は廃止になりました。

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  オーストラリアアジア航空 by wiki

人件費のコスト削減をするには

オーストラリア航空は機内はフルサービスで
LCCとまでは言えませんでしたが、
カンタス航空よりも航空券は安かったです。
こちらもヴァージンブルーと同じで、
インターネットまたは電話のみの予約でした。

旅行代理店からチケットを購入すると、
航空会社はコミッションを払います。
たしか10%以下だったと思いますが、
それをするのに人件費も必要ですからね。
航空会社から直接購入してもらえば、
コミッション分を利益として計上できます。

インターネットが普及始めていたので、
こんな方法で予約できるようになりましたが、
そのうち電話で予約すると
サービス代が加算されるようになりました。
人件費をカバーするためにです。

実はオーストラリア航空が設立されたのも、
人件費の削減が大きな目的だったのです。
乗務員は勤務年数において
給料が少しづつ上がっていきます。
カンタス航空では『人件費』が
大きなウェイトを占めていたようです。

辞めさせると退職金も必要になります。
またいろんな理由をつけなければなりません。
新しい航空会社を設立すれば、全員新入社員。
年齢に関係なく同じ給料からのスタートです。

アジア人、特に日本人を多く採用したので、
一緒に働いていたガイド仲間や知人が
キャビンアテンダントに応募しました。
カンタス航空より待遇は良くなかったけど、
日本にしか行かないのが嬉しかったようです。

時差も殆どなければ夜行は片道のみ、
フライトも10時間以内なので、
欧米路線より体にも楽だったようです。
しかしジェットスターが設立されると
ブランドが統一され運行停止になりましたが、
乗務員はカンタス航空に移籍しました。

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   初期のジェットスター by wiki

オーストラリア航空の誕生

オーストラリアではアンセット航空が倒産して、
ヴァージンブルーが第2の航空会社になり、
就航路線をどんどん拡大していきます。
海外から資本投資できるのでカンタス航空より有利です。

航空券は『カンタス航空よりも安く』をモットーに、
インターネットでの予約を中心に受け付けていました。
まだスマートフォンはありませんでしたが、
旅行代理店では買うことができましたが、
オフィスでカウンター販売はせずに、
LCCキャリアーとして成長していきました。

カンタス航空はこれに対抗するかのように、
100%出資の子会社
オーストラリア航空を設立しました。
対象は国際線の観光客のみ、
エコノミークラスのみでしたが、
機内食、映画などすべて無料でした。

成田〜シドニー間はビジネス客の利用も多く
JALも就航しているので直行便を残し、
観光客が多く利用する路線に
オーストラリア航空を使用しました。

札幌、名古屋、大阪、福岡からの乗客は
すべてケアンズ空港で一旦飛行機から降りて、
オーストラリア国内線に乗り継ぎます。
ゴールドコースト、シドニー、メルボルンと
パースの空港にはオーストラリア航空で乗り継ぎ、
他の都市にはカンタス航空で乗り継いでいました。
ケアンズ航空で効率良く乗り継がせるように
スケジュールを組んでいたようです。

日本の都市以外で就航していたのは、
香港、コタキナバル、バリ、シンガポールと
オーストラリア人が観光客として、
多く訪問する都市ばかりでした。
アンセット航空が運行していた国際路線を
そのまま受け継いだようなものです。
カンタス航空にとっても飛躍の年でした。

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   オーストラリア航空 by wiki

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