地球ワーキングトラベラー見聞記

カナダ、アメリカ、オーストラリアの永住権を持ち、ヨーロッパでの滞在経験もあります。世界100カ国以上回った、私の見聞記を楽しんで下さい。

あいりん地区の安宿に泊まってみた

初日私が大阪で泊まったホテルは、
昔のドヤ街と呼ばれるあいりん地区にありました。
インターネットで調べていたら、
バックパッカーとして利用されているというので、
海外からの旅行者として泊まることにしました。

私の旅行は基本「貧乏旅行」です。
世界中を一人で旅行するためには、
ホテルは1泊US50ドルぐらい、
日本円なら5000円を目安にしています。

先進国ならバックパッカーかユースホステルの
ドミトリーにしか泊まることができませんが、
物価の安い国なら個室に泊まることもできます。

トイレやシャワーは共同でも、
個室に泊まれたら嬉しいですね。
でも清潔、安全となると、
実際に行ってみないと分かりません。

あいりん地区のホテルに泊まるの」と言ったら、
友人に「危険だからやめなさい」と言われました。
知らないというのは非常識な時もありますが、
世界中を旅行していると
もっと危険なところはいくらでもあります。

日本の危険は、世界的に見れば、
充分「安全圏」に入ることは間違いありません。
ましてや言葉がわかるので安心です。
これが全く言葉の通じない国だったら、
危険な場所には泊まりたくないので、
予算以上の高いホテルに泊まることもあります。

「釜ヶ崎」とも呼ばれるあいりん地区
1泊3000円以下のホテルというので、
旅行者として体験してみることにしました。

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    あいりん地区 by gigazin

父に会いに帰ったというのに

私の母親が亡くなったのは2000年12月。
ちょうどハワイに移民しようかなと思って、
シドニーのアパートを片付けて下見に行っていた頃。
ラーメン屋さんの仕事も見つかり、オープンして数日後、
母が亡くなったと突然のメールが来ました。

その年の7月に日本に行っていたので、
母と何年も会っていないということはありませんでした。
初めて海外に移民して以来、仕事で帰ったこともあるけど、
最低でも2年に一度は日本に行っていました。

インターネットが一般化したおかげで、
旅行中でもメールを受け取ることができました。
まだノートブックを持っていなかったけど、
バッパーのPCで読むことが出来ました。

母親が亡くなると日本に行く機会が減りました。
アメリカに仕事に行っていることもありましたが、
2~3年に一度しか行っていませんでした。
日本に行く楽しみがなくなったのが最大の理由です。

父親は淋しかったのかもしれません。
航空券がいかに高いかという感覚はないけど、
ガイドを辞めてからあまり帰国しないので、
「航空券代払うから、、、」と呟いていました。

入院してからも姉に私はいつ来るのか?と
毎日のように尋ねていたそうです。
多分自分の死を感じていたのかもしれません。
姉に「航空券代を渡すように、、、」と
お金を入った封筒を託していました。

もちろんその前に日本に行くことを決めましたが、
すぐに飛んでこない私にイライラしていたかも、、。
普通なら日本に到着したらそのまま会いに行くのが
親孝行を思われることでしょうね。
でも父親がまだ元気だったので
大阪でちょっと友達に会うことにしました。

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     阿蘇山の五岳 by wiki

熊本の思い出 阿蘇山
熊本は私が育ったところです。
なかなか戻ることはありませんが、
熊本の思い出を綴ってみたいと思います。

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父にあうために日本へ

父が入院するとは死が近いということ。
でも入院していると看護もしっかりしているので、
だんだん元気になって回復しているようですが、
出血が止まらない限りは入院と言われたそうです。

現在同じ病院に1か月以上入院できないようで、
市内の病院から町内の病院に変わりました。
そうすると知っている人が入院していたり、
看護婦さんも知っている人がいたようです。

