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地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

アンセット航空の航空券を持っていても、、

『アメリカ同時多発テロ事件』だけでも
世界中の人が揺れ動いていました。
お客さまも私達も動揺していましたが、
遠いアメリカの話と思っていました。

ツアーのキャンセルが入り始めましたが、
それは日本サイドとオフィスの問題、
ガイドにはすぐに影響がありませんでした。

ところがアンセット航空
管財人の管理下に置かれた話は、
オーストラリアのトップニュースでした。
それでも『オーストラリア政府が資金提供』
と言う噂も流れてまだ安心していました。

9月14日早朝、管財人の決断により
『アンセットは再起不能』と判断されました。
その時点ですべて運行停止になりました。
すでに出発していた飛行機は
そのまま運航を続けましたが、
海外にいた機材も運行停止です。

その日アンセット航空
出発予定にしていた乗客は
テロ事件以上のショックでした。
事件で出発をキャンセルした人もいましたが、
すでに海外に飛んでいた乗客は、
帰りの航空券が無効になりました。

こういう場合海外旅行保険で
帰りの航空券を買うことができるのでしょうか?
保険会社によりますが、
保険での支払いはなかったような気がします。

カンタス航空は空席があれば、
乗客に無料で席を提供した記憶もありますが、、。
それは海外にいる乗客だけでしたね。
オーストラリア政府は特別に
カンタス航空をチャータして
バリにいたアンセットの乗客を
助けることにしました。

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 無駄になったアンセット航空のチケットを見せる乗客




アンセット航空が倒産した日

オーストラリアに格安航空会社が進出して、
カンタス航空もアンセット航空
国内線運賃のダンピングに踏み切りました。
お陰で今までシドニー〜メルボルン間が
最低300ドル以上していたのが、
安いときは200ドル以下で買えました。

カンタス航空は国際線が主だったので
収益をなんとか維持することができましたが、
国際線路線の少ないアンセット航空にとって、
格安航空会社の出現は大きな痛手になりました。
加えて出資した事業の失敗や
カンタス航空との競合と
アンセット航空にとって試練の年でした。

特に機材の整備不良により運行停止になると
一日につき1億円以上の損失を出しました。
これでは資本金不足なり、
親会社ニュージーランド航空の資金を
食いつぶす羽目になってしまいます。

ニュージーランド政府は
ニュージーランド航空の株を
83%まで購入しましたが、
アンセット航空への資本投資は
認めませんでした。
そのために資金繰りのメドが立たずに、
会社の運営が暗礁に乗り上げました。

コスト削減が大きな目標になりました。
収益のない路線を廃止したり、
人員を削減したり努力はしましたが、
資金不足を回復することはできませんでした。

そして起きたのが世界を揺り動かした
『アメリカ同時多発テロ事件』
2001年9月12日、事件の発生翌日
ニュージーランド航空は
アンセット航空とそのグループを
管財人の管理下に置きました。

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    アンセット航空 by wiki

ヴァージンブルーのスタート

オーストラリア第三の航空会社
ヴィアージンブルーへの対応は可哀想でした。
2000年のシドニーオリンピックを前に
国際線も国内線もターミナルは改装されていました。

同じ滑走路を使用していますが、
ターミナルは両端にあるために
移動は車で10分程かかります。
国内線にはふたつのターミナルがあり、
それぞれQF,ANの専用ターミナルです。
系列の会社なら利用を認めていましたが
ヴァージンブルーの利用は認めませんでした。

そのためにターミナルの端にあった
小型セスナが駐機しいて場所に
工事現場にあるようなバラック小屋に
ヴァージン専用のカウンターを設置しました。
搭乗する際にはそこから歩いてバスに乗り、
空港の端の方で控えめに搭乗していました。

ビジネス客はあまり利用していませんでしたが、
安いと言うので観光客には人気がありました。
機内食、映画、荷物も有料でしたが、
他社の半額位で航空券を買うことができました。