まだ入院したばかりの頃は、
貧血でも食欲はあったようで、
病院食に文句を言っていました。
刺身が食べたい、納豆が食べたい、
上げの果ては酒が飲みたい、、、と。

精密検査の結果「胃がん」と判断され、
いろいろ治療しても出血が止まらないので、
「輸血」だけが頼りでした。
残念ながら回復の見通しなしと言われると、
最後の父の願いを叶えるために、
元気なうちに、好きなものを食べれるように、
義姉は父に持って行ってくれたそうです。

そして父の願いが最後に子供たちに会うこと、
そのため東京にいる姉たちも帰郷することになり、
私もそれに合わせて日本に行くことにしました。
入院していても元気なうちの方が、
私のことも覚えていてくれますからね。

様態が急変することもありえますが、
それだけは神様のみ知りえること、
会える日まで元気でいてくれることを
願うしかありませんでしたが、
何とか神様は私たちの見方をしてくれました。
そして11月日本行の飛行機に乗りました。

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  水辺動物園の遊園地 by ezuko.jp

熊本の思い出 水辺動物園
熊本は私が育ったところです。
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頑固な父の思い出、、、

父は昔から我慢強い人でした。
小さいころの私には
「厳しい親父」のイメージしかありません。
父と買い物に行ったこともなければ、
一緒に遊んだ覚えもありませんからね。

忙しくなると農家の手伝いをさせられました。
小さくてガリガリだった私には、
これが結構な重労働でしたね。
木を伐りだしに行ったり、草取りをしたり、
農家の仕事は兄でさえ嫌がっていました。

いくつか楽しい思い出に残っているのは、
まだ土から頭を出していない
筍の見つけ方を教えてくれたことや、
冬炭を焼いているときに横に座って
一緒に暖まったことぐらいでしょうか?

姉が在学中にPTA会長をやっていましたが、
別に誇りに思ったこともありませんでした。
いつも壇上にだって挨拶をしている父は、
家にいるときよりもずっとにこやかで、
一丁前に訓示を垂れているおじさんでした。

お陰で父兄参観日が大嫌いでしたね。
成績は悪くなかったので恥ずかしくはないけど、
来なくても良い父が必ず来ます。
ニコニコしながら外面が良い父が、
まるで優しい父親のふりをしていました。
どちらかというと母親が好きなので、
母が来てくれる方が嬉しかったです。

でも傘を忘れた日、突然豪雨になったときは
カッパ、傘、雨靴を持って迎えにきてくれました。
父の運転する50ccのバイクに乗って、
家まで帰った思い出もありましたね。


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   水前寺公園 by suizennji.or

熊本の思い出 水前寺公園
熊本は私が育ったところです。
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健康が取り柄の父が入院

日本とシドニーはわずか1時間の時差ですが、
私も姉も働いているので連絡も難しいです。
ましてやシフトでいろんな時間帯に働いている私、
姉から連絡があるのは電子メールが多いです。

それでも滅多に連絡しない姉なので、
メールが入っていると緊張します。
その時の件目は「父」でした。
私たちの父が入院したという内容でした。

私の父は本当に健康な人で、
一緒に暮らした間に寝込んだことがありません。
60過ぎまで歯医者に行ったことないし、
ましてや病院に入院なんて聞いたこともありません。

そんな健康が取り柄の父が入院なんて、
これは父にとって一大事件でした。
昔から「俺が入院するときは、死ぬとき」
と私たちに行っていたほど健康でした。

早速実家に電話を入れると義姉が出て、
父が貧血で倒れて朝起きれなかったとのこと。
入院して調べたら「胃から出血している」ので、
今後精密検査をするという話でした。

その後原因は「胃がん」とでたようですが、
93歳で「胃がん」と診断されたらどうするか?
末期がんというほどでもないようですが、
手術しても回復する体力があるか?

もちろん父には内緒にしてあるようですが、
いまさら痛い目にあうぐらいなら、
父の体力回復に任せて「手術はしない」
という家族の判断にしたようです。
どれが一番良い判断かは誰にも分かりませんが、
これが父にとって最良の選択だったと思います。

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    熊本城(震災前)by wiki


熊本の思い出 熊本城
熊本は私が育ったところです。
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