安い航空券が出る度に旅行計画していたので、
あまりお世話になることはありませんでした。
メンバーになっているカンタス航空
利用する方がメリットも多いですからね。

ガイドの華やかな時代には
忙しい時にバッチリと仕事をして稼いで、
暇になると旅行にでるのが楽しみでした。
お陰で年に数回も海外旅行と国内旅行を
することができたようなものです。
もちろん安い航空券を見つけたら
旅行計画を立てるようにしていました。

しかしその年に大きな事件が発生しました。
それはオーストラリアの航空業界だけなく
世界中の人々の大きな打撃を与えました。
そして私達ガイドにとっても大打撃になりました。

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   ヴァージンブルー航空 by wiki


関西空港が開港したころ

関西空港開港は、オーストラリアブームに
拍車をかけたような気がします。
バブル景気は終焉していましたが、
飛行機が増便したことによって、
ツアーの低価格化、円高とも伴って
オーストラリアに来る観光客が増えました。

開港当時はJAL、ANA、QF、AN以外にも
ニュージーランド航空とノースウェスト航空が
関空〜オーストラリアに就航していました。

関西からのお客さんはパッケージツアーが多いです。
観光、食事も含まれて低価格が基本でした。
阪急のトラピックスに代表されるように、
パッケージでの送客量はトップでしたね。

ノースウェスト航空で大阪経由の
ニューヨークまで行った旅行は、
今でも一番思い出に残っています。
しかしニュージーランド航空とともに、
数年で運行を停止する羽目になりました。

日本航空は関空と成田からのみの運行でしたが、
メルボルン、シドニー、ブリスベン、ケアンズと
オーストラリア各都市に就航していました。
カンタス航空はその逆で成田、関空だけでなく、
福岡、名古屋、札幌に運行していました。

カンタス航空が札幌に運行開始すると
日本にスキーに行くオージーが増えました。
特にニセコにはオージーが経営する
ロッジやスキー場が建設されただけでなく、
オージーのための別荘が分譲されました。

もちろんシドニー、メルボルンだけでなく、
パース、ダーウィンを含む各都市から
日本に運行していていたのですから驚きです。
日に何十本と言うフライトが
日本とオーストラリアを就航していた時代、
旅行業界と日本語ガイドにとって
一番華やかな時代だったですね。

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関空開港のとき初乗りしたカンタス機 by wiki



オーストラリアの航空界競走

オーストラリアのフラッグキャリアは
1920年に創立されたカンタス航空です。
『Queensland and Northern Territory
Aerial Services LTD』から
QANTASと呼ばれるようになりました。

1947年100%政府が株式を所有し、
国営の国際線運行会社になりました。
その年にはロンドンへの定期便を運行開始、
翌年には羽田(東京)に就航しています。

人口は日本に比べて少ないですが、
広大な国なので航空運輸量は
世界で7番目の規模を誇っていました。

日本のように鉄道が発達していないので、
ワーホリだった貧乏人の私でさえ、
旅行するときの移動は飛行機を利用しました。
シドニーからゴールドコースト(800km)まで
当時は片道200ドル(1ドル250円)していました。

80年代まで国内線はアンセット航空
トランスオーストラリア航空(TAA)でした。
86年TAAはオーストラリア航空に名称変更、
92年にカンタス航空と合併、
94までにすべてカンタスブランドになりました。

カンタス航空(QF)が国内線に運行開始すると、
アンセット航空(AN)は国際線を運行開始します。
93年にバリ、94年に関空に就航して、
アジアを中心に国際線を拡大しました。

アンセット航空は1999年4月1日に
スターアライアンスに加盟しました。
2001年2月にニュージーランド航空が
残り50%の株を買収したので、
100%NZ航空の子会社になりました。

アンセット航空は路線拡大をするだけなく、
アメリカの航空会社(America West)に出資、
ハミルトン島のリゾート開発、
シドニーオリンピックのスポンサー権獲得と
多額の資本投資をしました。
これがすべて失敗して、、、となります。

私が3年程前に書いた記事
『オーストラリア航空界の歴史』
あわせて読んで頂けたら
オーストラリアの航空事情が
より理解して頂けると思います。

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     カンタス航空 by wiki


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